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ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『さよならのための七日間』

感想

『夜桜荘交幽帳 さよならのための七日間』 井上悠宇

夜桜荘交幽帳 さよならのための七日間 (富士見L文庫)

 

五感すべて及び第六感で「多分これ、好きなやつかもしれない」と感じ取って手に取る枠。

書店とかネットとかでぼんやり眺めてると、時々もとい稀によくあるやつ。

こういう時、その衝動に実際に従うかどうかは本当に時の運というかちょっと匙加減なのです。私でもどこに境界線を置いているのかよくわからない。でも、手に取らなかった場合、「気になっていた」という記憶だけが残って何の本だったかすっかり忘れて、そのことを後悔してしまいがちなので、できるだけ素直に衝動に従っていきたいとは思っているのです。

 

今回、多分私が手に取る決め手となったのはあらすじにあった、主人公の姉が吐いたという嘘。どんな嘘なのだろう、きっと、とびきり優しいものなのだろうな、と想像したら気になってしまって。

ある日、主人公の男子高校生、春馬の元に亡くなったはずの姉の葉子からの手紙が届く。手紙にあった古いアパートに足を運ぶと、そこには幽霊となった姉の姿があった。

そこに住まう管理人のような役割を務める鬼、薄録の言葉によれば、49日までの地獄送りを一旦保留されたものが集うアパートだという。地獄送りを取りやめにしたくば、潔癖を証明しその旨を閻魔帳に記すよう告げられる。

嘘を吐いた罪によって地獄行きを命じられたという葉子の調査を早速始める春馬だが、葉子は肝心の嘘についてまったく話そうとはしなかった。

 

 

巡り巡って姉の閻魔帳作りの役に立つ、という薄録の言葉に唆されるように春馬は色んな人の閻魔帳作り――あらゆる罪状の無罪の証明を行うことになる。

まず薄録のキャラがのらりくらりしていてゆるいのなんのって。

角が着脱式なのとか金棒の代わりに煙管を口にするとか、それでも料理好きで下の感覚が鈍るから決して煙管に火をつけることはないとか、十全の愛をもってして「テキトー過ぎるでしょ」と言いたくなる。

 

この閻魔帳作りというのですが、案外鮮やかに様々な罪がクリアになっていくのがとても面白かったです。

いい意味で、離れ業、力業。ちょっとした問答みたいで、確かにそう考えれば罪でもなんでもなくなってしまうな、という結末が待ち受けている。

すごくいいな、って思ったのが、確かに死んだ時点では罪に問われるべき行為だが、その人の死後にどのように周りの人や環境が変化したかによって地獄行きを覆すことは大いに可能だということ。

誰かが生きた意味を、死んでしまった意味を、残された人たちが色付けていく感じに、そうして巡り巡って死んでしまった本人も救われていくところが。

 

 

そして、葉子が春馬に吐いた嘘の内容ですが、まずはお話の構造として、薄録の言葉通り春馬のおこなってきたいくつかの閻魔帳作りが、ちゃんと布石として葉子の閻魔帳を作ることに繋がっているところに、感嘆。

そして、あらすじを読んでいた想像していたものよりも葉子の吐いた嘘は、私にとって人間臭いものでした。だからこそ、嘘を吐いてしまったことに「どうしようもなさ」が滲み出て、それによって地獄行きになってしまうことに一抹の切なさを見出す。

きっと姉、弟の関係でなくとも誰でも抱き得る感情なのだけれど、姉と弟として長く時間をともに過ごしてきたからこそ、葉子は嘘の内容を春馬にひた隠しにしたのだし、春馬は葉子の言葉から最後にはその嘘に気が付くことができたのだと思う。

 

 

 

 

それから最後に。

 

「きたいはあらゆる苦悩のもとだな、春馬。それでもわたしは鬼きたいしているぞ」

もう1人(?)、蒼命という名の舌足らずでおさな可愛いポジションの薄録の目上の存在となる鬼がいるのですが彼女のこの何気ないひとことが好き。

特に、それでも、ってところ。......よくない?????? 鬼よくない??????

