ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『神さまのビオトープ』

『神さまのビオトープ』 凪良ゆう

神さまのビオトープ (講談社タイガ)

 

 

作品を刊行される作家さんが本当に幅広く、毎月講談社タイガからどんな作品が出るのかチェックするのが私の楽しみのひとつ。

今回の『神さまのビオトープ』も刊行予定作品としておよそ1か月前から取り上げられていた時から気になっていたのですが、帯を目にした瞬間、そこに書かれていた惹句に撃ち抜かれて。

愛していいんだ、心に正解はないから。

夫の幽霊と暮らすうつ波を取り巻く、秘密を抱えた彼ら。

世界が決めた「正しさ」から置き去りにされた人々へ、救済の物語。

帯より

 

世界が決めた「正しさ」から置き去りにされた人々、とあるように、この物語に登場する人たちの関係性をシンプルに表す言葉はこの世には存在しない。

それくらい少数でそれくらいか細い。

 

 

 

※以下、ネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。 

 

 

これは多少なりとも誰かから幸せを押し付けられて、生き辛さを感じたことのある人のための物語だ。 

事故死したはずの夫の鹿野くんが幽霊となってうる波の前に現れるところからこの物語は始まるのだけれど、決して紆余曲折あって最後には感動的な結末を迎えるような合縁奇縁を描いた物語ではない。

 

作中の言葉を借りるのであれば、この世の理を踏み越えているという実感はありながらも、ただうる波がそうしたいと思うから彼女自身の愛に殉じているだけだ。

当たり前のように鹿野くんのためにご飯をつくるし、自分にだけ見える鹿野くんに向かって言葉をかける。

 

もしも現実で私の周りに、こうしてうる波のように幽霊と過ごしている人がいると知ったら、きっとどこか「普通」ではないという印象を抱いてしまうだろう。

けれどそんなものは、余計なお世話でしかないのだろうと思う。

その非現実的な幽霊の要素と、うる波の現実感のさじ加減が絶妙で、ファンタジー要素を含んだ物語というより、この世界に実際に生きている誰かの物語だと思った。

自分の愛に殉じたいだけなのにどこか生き辛さを感じているという点でひどく現実味を帯びている。

読んでいるうちに、誰に迷惑をかけているのでもないし、うる波がそれで幸せなのだと言うのならそれでいいじゃないかという気持ちになる。

ただ彼らが幸せに生きていくためには、秘密と決意が必要で衆目にさらされてしまえば「善意」や「正しさ」なんてものであっけなくその幸せは壊れてしまう。

 

 

 

うる波の周りには様々な秘密を抱えた人たちが登場するし、当たり前のようにその「歪さ」を矯正しようとする人たちも登場する。

その度にこれはどうしようもないことなのだろうか、と思う。

世間に認められない幸せはひた隠しにするしかないのだろうか、と。

皮肉だけれど、きっと完全にフラットな世界にはならないだろうなと私は思っている。

私だってきっと無自覚に矯正しようとして誰かを傷つけてきたはずだ。

 

 

 

作中のある話で、ロボットとしか心を通わさない少年が登場する。

最後にロボットは少年を守って壊れてしまい、新しいロボットを用意しようと父に提案されるけれど、少年にとってのロボットは唯一無二で、誰も代わりにはなれないんだと少年はその提案を断る。

そんな彼の台詞に思わずぐっときた。

彼の友情に、ではなくて、彼の幸せに代替はないのだということに。

 

 

 

ある程度は自分で守らなくちゃいけないのだ。

そういう意味ではうる波は決意に満ちていて、とても強い人物だと思う。

他人に認められないということに心細さを感じる場面はいくつかあれど、いつだって幽霊の鹿野くんと過ごすことが自身の幸せだと信じている。

うる波だって鹿野くんとずっと生きていたかったと切に思っている、だからこそ、幽霊の鹿野くんとこうして過ごしていたいと願うのだ。別の誰かと仲睦まじく暮らすことではなく、それこそが、うる波の幸せなのだ。

 

 

 

もちろん誰かが傷つかないように想像力をはたらかせることは必要だけれど、自身の幸せを守るために無自覚な誰かの言葉に必要以上に傷つく必要はないのだと思った。

 

 

私の幸福感に沿う幸せをいちばん享受できるのは、紛れもなく私自身なのだ。