ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。』

『6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。』 大澤めぐみ

6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。 (角川スニーカー文庫)

 

タイトルに惹かれて。

読み始めて冒頭の描写に一気に引き込まれてしまった。

 

駅のホームで電車の到着を待つ男女ふたり。

そのうち少女だけが、春からの新生活のために東京へ向かう。

なかなか別れを切り出せないまま、ホームに到着した東京行きの電車。

電車まであと3歩のところまで肝心な言葉を口にできず、少女はちゃんと綺麗にお別れをしなくてはと心に決めて足を踏み出す。

自身で決めた別れなのだという気負いと、離れ離れになってしまうのだという現実を受け入れる覚悟と、曖昧なまま雰囲気に流されてしまった過去の後悔と。

 

この冒頭のたった数ページの描写に、時間の流れと色んな感情がぎゅっと詰め込まれていた。

この「別れ」に至るまで、どんなことがあったのだろう、と気にならずにはいられない、完璧な導入だった。

 

 

あらすじ

この物語は4人の男女の高校生それぞれの視点で語られる。

自身の抱く劣等感を打ち明けることができずに、友達や恋人、クラスメイトなど、表面的な肩書き以上の関係になりきれない彼ら。

もっと早く心の内を打ち明けることができていたら。

長いようで短いような高校生活の中、たったひと言、声をかけることができなかったことを悔いている。

迷うばかりで時間はあっという間に過ぎていく。

「どうしてすべて手遅れになってからでないと、一番大事なことも言えないんだろう」

すべてはちゃんと別れを告げるために。

 

 

名前のない感情を、関係を

何と言っても、香衣と隆生の関係性に本当に心動かされた。

中学生の頃、告白もしないまま、なんとなく互いに恋人だと思いながらも、決定的な言葉がないがために、宙ぶらりんのまま高校に進学してしまったふたり。

 

この、自身が抱いた気持ちに対して、「恋」と名前をつけてよいものか。

ふたりの関係性に「恋人」と名前をつけてよいものか。

悩んでいる間に、時間が過ぎ去ってしまう感じがたまらなく刺さった。

 

彼らにとってそうやって悩む時間が、生活の大部分を占めていて、ふと課題や部活に目を逸らした隙に、気まずさだけが募る。

関係性や肩書きというものが重大であると感じるがために、深刻に悩んで、うかつに足を踏み出せなくなってしまう。

 

 

多分、今の私はここまで自身に沸いた気持ちがなんなのかちゃんと向き合う余裕はない。

好きなものは好きだと言うし、得意でないことは得意でないと、昔に比べたら随分と躊躇いなく言う。堅実に境界線を引くようになってしまった。

ちゃんと感情に向き合うこと、分かりきったものとして事務的に扱うこと、どちらが良いのか分からないけれど、少なくとも「これは恋なのか」と真剣に悩んでいた過去の私とは確実に離別してしまった。そのことがなんだか、さみしい。

 

 

この本が私にとってたまらなく良かったのは、このふたりに生まれた感情の終着点が綺麗に締められていること。

ふわふわと生まれた感情が、時間の経過とともに重苦しいものになっていって、それでも最後にはちゃんとひとつの結末が示されるというところ。その過程が、この物語に丁寧に描かれているところ。

もう、この場面の余韻が本当に素晴らしい。

 

呟いたわたしの言葉は、誰の耳に届くことはなく、ただきぃんと冷たい空気に溶けて消えていく

この描写、好きすぎる。

誰の耳にも届かないけど、その言葉を口にするまでには紆余曲折あって、そのすべてが空気に溶けて消えていく。

 

 

環境の奴隷

誰とでも気さくに話す、学年の人気者でもあるセリカの台詞で、とても印象的な言葉がある。

「好きでもない映画でも猫が死ぬと涙が出るとか、みんなが試験嫌だなぁって雰囲気になってると、実はそうでもないのに、そんな気がしてきたりとか、風が気持ちいい放課後の教室でセンチメンタルな気分になっちゃうとか、そういう、自分のことなのに自分の意志でコントロールできない気持ちって、本当に自分の気持ちなのかなぁって」

環境の奴隷みたいだと、セリカは言う。

 

物語の後半で、この言葉はセリカ自身にとって自戒でもあるということが分かるのが、またとてつもなく心揺さぶられる。

このセリカの抱える仄暗い感情や、彼女の下した決断も、本当に良い。

 

 

そして、このセリカの言葉には、私も思い当たる場面が多々あって。

例えば、旅行に行って、他の観光客がみんなカメラを構えるような場面に居合わせると、目の前の光景を素晴らしいものだと思わなくちゃいけないような気になる。

......というか、みんなが素晴らしいと思うことが私にとっても素晴らしいものであるはずだと錯覚してしまう。

夕日や星空を見て、ほんのり切ない気持ちが募るのは、本当に私の感情なのだろうかと疑問がよぎる。

 

そうやってみんながいいね、と思うものを私もいいね、と思うこと。

その過程で、何か見落としちゃいけないものを見落としてしまっていないか、少し不安になる。見落としちゃいけない、そんなもの自体あるのかは分からないけれど。

感情は私だけのものだって、思いたいけれど、知らずに色んな場面で外注化していることに気が付いてぞっとする。

自分の感受性くらい、って茨木のり子が言う。

 

多分似たような理由で、「簡単にエモいって言葉を口にしない」と心に決めている。

 

好きな人の好きなものを好きになる

この物語は紛うことなく、出会いと別れの物語なのだけれど、たとえ別れが訪れても誰かを好きになった思いすべてが消えてしまうわけではない、と思わせてくれる。

 

好きな人の好きなものを好きになる、恋人関係に限らず色んな人の影響を受けて、変化していくというシチュエーションがたまらなく好き。

そうやって「好き」が増えていくと、日常生活の色んな場面の先でその好きな人たちの顔を見る。コンビニの棚に並ぶプリンとか、ラジオから流れる音楽とか、本棚に並ぶ本の背表紙の向こうに。

 

今回のお話の中でも、人から影響を受けて経た変化が、また新たな関係性を築いていくという場面があって。

うわー、良い、すごく良い!! って心の中で声を上げてしまう。

好きなものは多いほうがいい、間違いない。

 

 

物語全体を通して、自身の思いや他人との関係性に悩む高校生の心の機微が繊細に描かれていて、本当にとても良い読書体験をした。

なんていうか、小説というエンタメのために彼らが思い悩んだり、すれ違ったりしているのではなく、等身大で感情に向き合おうとしている感じがして、とても良かった。

 

 

6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。 (角川スニーカー文庫)