ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『丸太町ルヴォワール』

『丸太町ルヴォワール』 円居挽

丸太町ルヴォワール (講談社文庫)

 

あらすじ

古来より京都にて行われる私的裁判、双龍会(そうりょうえ)。

御曹司、城坂論語にかけられた祖父殺しの嫌疑を巡って、鮮やかな舌戦の火蓋が切られる。

状況的に不利な立場の弁護側の望みは、坂口論語が証言する「ルージュ」と名乗る謎の女。しかし、容疑者の有力候補である謎の女が屋敷内にいたという痕跡はすべて消え失せていた。

「真実」よりも聴衆に「もっともらしさ」を語って魅せるが重視される双龍会の場で、めまぐるしい口論の果てに辿り着いた結末は――。

息つく暇もない程にどんでん返しに次ぐどんでん返しが巻き起こる疑似法廷ミステリ。

 

 

 

真実よりも重い言葉の応酬

何といっても、双龍会で繰り広げられる口論がとても面白かった。

 

真実を語るよりも聴衆を納得させるために、時に多少の演出めいたことも必要になってくるという点が一層わくわくさせる。

敢えて隙を作って相手を誘導したり、必殺技たりえる重大な情報を最後までひた隠しにしたり、と言葉を以って相手をねじ伏せようと火花を散らす様子に、さながら私も聴衆のひとりになったような気分ですっかり魅入られてしまう。

 

双龍会において、検事である黄龍師と弁護士である青龍師ともに答弁を行うのはひとりと決められている中で、時に答弁役を他人に受け渡すことができる、というのがたまらなく私の好みに刺さりすぎた。

どう考えても敗色濃厚な雰囲気漂う中、真打登場のごとく現れ、鋭い指摘により逆に相手を追い詰めていく......。読者の私はもちろん、その場にいたほとんどの人が見落としていた「一手」によって、一気に優位に立つ爽快感が素晴らしい。

この「一手」は、もっともらしい体裁さえ整えられていれば嘘であっても構わないというのが双龍会の面白いところで、相手の発言が嘘であると指摘するか、嘘に乗った上で相手の逃げ道をふさいでいくか、と繰り広げられる高度な心理戦が最高に痺れる。

 

あくまでも「もっともらしい」というのが重要なので、大衆に明け透けな嘘であると気付かれてはいけないけれど、事件の内情に詳しい当事者たちはたちどころに嘘であると分かるという紙一重な状況にもスリル感がある。

 

 

 

どんでん返しに次ぐどんでん返し

この小説で特筆すべきは双龍会で繰り広げられる熱い舌戦だけでなく、物語が佳境に向かうにつれ続々と驚きの事実が明かされるという点。

あまりにも次々と「驚きの事実」が飛び出すものだから本当に息つく暇もなくて。

 

大体、小説を読んでいると「そろそろ物語も終わりかな」とか「これで一件落着だ」と物語の終盤でちょっと肩の力を抜くような場面があるのだけれど、そう思った矢先に「えっ、そうだったの?????」と驚くような記述が続くこと続くこと。

 

本当にいつ終わるのか分からなくて、特に終章なんかは気を張りながら読み続けていて、物語が紡がれる紙面が尽きたことでようやく幕が降りたことを知る。

 

まだ今のように色んな小説を読むようになる前に伏線回収の鮮やかさというものを伊坂幸太郎作品で覚えたので、並大抵のどんでん返しや伏線回収では心拍数の上がらない身体になってしまっていたけれど、今作の怒涛のどんでん返しにはめちゃくちゃ翻弄された。

 

 

 

「さよなら」を巡る物語

派手でクセのあるキャラクターが何人も登場する中で、双龍会に臨む際に城坂論語が言った「ぼくにさよならを言うことがどういうことなのか、思い知らせて差し上げるんですよ」という台詞が印象に残っている。

 この台詞は、事件が起こった日に謎の女ルージュが論語に残した「アデュー(さよなら)」という言葉を受けてのもの。

「彼女と過ごしたのはほんの数時間だけど、あれは間違いなくぼくの初恋でした。」という論語のルージュかける執念がすさまじくて。

 

 

「愛は、イコール執着だよ。」とは辻村深月さんの『スロウハイツの神様』に出てくる台詞だけれど、まさにそれを体現するような論語の執着っぷり。

ここまで突き抜けているといっそ清々しいくらいの。

 

 双龍会においてもちろんこの謎の女のことが議題にあがるのだけれど、自身がもしかしたら祖父殺しの犯人だとされるかもしれないのに、それを差し置いてルージュの正体を突き止めようとする彼の気概たるや。

 

こんな風に論語の心に火がついてしまったのも、ルージュが残したアデューという別れの言葉が今生の別れを指し示すものであるから、というのは少なからず要因としてあると思うけれど、そうして改めてこの小説のタイトルを見てしみじみと思うことがある。

再会を想定した「またね」の意味の別れの挨拶、オ・ルヴォワール。

今作『丸太町ルヴォワール』から始まる一連のシリーズに、この言葉が冠されていることに改めてハッとする。

 

最後には明かされるルージュの正体と論語が彼女に向けた言葉にもとても重みがある。

「さよなら」により隔てられた3年の歳月が育てた、彼自身の言葉。

私の想像の中で、またひとつ京都の町が混沌を極め、そして素敵なものになってゆく。

 

 

 

円居挽作品とコンゲーム

 言葉巧みに相手を騙したり、逆に騙されたりしてストーリーが二転三転するものをコンゲームと呼ぶのですが、私が初めて出会った円居挽作品の『シャーロック・ノート』も、『丸太町ルヴォワール』同様に言葉のやり取りによる熱い展開が繰り広げれているので、是非よんでほしい。

 

 特に2巻のカンニング事件を巡る学園裁判は双龍会さながら二転三転する展開に、本当に息つく暇もないので!

......というか、探偵を養成する学園を舞台にしている、というだけでなんだかそそられるものないですか? 私は大いにそそられる。

 

 

次作『烏丸ルヴォワール』の感想はこちら。

shiyunn.hatenablog.com