 

 

 

 

友麻碧さんのあやかし夫婦のシリーズ含め、私の中ですっかり富士見L文庫は、幽霊あやかしものに厚い、という印象になってます。(レーベルに限った話ではなくて、キャラ文芸全般的に幽霊あやかしものがトレンドになっている、というのもあるのかもしれませんが)

浅草鬼嫁日記 あやかし夫婦は今世こそ幸せになりたい。 (富士見L文庫)

浅草鬼嫁日記 あやかし夫婦は今世こそ幸せになりたい。 (富士見L文庫)

 

 

 

 

あとから気が付いたのですが、『きみの分解パラドックス』と同じ作者さんだったんですね。

きみの分解パラドックス (富士見L文庫)きみの分解パラドックス (富士見L文庫)
 

 

 こちらも書店で平積みになっていたのを新刊として刊行された当時何度か目にして印象に残っていたのです。

これも、依然として気になってはいるのです。ちゃんと、いつか読みたいな、とは思っているのです。

ちゃんと。

 

『リリエールと祈りの国』

感想 GA文庫

『リリエールと祈りの国』 白石定規

リリエールと祈りの国 (GA文庫)

 

どんなものでも大聖堂に捧げられた祈りは成就してしまうという不思議な都市を舞台にした物語。

主人公のマクミリアは、何故だか仕事が長続きせず解雇されてしまい、空腹に行き倒れていたところを「戒祈屋」を営むというリリエールの世話になることに。

マクミリアの仕事が長続きしないのは誰かの祈りのせいで、リリエールはそんな祈りを解除することのできる稀有な存在だという。

 

コミカルな要素を含みつつ、飾らずざっくりとした物言いのキャラクターが多くテンポよく会話が進んでいくのですが、時折見せるシニカルな部分がたまらなく好き。

像に下着を穿かせる怪盗だったり、邪な理由で祈りを捧げて恋愛観がぐちゃぐちゃになったりするシーン(簡素に言えば百合至上主義世界)は、それこそ(いい意味で)「阿保らしい」と思いながら読み進めていたのですが、捧げられた祈りがなんでも叶うからこそ、祈りを廃止しようとしない国政を批判するものたちが現れ始めて。

 

なんていうか、こう、物語の構図上、レジスタンスとして祈り廃止を支持する人たちが据えられた以上、普通だったら主人公サイドは、なにかと良かれと思う理由を持ち出して祈りが存在する世界を肯定するというのが私の認識なんですが。

祈りにすっかり浸っているこの世界はもう既に終わってると言い放つ主人公に思わず痺れる......。マクミリア、作中は本を読み聞かせしたり、図書館で出会った少女を救ったりと、面倒見がいい一面を何度も垣間見ることができるのですが、その一方で冷めたものの見方をしていて、思わずそのギャップにどきりとする。

 

この国を変えたければ、ただ大聖堂が朽ちるのを待つしかないとい言うマクミリア。

そしていつか、本当に終わりが訪れたとき――そのとき後悔すればいい。好き放題やってきた過去を。下らない祈りに費やしていた時間を。

この突き放すような一節が、いちばんすき。

 

 

それから、作中、イレイナという名の魔女が登場します。

まあ、私がいちいちここで言及するまでもないと思いますが、彼女が主人公の『魔女の旅々』という別作品があるのです。

魔女の旅々 (GAノベル)

魔女の旅々 (GAノベル)

 

 

 

もともと、その作品を読んでいたのがきっかけで今回の作品も手に取ってみたのですが、作中『魔女の旅々』と思しき作品に触れられている部分があって、ふいうちだったということもあり、その内容に思わずげらげら笑ってしまいました。......口惜しい。

マクミリアが好きな魔女が登場する物語の未だ見ぬ4巻を探す場面にて、港の露店のおっちゃん(モブ)の「それ三巻打ち切りって噂だぜ?」のひとことの破壊力たるや。

というのも。

この『リリエールと祈りの国』が”刊行された当時”は『魔女の旅々』は(大人の事情で)三巻でシリーズが終了という話だったのです。

 

そう、刊行された当時は。

それがこの度4巻も刊行される運びとなったようで。めでたい。

 

魔女の旅々4 (GAノベル)

魔女の旅々4 (GAノベル)

 

 

 

今回の祈りが存在する世界設定だったり、ちょっとした小道具だったり、そういう魔法めいたものが何より嗜好にどんぴしゃだったので、『魔女の旅々』含め、この一連のシリーズをゆっくり追いかけていきたい。

 

 

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背景に乱雑な本棚が写り込んでいるけれど、『魔女の旅々』の感想もまた追々ブログに書いていきたいな、と思っています。

そのうち。多分。いずれ。死ぬまでには。

 

 

『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』/岡田麿里 を読んだら、物語のキャラクター達が一層愛おしくなった話。

