ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『星か獣になる季節』

『星か獣になる季節』 最果タヒ

星か獣になる季節 (ちくま文庫)

 

最果タヒさんの紡ぐ言葉が好きすぎるが故に手に取った作品。

詩人としても有名な最果さんですが、今回は小説。

実は単行本も持っているのですが、文庫化を機に再び、というのと、『バーナード嬢曰く。』の著者である施川ユウキさんによる帯が痛快で。

”共感できるワケないのに「なんかわかる」ってなって怖い‼”と帯でコメントしているのが言いえて妙過ぎて。

このコメント、『バーナード嬢曰く。』に登場する町田さわ子らしくて、いい意味で気が抜ける。

 

2編連なって描かれるこの物語。

最果タヒさんの言葉に触れると色んな感情が巡るのに、それをなんとか言葉にしようとしても、文字を紡げば紡ぐほどかけ離れて汚してしまうような気がしてしまう。

好きな地下アイドルに殺人の容疑がかけられてしまい、彼女がそんなことするはずはないと信じて疑わず、どうにかして彼女の無実を証明できないかと思いめぐらせる冴えない男子高校生の物語、「星か獣になる季節」。

そしてその2年後を描いた「正しさの季節」。

 

 

 

「きみはかわいいだけだ。」という書き出しから始まるこの物語。

まずはこの男子高校生がアイドルの子に抱く「かわいい」という感情に思わずぞっとしてしまう。

物語の続きが気になる、というよりも、あまりにもそこに書かれている感情が生々しくて思わず目が離せなくなってしまう、という感じ。

彼女はかわいいし、それでいて外見以外ろくな特徴もなく、ダンスも歌も努力で成り立っている、努力だけだ、努力だけでできた平凡な人間なんだ、だからすっごくかわいいんだよ、

p.11

 聞こえのいい「かわいい」という言葉をここまでばらばらにして見せられて初めて、その底にある感情の生臭さに心が落ち着かなくなってしまう。

この、彼が使う「かわいい」の言葉の意味を、私は知っている理解できてしまう。

そうして今まで私が無意識に口にしてきた、耳にしてきた「かわいい」という言葉の意味を記憶の中から引っ張り上げては、どれだけ優越感を孕んでいただろうか吟味しては怖くなって投げ捨ててしまいたくなるような気持ち。

 

 

 

そうして彼は同じくアイドルの少女を犯人にしたくない、クラスメイトの森下と彼女の疑いを晴らそうと策を巡らせる。

この森下くん、クラスでは人気者で、普通だったら主人公の山城くんには住む世界が違うような存在なのに、森下くんは何もかも投げ打って彼女を救おうとする。新たに人を殺めて、殺人の罪を被ってまで。

そんな協定のようなものを結びながらも、最後の最後で彼らの抱く「かわいい」が根本的に違うことを端に、気を張っていた山城くんの拠り所が崩れ去ってしまう。

この、結局は理解されないんだ、どうしようもないんだ、っていう絶望にも似た突き放されるような感情が本当に私にとっては痛切で。

客観的主観的事実たる「かわいい」は共有することはできても、きっと、どれだけ思っているかなんて一生分かり合うことなんてできないんだ、分かり合えるなんて幻想だよ、という気分にさせられる。

「かわいい」だけにとどまらず、何かをあいしているという事実は伝えることができても、それがどれほど私の中を占めているかなんて理解してもらおうという方がおこがましいよ、なんて。ましてやそれを、本人に求めるなんて。

ただひっそりと「かわいい」と思う心に、ひとり殉じていればよかったのに。誰にも打ち明けず誰にも迷惑をかけず、自分だけは「違うんだ」って盲信していればよかったのに。

 

 

そうは思えど、私に山城くんを糾弾するような資格はない。

殺人に関わることはなくとも、何か根拠のない優越感をとにかく抱いていたかった時期があって。無意識に。

自分の抱く感情は特別で、そんな特別な感情から起こした行動なのだから、事態は何かしら好転するはずなんだって、無邪気に信じていた私を、未来の私がこうして「愚かしいね」なんてわかったような口をはさむなんてそれこそ地獄みたいだ。

 

 

 

 

そして、「正しさの季節」。

先に描かれた殺人事件に関わる「被害者たち」の物語。

読みながら思わず呪いみたいだって思った。

事件を通して色んなものを失った人たちが一堂に会して、自分がいちばんかわいそうだって言う。

そのうち、感情から出た言葉がひとり歩きして、「かわいそうだ」って認めてもらわなくちゃ、自分がいちばん不幸なんだって認めてもらわなくちゃ満足できなくなってしまっている人たち。そんなことしたって、なんの慰めにもならないことは、冷静になればたぶん誰だってわかる。

でも、その「かわいそうだね」って認めてもらうことの気持ち良さを分かってしまう私もいる。やっぱり不幸なんだって、だから何もかもは仕方のないことなんだってことにして酔いしれてしまいたい感じ。

そして、だから、お前なんかが被害者面するなっていう気持ち。

 

 

そんなやり取りの後の、いちばん最後の台詞に、少しほっとする。

物語を読みながら、ぞっとしたりわかったつもりになったりほっとしたりするのも、全部私のさじ加減なのだけれど、少なくとも私はなんかいいなって思った。

前半で「かわいい」と好意を寄せていたからこそ招いた一連の出来事と、最後に台詞で明かされる行為を抱いていたからこそ得られた安堵が、どちらも感情の出どころは似たようなもののはずなのに、こうも読んだ時の心持が違うものなのだと改めてびっくりする。

2年という時の経過が為せるものなのか、もしくは人となりによるものなのか分からないけれど、たぶん、そういうある種の身勝手さがなんだかんだ言いながら、私はすきなのかもしれない。