『あなたはここで、息ができるの?』 竹宮ゆゆこ
Twitterでこの作品のタイトルを見かけた時から気になっていた、竹宮ゆゆこさんの作品。
竹宮ゆゆこさんの作品に触れた数はまだまだ少ないけれど、それでも「そうそう、この感じ、この世界観」と思えるような、今作品もいきなりジェットコースターの急加速から始まるような物語で、気がつけば一気読み。
始まりはどこかコミカルで勢いよく面食らうこともあるくらい。それなのに読み終えた時にはしんみりと染み入るものがあるの、本当にずるい作品。
読み終えた時の余韻を手放したくなくて、思わずそのまま二回目を読み始めたら、最初はどこかズレているように思えた登場人物の言動に人となりを見出してしまって、より一層愛おしくなってしまった。
物語早々、いきなり死につつある主人公の女子大生。
そしてもっと残念なのは、ひったくりや、ケンタウロスや、ノーモア映画泥棒は私の作り話だけど、宇宙人と世界の終わりは現実だということ。ビームも。この事故も現実。私が死にかけてるのも現実。
p.8
そして冒頭の彼女のモノローグが語るように、宇宙人もいるし、彼女の世界は終わりかけている。
正直、この一節を読んだ時にはこの物語の世界設定を掴み兼ねて目が回りそうだったのですが、今はもう、何もかもが愛おしい。宇宙人、愛してる。
死を覚悟した瞬間から”青春の繰り返し”が始まった。
というのは、帯に書かれていた惹句だけれど、そうして文字通り瀕死の彼女の前に現れた青い宇宙人に、諭されるようにして彼女は過去へ誘われる。そこで繰り広げられるのは、彼女と恋人との出会いと、すれ違いと、現在に至る何もかも、すべて。
竹宮ゆゆこさんの作品、モノローグではものすごく活発で強気な人が多いのに、それは弱さの裏返しなんだって気付かされる瞬間があって、その度に心を掴まれる。
今回のタイトルに使われている「息ができる」という表現。
いろんな場面で、様々な意味を持って使われていて、今はもうこのタイトルにごちゃごちゃとした簡潔には言い表せない複雑な感情を見出してしまう。
冷静に「息ができる」ってこういう意味だよね、って思う自分もいれば、登場人物やその言葉が使われた場面を思い出しては切ない気持ちになったり縋るような気持ちになったりする自分もいる。
終始、感情を振り回されながら翻弄されながらたどり着いた結末に、今まで振り回されていたのなんて大したものじゃないと思える程に、圧倒的に大きな感情の波にのまれてしまう。
そうして残ったものは、言い表しようのない心を掴まれるような思い。
※この先、ネタバレを気にして感想を書ける気がしないので、未読の方はご注意ください。
そうしていますぐブラウザを閉じて、書店に向かって。いますぐ。
今が書店の営業が終わってしまっているような夜なら明日に備えて早くねて。いますぐ。
本当に上手く思いを言葉にまとめられる気がしないので、とりあえず初めて読んだ時の感想と、二回目に読んだ時に気付いたことに分けて書きたい。
はじめて読んだとき
正直、途中まで、宇宙人の扱いに困っていた。
現実とファンタジー、それぞれどれくらいの割合の心構えでこの世界に接していけばいいのか分からないまま、この物語の大半を読み進めてしまった。
物語の佳境が近づく中で、ようやく宇宙人の正体に心当たりができて、もしかして思ったより酷な話なのかもしれない、と気がついた時に冷や水を浴びせられたような気持ちになった。その先は切ないまっしぐら。
私の中では完全に宇宙人はコミカル成分だったので、急転直下。
宇宙人の姿だったのも全ては主人公を救いたいという願いの形であって、そういうギャップも含めて、この物語の結末は強く強く私の心に刻まれている。
ギャップという意味では、ハイテンションな主人公の語り口とは裏腹に主人公が連絡不精な恋人に対して寂しさを募らせる場面にすごく胸がきゅっとなった。
恋人が入学して離ればなれになってしまい、気持ちを確かめたくて『そこで息ができる?』とメッセージを打ち込んだ場面。
ここで使われる『そこで息ができる?』という表現が的確で絶妙で、まだその時は結末なんて知らなかったけれど、その場面だけでもうこの本を読んでよかったという気持ちになった。
しばらく私の中で流行りそう。そこで息ができる?
この生き辛いという意味での「息ができる」というイメージがあったからか、終盤にマスクを外そうとする宇宙人に対する息ができるのかという問いに、「私と一緒にいるのは本当は彼にとって生き辛いのではないか」という意味も見出してしまった。
事故の直前のママの『あなたがただ待っているだけの人間でいる限り、健吾くんはあなたに縛り付けられ続けられる。』という台詞も頭にあって。
第一には、文字通りマスクを外してしまったら生命維持に必要な呼吸ができなくなってしまう、という意味なのだろうとは思いながらも。
事実、主人公はママの言うことは正しいと分かっているだけに、自分でも彼氏にとって負担になってしまっているという後ろ暗い気持ちもあったのではないかと勘繰ってしまう。
この問いの本当の意味は分からないけれど、曲解だったとしても私は抱いた感情を大事にしていたいと思う。
それでも最後には健吾の甘い提案を断って、自分で現実を選ぶけれど、その先には未来はなくて。
そう思えばこそ、結末には一層切ない思いでいっぱいになってしまった。
二回目によんだ
まずは、宇宙人の姿というのが改めて手術中の健吾の姿を如実に現していたのだということに驚いた。
タンクからチューブの伸びたマスク。これがないと息ができない。
ライトで照らされたような綺麗なブルー、水族館の青。
「私が愛する者の形」。
出会いの場面の写真を撮る時の「人間っぽいな......」というつぶやきも、健吾は宇宙人にはなりきれないということなのだろうかと思ったら、一回目は何の気なしに読んでいた台詞にもたまらなく胸がいっぱいになった。
さらにこの時、彼女が抱いた「健吾がロングスカートの女性と寄り添って語り合う」というビジョンもある意味では正しくて。彼女がロングスカートを身に纏う機会は訪れなくて。
そして、主人公のララが繰り返してきた時間とは比べ物にはならないけれど、読者として二回目も同じように健吾との出会いやすれ違いを見てきて、そうしてたどり着いた終盤のララのモノローグに泣き出しそうになってしまった。
一回目に読んだよりも、さらに重く響いた。
でも、信じてくれる?
私は、それが嬉しい。本当に嬉しいんだよ。
p.160
きっと私が読んで目まぐるしく感じた以上に当事者である彼女は、めちゃくちゃに振り回されたはずなのに。
最後の最後まで、骨の髄まで、どうしようもない程に健吾が大切で。
そこから「あなた」と語り掛けるとララの言葉があまりにも優しくて、「そうだよ。みんな。」と彼女が言うみんなには私も含まれているような気がして。
寄り添うように励ますようなララの言葉を、健吾の気持ちになって読んでみたら切ないのにあたたかくて、私に対する言葉でもあるんだと思ったら、さらに大きく気持ちが揺れてしまった。
そうして健吾もママもパパもララのことが好きだったように、私もララのことが好きだなって思うほどに、彼女が死んでしまったという現実を受け入れがたくなっていく。
代わりに、なんて恩着せがましくてお為ごかしみたいだけれど、ちゃんと、息をしなくちゃって、息ができる場所で息をしなくちゃって思う。
――深呼吸。