感想

学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで

 

アニメ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」――通称「あの花」があまりにも好きすぎて、本書を手に取って読んでみた。

その他にも「とらドラ!」だったり「花咲くいろは」だったり「凪のあすから」だったり、気が付けば私の心に残っている作品の中に、岡田麿里さんが脚本、構成を手掛けた作品がいくつもある。

岡田麿里さんの作品に登場するキャラクターは見ているこちらが痛ましく思うほどに不幸な目に遭いがち、というのが私が抱いているざっくりとした印象だ。

恋愛感情だったり憧れだったりを拗らせて、他人を傷つけ自身も傷つけられていく様は、ときおり見ていられなくなるほどに痛切な思いでいっぱいになって胸が締め付けれる。(私が先ほど挙げた作品は特に)

それでも。

それでも、それがフィクションの中で行われているただのお芝居だとは思えなくて、少しでもこのキャラクター達に救われて欲しくて、縋るような気持ちで続きを見てしまう。

 

 

そんな岡田麿里さんが脚本家になるまで、そして「あの花」「ここさけ」のキャラクター達を生み出すまでが描かれている。

小学校をなんだか通いづらいと感じ始めてから、秩父の町を出て初めて脚本を書くまでに半分近いページが費やされている。

そうして、岡田麿里さん曰く緑の檻を飛び出し東京の専門学校に通い、シナリオに興味を持って

人間関係の摩擦だったり、母親との確執だったり、描かれている内容は決して明るくなく、読んでげらげら笑えるようなものではない。

私にとってこれはエッセイというより、れっきとしたひとつの物語だった。

 

 

「登校拒否児」としての学生時代

彼女が本格的に学校に行かなくなるまでの中で決定的な場面として描かれている中学時代の出来事が印象に残っている。

自分を押し殺して偽って通い続けた中学校だったが、数日休んだのをきっかけに「登校拒否児」のレッテルを貼られ、頑張る気力がなくなってしまったという。

 

簡単に共感、なんて言葉を使って消費していいものではないけれど、そんなことを言っていてはどうしようもないので、「分かる」という言葉を使ってしまうけれど、多少なりともこの生き辛さは分かる部分がある、と感じた。

 

 

私自身、学校ではないけれど、小学生のころスポーツの習い事をしており、ちょっとした折に小さな地域選抜チームのようなものに選ばれることになった。もともと通っていたチームとは別に週に一度、選抜チームとして集められた小学生たちと一緒に練習するというものだった。

私は、この選抜チームの練習に行くのがたまらなく嫌だった。

ただなんとなくで始めた習い事でただ走り回っていればいい、というものから、いきなり練習は本格的なものになった。

当然のことながら、集められた小学生の中で私がいちばん下手で知識もまったくなかった。みんな当たり前にできるようなことが、私だけできなかった。そうして私だけできないということが時折練習中笑いの種になるのが本当に、嫌だった。

それこそ練習後、毎週家に帰ってはひとり風呂場で泣いていた。

 

練習日は木曜日だったのだけれど、下校途中に車道に飛び出して骨折でもしてしまえれば、なんて木曜日が来るたびに小学生並みの真剣さを伴って考えていた。

ある日、チームメイトから何気なく言われた言葉があって、その時のことを今でもはっきりと覚えている。

そのチームメイトに悪気があったわけではない、というのはちゃんと当時も感じていたことだけど、

「練習してて楽しい?」

このひと言に、思わず練習中なのに涙が流れてしまった。

私自身嫌々ながらも、ちゃんとそれなりに頑張って上手くやれているつもりだったのに、他人からそんな風に見られているというのがすごくショックだったし、そんなもの楽しいわけがない、と言えるものなら言いたかった。

 

それでも「続けることが大事」なんて言葉を信じて、結局なんとか目標とする大会が終わるまで休まず通い続けたのだけれど、打ち上げでもらったちょっとしたご褒美としてもらったストラップはその帰り道すがらに捨てた。

 

 

そんな風に多少なりの共感を伴って読んだからこそ、私はここに書かれているのは物語だと感じたのだし、その後に綴られている「どのようにして脚本家を志した」のか「どんな思いを込めてシナリオを書いているのか」という内容に一層興味を持って読むことができた。

 

