『昨日星を探した言い訳』 河野裕
あらすじ
全寮制の中高一貫校・制道院学園に進学した坂口孝文は、中等部2年への進級の際、生まれつき緑色の目を持ち、映画監督の清寺時生を養父にもつ茅森良子と出会う。
「将来の目標は、総理大臣になることです」
中学生が口にするにはあまりにも不釣り合いで壮大な目標を、転入早々、高らかに口にする茅森。
平等な世界を目指し、夢をかなえるための足掛かりとして、政財界に人材を輩出する名門・制道院で、生徒会長を目指す茅森と坂口は同じ図書委員になる。
不文律のように伝統としがらみが蔓延る制道院で、ふたりは別々の思惑で伝統行事の改革をもくろむ。その最中で、彼らは他人の感情と真摯に向き合うこととなる。
そして、茅森が探していた清寺時生の遺した脚本「イルカの唄」の真相に触れる時――坂口はある重大な決断を迫られる。
※以下、感想を書くにあたり、一部物語の内容に触れています。
ネタバレを避けたい方、未読の方はご注意ください。
贅沢な関係
とにもかくにも拝望会を迎えるまでと、当日の夜に交わされた数々の言葉が本当に好きで。
他人を理解しようとする気持ちと、それでも完全に理解すると言い切ってしまうことの傲慢さをとても丁寧に描いていて、本当に良かった。
特に坂口と綿貫の関係性がとても好き。
ちゃんと誰かのためを思って自分自身の感情に殉じている。
それと坂口と綿貫の関係を語る上で橋本先生は無視できない存在。
拝望会を通じて決定的に相容れない部分をはっきりとさせながらも、それでも諦めずに真摯に分かり合おうとする場面を、とても綺麗だと感じた。
最後の拝望会の最終地点へ向かう彼らの姿を希望と呼びたいくらい。
響きの良い言葉でうやむやにしてしまいがちな、一見親切に見える気遣いを、丁寧に丁寧にほどいていく過程をとても大事にしたい。
思えば、今だって「幸せ」だとか「愛」だとか「優しさ」だとか分かったような気持ちになって使ってしまうし、本当は人によって基準が違うことも頭の中では分かっている。
分かり合えないことを分かったつもりになっている。
曖昧な言葉について真摯に言葉を交わしあえる同級生が周りにいる彼らのことを、とても羨ましいと思う。
私はこの物語の結末を受け入れがたい
物語の批評として良し悪しを語っているのではなく、ただただ単に坂口と茅森が迎えた結末を、私個人の感情として受け入れがたい。
そう思うほどに、彼らが優しさや人となりについて言葉を交わした場面の数々があまりにも美しすぎた。
今まで色んな曖昧なことについて、丁寧に、真摯に言葉を尽くしてきた彼らが、「イルカの唄」をきっかけに言葉を閉ざしてしまう。
ハイクラウンを差し出してまで、そしてそのハイクラウンを拒んでまで、選んだ気高い選択を、8年間という時間に"あっさり"と否定されたような気持ちになってしまった。
相手を思って貫き通した沈黙を、大切なものに裏切られた絶望を、時間なんてもので解決してほしくなかった。
あんなに大事に言葉を交わしてきた彼らが当時解決できなかった問題を、「大人になったから」「時間が経ったから」なんてものをきっかけに解決するところを見たくなかった。
ふたりが歩み寄ること自体にまったく否定的な気持ちはないのだけれど、あの時のふたりができなかったことを、あっさり成し遂げてしまったように見えるのがもやもやするのだと思う。
決死の覚悟で拒んだハイクラウンを、大人になった自分自身で否定するようなことをしないでくれよ、と少しだけかなしい気持ちになってしまった。
きっと中高生の間に彼らが交わした言葉が、関係性が、あれほどまでに美しくなければ、私はこの結末をすんなり受け入れることができたであろう。
8年の間に彼らは良くも悪くも変わってしまったということを突き付けられるようで、胸が締め付けられる。
もう、あの頃の彼らはいないのだと胸に刻まれる。
拝望会で交わした言葉、「イルカの唄」完成のために交わした言葉。
世界でいちばん綺麗な言葉の数々は、もう二度と同じように交わされることはないからこそ、私の心の中で一層、遠く静かに輝き続ける。