装い新たに刊行された角川文庫版で読む、初めての涼宮ハルヒシリーズ2作目。
前作『涼宮ハルヒの憂鬱』の感想はこちら。
※ネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。
あらすじ
文化祭にて映画を上映することになったSOS団。
ハルヒの奔放な言動に振り回されながら映画撮影を敢行する一行。
宇宙人、未来人、超能力者にとって特異な存在であるハルヒの思い付きが、世界の形を変えてしまう。動物の姿や物理法則......あらゆるものが次第に映画の内容に沿うように変化し始めてしまう。
自身の影響で世界が変わり始めていることに気がつかないハルヒの機嫌を損ねることなく、無事映画を完成させるために為すべき事は――。
面倒見がよすぎないか、キョン
映画撮影にまつわる雑用のあれこれを文句を言いながらもきっちりこなすの、偉すぎる。......世界が人質にとられている、というのもあるかもしれないけれど。
SOS団の常人ではないメンバーたちがハルヒに構う理由は、一応本人たちの口から説明されたので分かるのだけれど、キョンはどうしてここまで付き合うのだろうと思う。
そんなことをドタバタ劇を眺めながら頭の片隅で考えていたので、キョンがハルヒを取り巻く環境を達観して眺める描写に一抹の哀愁を感じてしまった。
ハルヒが今のように傍若無人にふるまうことが許されるのは社会的にせいぜい十代までで、いつまで付き合うつもりなのかと前置きした後で、どうせ混ざるのなら映画の主人公みたいに秘めた力を持ったポジションになりたかったと地の文で語る場面。
ここでおとなしく、お前のツッコミ役をやらせてもらうさ。
あと何年かしたら「そう言えばあんときはそんなこともあったなあ」なんて、笑って誰かに話したり出来るようになるだろう。
p.141
言葉の通りなら、どこか悲しすぎるし何よりお人好しすぎる、と。
メタな意味で、読者である私から見たらキョンは物語の主人公たりえるのだけれど、当人は唯一常人であることにコンプレックスのようなものを抱いたりしているのだろうかと思ってしまう。
それに、文化祭の映画撮影をみんなでわいわいしている中でひとり、何年後には笑い話になるかも、なんて思っていることがかなしい。
完全に私見ではあるけれど、そんな未来がいつか来るなんて露にも思わないくらいに目の前を生きていて欲しい。
もしかしたら、現実から目を背けたくなるほどに悲惨な状況で、いわゆる「やれやれ」系主人公としてはありふれた態度なのかもしれないけれど。
少なくとも私はこの一連の文章を読んでいて、センチメンタルな気持ちになってしまった。
ハルヒにとって後ろ髪をまとめるということ
映画撮影中、みくるを粗雑に扱い過ぎてキョンに叱られて落ち込むのも、キョンの些細なひと言で立ち直るのも、普段の振る舞いからは考えられないくらい大変しおらしい。
前回の(ハルヒにとっては)夢の中でポニーテールを褒められた流れから、意識的にハルヒが髪をまとめているというだけで私としてはとても「美味しい」。
落ち込んだハルヒに言葉を掛けようと文芸部室にキョンが入るやいなや、慌ててくくっていた髪をほどくの、本当にいじらしい。びっくりするくらい、いじらしい。
「この映画は絶対成功させよう」なんてシンプルなひと言で、世界を意気揚々と変化させてしまうくらいに立ち直るくらいの単純さも含めて。
急にラブコメになるよね。
元気のないハルヒなんか不気味なので見たくない、というキョンの供述も大変素晴らしい。強いて言うなら、自分が言い出したことなのにハルヒが髪をまとめるということに関してまったく何の意味を見出していない点は罪深い。
それにしても、こういう「髪をくくる」とか何気ない行動に本人だけの特別な感情が付加されていくのがたまらなく好き。
映画と世界の結末
映画とともに世界の行く末を託されたキョン。
普通ではない人たちが集まる場所で、ハルヒの行動に影響を与えることができるのは普通であるキョンだけ。
作中、宇宙人未来人超能力者と主に3つの勢力が干渉していて、当人たちはもっともらしい理由を語っているけれど、確かに誰もが正しいことを言っているとは限らないと思った。古泉が言うみくるの可愛らしい容姿など、理由する者される者みたいな構図が言葉の裏で出来上がっていたとしたら、血で血を洗うようなシリアス展開になることも心構えしておかないとショック死してしまうかもしれない。
そんな中、キョンがどのようにハルヒに悟られることなく映画と現実に一線を引くのかと思ったら、意外にシンプルな方法で。この、映画と現実のくだりは古泉の語り口が回りくどいというのもあって非常にSFっぽいと感じた。まったくSFの素養はないド素人だけれど、なんとなくSFっぽいじゃん? って。
問題解決に際して、映画の最後に誰しも一度は見聞きしたことある「この作品はフィクションです」をハルヒの口から語らせるという、ありふれた日常っぽさがすごくいいなと思った。
目から怪光線やしゃべる猫など散々現実から乖離した問題の解決が、シンプルで馴染みのあるものであるというスケール感の変化がすごくいい。
変な例えかもしれないけれど、昔話の『さんまいのおふだ』みたいに、おそろしい山姥を最後は豆にして食べてしまうみたいな。 な? な!!!
色々あったけれど、また元の日常に帰ってきたって感じがする。
その日常の中に、宇宙人等々よく分からない人たちは依然存在し続けるけれど。
そして、ここまで色々と文句を言いつつも、エピローグではちゃんとみんなと過ごす文化祭を楽しんでいる様子のキョンが見られてなんだか嬉しい。
次作『涼宮ハルヒの退屈』の感想はこちら。