シナリオを最初から最後まで書くということ

岡田麿里さんは脚本家になる上で大きなハードルのひとつとして、最後まで書ききること、と挙げている。

今まで自分の中で、溜めに溜めていた「自分がいつか世に出すはずの何か」のイメージは、どんどん膨れあがって「まだそこにはないが、とても素晴らしいもの」になってしまっている。それを実際にシナリオとして書いてみると、ふわっと描いていたイメージには遥かに追いつかない。自分はこんなはずじゃない、これで自分を判断されたくないという恐怖。

 

岡田麿里さんがこうして脚本家になることができたのは、高校時代の先生のおかげだけれど、本書を読んでいて節々に岡田さんはすごくガッツがある、と感じる部分がある。

なんの見通しもなく作品に感化されてトラックの運転手になればいいやと思っていた経緯もサイコーにロックだと思った。

それこそ「登校拒否」とか「引きこもり」なんてものはほんのきっかけでついてしまったレッテルに過ぎないのだと感じた。

もちろん、私自身も他人の目を気にしがちなので「過ぎない」のひとことで片付かないことは分かるけれど、それでもただただ人間として不能なのではなくて、ただ社会が生きやすい形ではなかったというだけ、なのだと思った。

 

 

「本当に書きたいもの」として書いた登校拒否児が主人公の物語――「あの花」

私はこの本を読むまで、岡田麿里さんがいわゆる「登校拒否児」だということを知らなかった。

もちろん「あの花」の主人公であるじんたんの生活ぶりだったり、他人の目を気にする様子に岡田麿里さんの経験が反映されていることも知らなかった。

もやもやを吐き出したいという欲求はまったくなく、登校拒否児は魅力的なキャラクターとして成立し得るか、という興味からこの題材を扱うことにしたという。

 

もともと、じんたん含め「あの花」に登場するキャラクター達は大好きだったけれど、この本を読んでから一層好きになった。

ただのキャラクターから、より人間っぽい印象を抱くようになった。

なんていうか、こう、好きな人の出身やバックボーンを知ることができただけでなんだか嬉しくなるような気持ちに似ている。

冒頭で触れた、岡田麿里さんの描く痛々しい程の人間関係だって、彼女の学生時代の人間関係に苦心した経験があったからこそ、現実感を伴って私の心を切り裂くのだと思ったら、ものすごく腑に落ちた。

 

 

おわりに

良くも悪くも、今後脚本、シリーズ構成に岡田麿里の字を見かける度にしばらくは今回読んだあれやこれを思い出して、色んな思いが溢れる状態で作品を見てしまいそう。

それを豊かと見るか余計なバイアスと見るかは人によるだろうけれど、私はこの本を読むことができて良かったと思っている。

つい先日、「あの花」をまるっと見返したばかりなので、今は劇場版を見返したい気分。

本当に余談の余談になるけれど、実は劇場版サイトのBlue-ray DVD完全生産限定版特典映像レビューという場所にひっそりと私のコメントも載っていたりする。

数あるうちのひとつだし、手書きだったため「しゆん」ではなく「しゅん」表記ではあるけれど(ネット上でもたまに勘違いされるのでもっと分かりやすいものにしておけばよかったと時々思う)、好きな作品にそっと花を添えることができたということがただただ嬉しい。

www.anohana.jp

 

心が叫びたがってるんだ。」に関しても、小説として刊行されたものを読んだきりになってしまっているので、近いうちに映像としてもばっちり観ておきたい。

 

小説 心が叫びたがってるんだ。

小説 心が叫びたがってるんだ。

 

 

 

『プールの底に眠る』

感想 講談社文庫 白河三兎

『プールの底に眠る』 白河三兎

プールの底に眠る (講談社文庫)

 

 

自身を取り巻く状況や心の持ちようはいつだって同じじゃないし、その時々によって大好きな小説は変わりゆくものだけれど、「今好きな小説は何?」と訊かれたならば間違いなく3本の指に入るこの作品、『プールの底に眠る』。

 

初めて読んだ時の衝撃を今でもはっきりと覚えている。

今まで主にエンタメ小説の楽しみ方しか知らなかった私は、この作品を読んでここまで琴線に触れる物語があるのかと、度肝を抜かれた。

この小説は間違いなく私みたいな人間のためにあると感じた。

他人にそうであってほしいと願うほどの幸せが、自分にはちょっと不釣り合いだと感じてしまうような。

万人受けするかどうかなんてどうでもよくて、ただただ雰囲気が、ちょっとした言い回しが心の温度に馴染んだ。

それ以来、白川三兎さんの作品を買っては深い夜にひたひたと浸かりながら読むのが癖になった。

 

