ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『あの日から君と、クラゲの骨を探している。』

『あの日から君と、クラゲの骨を探している。』 古矢永塔子

あの日から君と、クラゲの骨を探している。 (宝島社文庫)

 

クラゲ好きの私のセンサーに、今作品のタイトルが引っかかったので。

 

凄惨な過去のトラウマから、ありがちな「読後にタイトルに込められた願いに云々」というような惹句は信用しないことにしている私。

けれどもこうしてこの作品を読み終えた今、「クラゲの骨」という言葉が示す意味が私の好みにどんぴしゃ過ぎて、しみじみとタイトルを眺めては余韻をかみしめている。

 

 

あらすじ

家庭の事情から何もかも嫌気が差し、投げやりに過ごしていた高校生の蒼は、30年前から廃病院で幽霊として暮らしている幽霊の凛と出会う。

捨て鉢に生きていることを叱られたことをきっかけに心動かされた蒼は、迷惑がる凛をよそに足繁く幽霊たちのいる廃病院に通い始める。

多くの時間を共有する中で生者と死者の違いをはっきりと自覚する凛とそんな彼女のために力を尽くしたい蒼。

好きになってはいけないということを心から身をもって知る頃には、もう引き返す術なんてなくて。

コミカルな幽霊たちととある死にまつわる謎に彩られてせつなさ際立つ物語。

 

 

 

きれいな結末の為に恋するわけじゃない

ヤンキー少年と幽霊少女ってあらすじだけみたら、それこそ似たような作品はたくさんあるのかもしれないけれど、とにかく私は丁寧に描かれた彼らの「恋」を自覚していく過程がたまらなく好きで。

「せつない」を謳う物語って結末に得られるカタルシスありき、みたいな部分が多いと私は感じていて、それを否定するわけではないけれど「別れ」とか「死」とか「再会」とかそれだけで充分きれいだよねって思う。

結末が悲しいものであるために恋に落ちていくような気がして。

 

今回、蒼が凛に好意を抱くきっかけこそ(現実に即せば)突飛に感じたものの、時間をかけて彼が最初に口にした「好き」という言葉のあたたかさや重みを理解していくのが本当によい。

少しずつ互いに自分の中で相手の存在が大きくなっていって、好きというだけでなんだか苦しくなるような初々しい感じ。

そうして時間が進んでいくほどに、幽霊であるが故に触れられないという事実が切実になってゆくのがもどかしくてもどかしくて。

2人の出会いを思い起こすような終盤のやり取りには、心情の変化が色鮮やかにずるいくらいに表れていて改めて彼らがどうしようもなく恋をしているのだということを思い知らされた。

 

特にいちばん好きな場面は蒼がせつないという言葉の意味や、ありふれたラブソングのフレーズの意味に初めて痛いくらいの共感を抱くようになった場面。自身の中高生の頃を思い出したりもして。

この言葉は自分のためのものだ、この歌は自分の気持ちを歌っているんだ、なんて錯覚も何もかも、初めての恋を通じて悩む彼らの姿が少しだけ眩しくもあって。

 

 

 

クラゲの骨

元ネタはどうやら『枕草子』の一節らしいのですが、クラゲの骨という言葉が差すところを私は今回初めて知りました。

すべてを描き切らないふんわりとした結末も相まって、『あの日から君と、クラゲの骨を探している。』というタイトルが最後の最後で本当にいい余韻を残す。

何よりクラゲの骨っていう言い回しがおしゃれ。

度々クラゲの話は登場してきたのですが、最後の最後でクラゲの骨という言葉をこの場面で使ってくるのか......と思わず嘆息。こういう幾重にも感情が重なって、言葉の表面以上の意味を見出すの、本当に好き。当事者だけに分かる秘密の暗号みたいなの。

 

それと同時に彼らはこれから先も、当分は真っ直ぐな言葉で互いの気持ちを伝えることなく、相手のことを考えては恋に思い悩む日々が続くのだろうと思ったらやるせなくなってしまう。

確実に、ふたりの距離は近づいたはずなのに最後に嵌めるピースが見当たらないばかりに、いつまでたっても肝心なことに触れられない。

 

これから先もつらいことが続くだろうという予感ともしかしたらクラゲの骨も見つかるのかもしれないという予感の塩梅が絶妙で、ただひたすらに彼らの幸せを願いたくなる。