『地下にうごめく星』 渡辺優
以前、雰囲気に惹かれて手に取った『自由なサメと人間たちの夢』が私の中でスマッシュヒットで、今回の渡辺優さんの地下アイドルを題材にした作品もたまらず購入。
パワフルな『ラメルノエリキサ』や希死念慮あふれる『自由なサメと人間たちの夢』とはまたひと味違って、地下アイドルを巡るどこか異質な世界観を描きながらも、私が登場人物たちに抱いた印象は「どこか普通」でした。
初めて連れられたライブに衝撃を受け、衝動的にプロデューサーを目指す女性。
宝塚歌劇団に対して抱いている憧れをアイドル活動に見出す地下アイドル。
周囲の人には秘密にしながら女装を続ける少年。
日常生活に居場所を見出せずに自らを天使と自称する少女。
自身のポジションをわきまえ、相手の望む役どころを演じ続ける地下アイドル。
こうして簡潔に書きだすと癖の強い人たちのように思えるけれど、彼女たちの「地下アイドル」に対して抱いている思いを知るうちに、次第に親近感を抱いてしまう。
彼女たちがライブやアイドル活動に傾倒していくのは、ままならない現実の代替で、かりそめの居場所や欲求をそこで得て、満たしているのだと感じたら、その「どうしようもなさ」に思わず寄り添いたくなってしまった。
女装少年や自称天使少女など設定や語り口はどこかコミカルなのに、時折入り込む容赦ない現実に関する描写に、彼らは間違いなく現実を生きている人間たちなのだとどこか居住まいを正せられる。
特に、宝塚歌劇団に入りたかったという憧れを抱き続けたまま、タカラジェンヌになれない代わりにアイドル活動をしているカエデに関するある一幕が私にとっては鮮烈でした。
所属していたグループの解散を機に、定職に就こうかとぼんやり考えていたカエデが彼氏にプロポーズをされる場面。
プロポーズされた女は喜びで泣いたりするっていう認識が世間に浸透していてよかった。
私は、ただ悲しくて泣いていた。すごく悲しい。なにがこんなに悲しいのか、自分でも、はっきりとした理由が掴めない。
ただ、私は自分の人生が、死に向かって静かに閉じていく気配を感じていた。
結婚したら、宝塚歌劇団には入れない。
p.56
この一節に、どこにも行けないような閉塞感を抱いて息が詰まりそうになった。
作品全体でみたら決して重苦しい雰囲気ではないのに、油断している頃に打ちのめされる。
「普通」の幸せと天秤にかけられない程に尊い夢があること、そんな夢も完全に叶うことはないことをぼんやり自覚していること、けれどもどうしようもなくその夢を諦めることはできないこと、どれもがありありと浮き彫りになって苦々しい思いが私の心に募る。
そして、私が登場人物たちのことを「普通」だと感じたのにはもうひとつ理由があって。
「地下アイドル」というものが彼女たちにとって、紛れもなく魅力的で離れがたいものであることは確かで、活動を機に様々な転機を迎えるものの、作中では劇的に環境が変わるということはないこと。
あくまでも、日常的で現実的な枠に収まったままの結末が私にはよく馴染んだ。
ある種、今作で現実の代替として描かれている「地下アイドル活動」では、現実を凌駕することはできなくて、各々が現実と向き合い、あるいは変わらず地下アイドル活動に打ち込んでゆく。
この結末に何故だか安堵する私がいて、前向きな意味で結局はまっとうに生きるしかないのだという気にさせられる。
かと言って作中の「地下アイドル」に傾倒する人たちを、現実逃避しているに過ぎないのだと思う気持ちはまったくなくて、彼女たちにとって現実を生きるのに必要な要素なのだと感じている。
地下アイドルというものに今まで一切触れてきたことのない私だけれど、こういった非現実と現実が限りなく近い位置で混ざっているからこそ、熱狂的になる人もいるのかな、とぼんやり思う。