 

久しぶりに読み返したので、今回感じたことを文字に残しておこうと思って。

 

 

まず何よりも書き出しがたまらなく好きだ。

眠れない夜にイルカになる。

主人公の男子高校生の少年が老いたイルカの最期に思いを馳せる場面から始まるのだけれど、静かでそれでもどことなくあたたかくて、ついつい口寂しくて飴をなめてしまうみたいに、折に触れてこのイルカの話を思い返してしまう。

 

主な登場人物はこの主人公とその幼馴染、そして裏山で自殺未遂のところを主人公の彼に見つかって自殺を思いとどまる少女。

まず、この主人公と幼馴染の関係が本当に良い。

作中彼らが最終的に恋仲になることはないのだけれど、それでも彼らの間に流れる、かと言って単なる友人として割り切ることのできないどうしようもなさに心を鷲掴みにされる。

2人とも互いを気遣っているから、私の中ではお互いを見つめる眼差しは優しくてそれでいて、ちょっぴり羨望を含んでいる。ただただ相手を傷つけてしまうことを恐れていて、そこから一歩踏み出すだけの覚悟があったならまた違った関係になったのかもしれないが、きっとそんな覚悟など必要としていない。

 

お互い30歳までに本物の愛が見つからなければ結婚しようよ、と話をする場面がある。

決して冗談で言っているのではないけれど、彼らが結婚することはないだろうな、と思ってしまうような雰囲気が絶妙。恋愛とか片思いとかそういうすれ違いではなくて。なんというか、恋とは縁遠い方向に、互いを少しだけ特別視しすぎている感じ。

 幼馴染は主人公のことを布団の中で想っても眠れなくなるどころか逆に熟睡できるというし、

主人公は笑ってなくても幼馴染のことは凄く好きだから、無理して笑う必要はないのだと臆面もなく言ってのけてしまう。

私はそれを愛と呼んでもよいのではないのかと思うのに、彼らは互いを過大評価するが故に、ここに本物の愛はないという。

本当にこの場面はただひたすらに優しくて、なんだか哀しい。

 

 

一方、主人公と自殺未遂の少女。

互いを名前ではなくイルカ、セミと呼び合い、交わされる会話は年齢不相応に大人びていてどこか浮世離れしている。

のらりくらりとしたセミの言動に翻弄されながらも、心を亡くしたというセミに少しずつ惹かれていく。

最終章では、時間は一気に進み主人公は図書館で勤務する妻帯者となっている。

それでも先の夏のセミと過ごした7日間のことをずっと悔いている。

初めて読んだ時は作品の静謐な部分ばかりに共感して、そこをひたすらに自分の中で増幅して反芻して浸っていたのだけれど、改めて読み返してこの作品の前向きな結末にここまでやわらかい気持ちになるとは思ってもいなかった。

そうして、以前ほどどこか後ろ暗い気持ちを抱かなくなったことを少しだけ寂しいと思う。

何かに罰せられていなければならないような気がする、幸せを享受するのに相応しくないという主人公を見て、共感というより痛々しくて見ていられないような気持ちになる。君は十分優しい、頼むからそんな悲しいこと言わないでくれ、と。

そうして、最後には過去ではなくちゃんと今を見ることができるようになった主人公の姿にどこか安心する。

この結末を綺麗だと感じる気持ちに変わりはないけれど、以前のように感傷的な気持ちでいっぱいになることはない。

多分、この作品のそういう部分から私が少しだけ離れてしまったのだ。

 

 

あの時の感性が死んでしまったのだ、なんて今の私が過去の私のことをしたり顔で語るのは傲慢だって最果タヒが言ってた。だから多分、感性だけでなく、過去の私ごと死んでしまったのだ。死人に口なし。

十代に共感する奴はみんな嘘つき

十代に共感する奴はみんな嘘つき

 

 

その変化を少しだけ悲しいと思うのは今の私の身勝手だけれど、過去の私がこの『プールの底に眠る』で少しだけ生かされていたという事実だけは胸に留めておいてもいいと思っている。

未来の私の好きな小説の3本の指にいつまでも入っている保証はないけれど、いつまでも私にとってかけがえのない作品であることに、変わりはない。

 

 

『オリンポスの郵便ポスト』

感想 電撃文庫

『オリンポスの郵便ポスト』 藻野多摩夫

オリンポスの郵便ポスト (電撃文庫)

 

書店で見かけて、この物語はもしや私の好きな要素がぎゅっと詰まっているのでは......? と思い始めて、そうなったら棚に並ぶこの本がぴかぴか光ってもう目が離せなくなる、いつものやつ。

今までに読んだ、すきだなーって作品がいくつもふわっと思い浮かんだら、それは、もう抗いようがなくない?????

