『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』 浅原ナオト
Twitterで見かけて気になっていたLGBTを取り扱った作品。
主人公は将来は血の繋がった家族が欲しいと願いながらも、男性が恋愛対象であるというどうしようもない現実とのギャップに思い悩む男子生徒、安藤純。
冒頭、クラスメイトの女子生徒、三浦さんが書店でBL本を買うところに出くわす場面。
安藤くんが試しにその本を手にした時の「ファンタジーだなあ」というひと言に、私はどういう心持ちでこの作品と向き合えばいいのか頭を悩ませてしまう。
私がこの作品を読んで、ジェンダーマイノリティーの人たちに寄り添ったつもりになったとしても、この作品だってそれこそ「ファンタジー」であることも十分にあり得るのだ。
私がただマジョリティーであるだけ、という事実だけをもってエンタメとして消費してしまっていいものか、とどぎまぎとしながら読み進めた。
この安藤くん、年上の男性の恋人がいて、骨抜きにされてしまっているのだけれど、その一方で三浦さんに好意を抱かれることを嫌だと思う気持ちはなくて。
人としては三浦さんのことを好いていて、けれども「普通」の男子が抱くような「性的」な感情は抱けなくて。
この「好き」にまつわる安藤くんの悩む姿を見ながら、ただひたすらに自分の感情に殉ずればいいのに、と思ってしまう。
「普通」なんて言葉はきっとここでは呪いでしかなくて、比べたところですり減るだけなのに、と思わずにはいられなかった。
likeとloveではすべての「好き」は網羅できなくて、その感情が性的な興奮を伴うか否かに分けられる、と語られる場面がある。三浦さんの期待には応えられないながらも、彼女の好意を都合よく享受し続けることを肯定できずにどんどん追い込まれていく彼を見ていて辛くなってしまう。
「マイノリティーである」ということだけが原因で生じる悩みではなくて、大なり小なり誰しも抱きうるのに、「マイノリティーである」という事実がただひたすらに彼を追い詰めてゆく。世の中、性的な感情だけが「恋人」を繋いでいるわけではないのに。
「国や世間が認めている認めていないって、あんまり関係ないわよ。どこに居ても自分を認めている人はHappyだし、自分を認めていない人はStressを溜めている」
p.222
そんな中、彼の行きつけのお店の店員さんの言った台詞こそ、まさしく私が安藤くんに送りたい言葉だと思った。
そして、三浦さんとの関係が宙ぶらりんのまま、彼が男性にしか恋慕を抱けないことを三浦さんも知ることになり、次第に校内に知れ渡ってしまう。
そこでの三浦さんの受け止め方が本当に思慮深くて素敵で、安藤くんのこと、ちゃんと考えてるんだって思った。ちょっとうらやましく思うくらい。
「わたしたちの出した綺麗な結論は、所詮他人事だから上から目線で好き勝手言っているように聞こえたのかなって、考えた」
p.230
特にこの台詞がとても印象的で、きっと話し合いの場を持ったらほとんどが「みんな仲良く手を取り合って理解し合いましょう」なんて言うけれど、その言葉がどれだけ本心から出たものだったとしても、マイノリティーの人が「それならば」と言ってカミングアウトするわけではない。綺麗な結論。
物語の終盤の、三浦さんが起こした行動はそれこそ「ファンタジー」なのかもしれないけれど、世界中どこもこうであればいいのにと思わずにはいられなかった。
せめて、安藤くんにとっての三浦さんみたいな人がいればいいのに、誰も自分のことを否定せずに済めばいいのに、と。
多分それだけで、きっと世界は随分住みやすい。
今回扱われたようなマイノリティーを生きる人たちに関しては、凪良ゆうさんの『神さまのビオトープ』を読んでから、誰が何を言おうとただ自分の愛に殉ずればいい、と思うようになったので、安藤くんの苦しみも絶対に解放されるものだと信じていられた。
ジェンダーに限らず様々な人が思い悩みながらも力強く生きている様が描かれていて、主人公は恋人の幽霊と暮らすというちょっとファンタジックな設定ながらも是非、今作と合わせて読んでほしい。