 

まず郵便もの、配達もの、ってところでいちばんに思い浮かべる『ストロベリアル・デリバリー』が片山若子さんのイラストも相まって好きすぎる問題。

火星が舞台ということで、オリンポスとかタルシスとかいう単語が出てくるだけで、『クリュセの魚』とか『ほしのこえ』浮かんでくるし、なにこれ、楽しい。

 

 

クリュセの魚 (河出文庫)

クリュセの魚 (河出文庫)

 

 

 

 

そんなわけで。

今回の物語の舞台は、人が住めるように開発された火星。

それでも人が住むにはまだまだ過酷な環境で改良の余地はあるものの、諍いにより地球との交流は断たれてしまっていた。

そんな火星で郵便配達員として働いているエリスは、身体を機械に改造されたサイボーグ、クロの依頼により彼とともにオリンポス山のてっぺんにあると噂される郵便ポストを目指すことになる。

天国にいちばん近いそのポストに投函された手紙は、神様がどこの誰にでも届けてくれるという。

 

ちぐはぐならがらもエリスとクロがふたりぼっちの旅路で少しずつ言葉を交わしながら、オリンポス山の頂を目指していくゆったりとした時間の流れがとても印象的。

後半に進むにつれトラブルにも巻き込まれ何度もその身を危険にさらされるのですが、その危機を乗り越える度に2人の絆は強固なものになってゆく。

このトラブルも巨大生物に襲われたり、族に襲われたりと、どこかどきどきわくわくするような展開が続いて、このわくわく感、身に覚えがある! と考えてみたら、あれです、幼い頃にドラえもんの映画を観たときみたいな、わくわく感。

時間を重ねるごとに親しくなっていくも、お互いが過去に抱えた並外れた事情を語りだしたり尋ねたりすることはなくて。

最後の最後になるまでそれが明かされることはない、というのが本当にずるい。

最初に明かされていたら、ふたりの関係や旅がまったく違うものになった、ということはないだろうけれど、それでも幾分か違う気持ちで旅をすることができたのではないだろうかと思う。

 

 

というか、そもそも死に場所を求めるサイボーグ、っていう設定の時点で色々とずるいよね。機械の身体のおかげで長い間思考を続けてこられたけれど、メモリーの寿命だけはどうしようもなくて。最後に地球に向けて届けたい手紙があるという、クロの願い。

「手紙を書く」ということが本当に象徴的に描かれているんですが、思いを整理するという意味でも思いを託すという意味でも手紙を書くということに並々ならぬロマンを感じます。

 

時々、特に誰に宛てるでもなく手紙を書きたいと思うことがある。

手紙を書く、ということを決めてから、誰に宛てようか考える感じ。

頭の中で私なりの綺麗な言葉を並べてみるけれど、結局それらが文字に起こされることはなくて、1日も経たないうちに消えていく。

こうしてキーボードを叩いてできる文字と手書きの文字には、大きな違いがあると私はあると思っていて、インクの色や便箋や封筒の何から何まで、その手紙を受け取る相手のことを思って選んでみたい。

 

私のことだから、文字の上では多分口では言えないようなことも臆面もなく書き綴るだろうから、気合十分に用意した思いを封筒に込めて、あわよくばそれが相手に届いたことなど知らずに生きていきたい。

 

『十代に共感する奴はみんな嘘つき』

感想 最果タヒ

『十代に共感する奴はみんな嘘つき』 最果タヒ

十代に共感する奴はみんな嘘つき

 

最果タヒさんによる小説。

まずこの『十代に共感する奴はみんな嘘つき』というタイトルに撃ち抜かれる私。

表紙デザインも相まってサイコー。

「十代に共感する奴はみんな嘘つき」というフレーズを目にするのは実はこの作品が初めてではなくて、最果タヒさんの詩の中で使われているのを見たのが初めてだったような気がします。記憶が正しければ、『空が分裂する』が新潮文庫nexにて刊行された際にla kaguで行われたイベントか何かで。

 

空が分裂する (新潮文庫nex)

空が分裂する (新潮文庫nex)

 

 

 

私にとって最果タヒさんの小説は、起承転結を主人公と一緒に追体験していくというより、嵐みたいに怒涛に吹きすさぶ言葉にただただ見逃してしまわぬよう必死に食らいつく感じ。

「かわいそう」だとか「不幸」だとかそういった言葉を額面通りに飲み込むことに主人公のカズハは気持ち悪さを感じているし、他のみんなが当たり前のように思いを言葉や行動で消費してしまえることが理解できず、疎外感めいたものを感じている。

カズハから見た日常はあまりにも不条理で歪だし、そんな世界を語る彼女の言葉は時に痛烈。

 

 最果タヒさんのTwitterより。

上記の画像の言葉はすべて本文から抜粋されたもの。

こういった言葉が至る所にあって、そのあまりの濃度に時折消化不良を起こしてしまいそうになる。

 

 

カズハにはなかなか大学を卒業しない兄がいて、その兄には付き合っている彼女がいる。

その彼女は兄と付き合っていながらも兄の親友と寝たという。そんな彼女のことをカズハはためらいもなくビッチと呼ぶ。

カズハがビッチという言葉を口にするとき、ビッチだから彼女の人間性がどうとかそういう意味合いはまったくなくて、多分表も裏もなくビッチだと思ったからそう呼んでいるのだろう。むしろいっそのこと清々しさすら感じる程に。

それよりもそんな彼女と愛のためだとか言って結婚しようとする兄のことを気持ち悪いと感じている。こんな兄と結婚しちゃってもいいの? とその彼女につい訊いてしまうくらい。

混乱でわけがわからなくなって、それでも「愛して」って言葉だけは似合いそうだから、そして具体的に言わなきゃパニックの自分に殺されてしまうから、だからとりあえずそう言っているだけ。結婚して。愛して。とりあえずで欲しがって、とりあえずで成立している。

p.57

兄の結婚に対するカズハの見解の中で、この一節が特にたまらなく好きだ。

特に、”それでも「愛して」って言葉だけは似合いそうだから”の部分。

ついさっき「たまらなく好きだ」と文字を打っておきながらこんなこと言うのもどうかと思うけれど、この「好き」だって「好き」って言葉が似合いそうだからなんとなく使っている部分が大きいのだと思う。

聞こえのいい言葉を使う時、私の場合、大抵その響きに相応しいだけの心の準備や覚悟ができていない。それでも何と呼ぶのが正しいのか分からなくて、その部分を嚙み砕いて分解する作業をさぼってしまって、つい、「好き」だとか言ってしまう。

いや、「好き」であることに変わりはないのだけれど、その響きに甘えてしまっている部分が多い。「好き」なら「好き」ってとりあえず言っておけばいいよねって。

愛してって言っておけばいいよね、結婚しておけばいいよねって。

 

 

 

 

それから、相も変わらず最果タヒさんの書くあとがきは今回も私の奥底に深々と刺さる。

 過去のきみは、きみの所有物ではない。当たり前のそんなことを忘れてしまう。十代の私のことを私は、一つも理解できていない。そう思っていなければあの頃の私があまりにもかわいそうだ。懐かしさという言葉ですべてをあいまいにして、そしてわかったつもりになるなら、それは自分への冒涜だって、気付かなければならない。

 作中にもカズハを通して言葉にされていたけれど、今の私が、数十年後に死ぬ前に「あの時は良かったな」なんて感傷に浸るためだけに存在していると言われたら、きっと納得がいかないだろう。

それに、思い出はいつだって優しい。

等身大で抱えていたはずの悩みも希望も全部褪せて、ひとつまみにされて消費されてしまう。

だから過去を振り返るなということではなく、未来とか過去とかそういうのは今の自分には少しも関係ないのだと、あとがきに続けられている。

過去の私は間違いなくその時の「今」を生きていたはずで、こうして未来の私がとやかく言う筋合いはないし、わかりやすく言葉にまとめてしまえばしまうほど、過去の私を軽んじることになる。

 

まっすぐ「今」を見据え、決して飾らないカズハの言葉に、最果タヒさんによるあとがきに、過去とか未来とかじゃなくてもう少し目の前の物事に真面目に向き合ってみよう、という気になる。

どうせどう転ぼうと、未来の私は結局体のいい言葉でひとまとめにしてしまうのだから。

 

『か「」く「」し「」ご「」と「』

感想 住野よる

『か「」く「」し「」ご「」と「』 住野よる

か「」く「」し「」ご「」と「

 

同じ高校に通う5人の物語。

この5人には他人には言えない「かくしごと」が――人の感情の動きが記号的に見ることができという。

もちろんこの能力のようなものだけが「かくしごと」なのではない。

人間関係だったり自分自身のことだったり、言葉にはできない人には言えない心の本音を誰しも抱えていて。

心の動きが”目で見える”からこそ、そんな悩みを抱えた隣のあの人がつい気になってしまう。

 

 

能力、なんて大層な言い方をしてしまったけれど、きっと誰だって人には言えないことを抱えているものだし、自分なりの尺度で他人の思いを推し量ろうとする。

今日はなんだか機嫌が良さそうだ、とか、あの人のことは触れない方がいいかも、とか。

主要登場人物の5人は、はっきりと目に見える形でそれができるというだけで、目に見えると言ってもそれが信頼に足るという根拠もないし、決して他人の感情を思いのままに動かすことができるわけでもない。

この物語に描かれているのはごくごくありふれた恋や友情に悩む高校生だ。

 

 

どの登場人物も素敵なのだけれど、私は中でもパラとヅカの関係が何よりも好きだ。

能天気でパッパラパー、だからパラ。

一方皆に好かれる男子高校生、ヅカ。

決して恋仲などではないのだけれど、この2人にしか醸し出せない雰囲気がたまらなく好き。

パラのお調子者な性格は演技によるもので自身の心根はもっとずっと冷めていると自覚しているパラ。他人の感情のリズムを読み取ることができるも、ヅカだけは何が起こってもそのリズムが変わらないことに同族嫌悪のようなものを抱く。みんなに好かれる彼は誰彼構わず明るく振る舞いながらも心は微塵も動いていないのだ。

 

 

「そうじゃないんだよ。本当は私だってそういう人間になりたいよ。損得なんて考えない人間になりたいし、やりたいことだけ迷いなくやれる人間になりたい。でも、実際の私はそうじゃない。私の言葉や、行動は、私がなりたい私に過ぎない。本当の私じゃ、ないの」

p.150

修学旅行中に無理がたたって体調を崩したパラがヅカにだけ心情を吐露する場面。

パッパラパーを演じているのが最適だろうと算段し、嘘を吐き続けて気負いすぎてしまうパラがなんというかいちばん愛おしいし、救われて欲しいと思ってしまった。

多分、彼女はこのままずっと1人ぼっちのまま生きていくのだろうか、と思ってしまったからかもしれない。

「それがさ、パラは上手すぎるんだよ。それを、もうちょっと気楽でいいんじゃねえかなって思って。無理するとさ、またぶっ倒れるぞ。それに多分、パラの場合、さっきの話聞いたら、少しくらい気を抜いてた方が面白ぇと思う」

p.152

 

だからこそ、そんなパラに対するヅカの飾らない言葉は何気ないけどスッと心に落ちて、そのひとことでパラの肩の荷が降りたような気がして私も少しほっとする。

似た者同士だからこそ、言える本音。

 

 

 

それから、京くんとミッキーの恋愛模様はなんだか初々しくて見てるこっちがなんだかむずむずするくらいだし、エルの内気と言いながらも最後にはずばっと白黒はっきりとつける性格、たまらなく好き。「さて、あなたのだーい好きな、暴走勘違い怪獣ミッキー。彼女は馬鹿です。本当に。」と未来に宛てた手紙に書いちゃうあたり、一周回って愛を感じる......。

 

 

 

こうして住野さんの作品を全部で4作読んできたことになるのですが、私にとってはいちばんあり触れていて身近で馴染みやすかったです。

誰にだって言えないことはあるし、そのことにぐるぐる1人で悩み続けることはないのだと、柔らかく教えてくれる物語でした。

 

 

 

最後に、蛇足なのですが、

『か「」く「」し「」ご「」と「』ってタイトルを見て、

森見登美彦さんの『有頂天家族』(つい先日2巻が文庫化したので読まなくては)の、アニメキャラクターのデザインをされている、

久米田康治さんのマンガ『かくしごと』をついつい、思い浮かべてしまう。

隠し事で描く仕事。

 

有頂天家族 二代目の帰朝 (幻冬舎文庫)
 

 

 

こういう風に色んな本が連想的につながっていくの、本当に楽しくて。

小さな発見を報告する幼い子供みたいに、得意げにダジャレを口にするナイスミドルみたいに、あんまり感想とはかけ離れていると分かっていてもついつい書き残しておきたくなっちゃう。

 

 

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