ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『虚構推理短編集 岩永琴子の出現』

『虚構推理短編集 岩永琴子の出現』 城平京

虚構推理短編集 岩永琴子の出現 (講談社タイガ)

 

 

原作小説をもとにコミカライズが展開され、つい先日アニメ化も発表された『虚構推理』。

kyokousuiri.jp

 

 

 

 

 

今回手に取ったのはその原作小説『虚構推理』の続編に位置する短編集。

それぞれが独立したお話で構成されていて、前回の内容に言及されている箇所はほとんどなかったように感じたので、続編とは言え、この短編集から入っても十分楽しめると思いました。

 

『虚構推理』シリーズ全体に共通することですが、怪異というこの世ならざるものを取り巻く物語ながらも、一分の隙もない程にロジックを積み上げながら事件の解決に至る過程がとてつもなく面白い。

片目と片足を引き換えに怪異たちの知恵の神となった少女、岩永琴子が怪異の相談事に乗る形で、時には怪異に納得させるために真実を語り、時には怪異に触れた人を欺くために虚構を積み上げる。

この万事が上手く収まるように、もっともらしい出来事として打ち立てていくのがとても新鮮で。

 

 

論理の積み上げと言えば短編集『第五話 幻の自販機』が印象的。

ある事件の犯人が、ふとしたきっかけで狸の化物が営む幻のうどんの自販機を利用してしまったがために犯行時間との辻褄が合わなくなってしまう。

犯人の供述をもとに自販機を探し出そうとする警察をなんとかして欲しいと狸が相談を持ちかけるというもの。

琴子と刑事が対峙し、口述であらゆる可能性を潰しながら論理的に別の「在り得たかもしれない現実」に導いていく場面が本当に濃密。琴子の唱える案に刑事が反論を返すも、さらにそれを上回る確か「らしさ」を以って制する展開に痺れる。

 見た目は可憐な少女ながら論理的な思考においては他の追随を許さない。

 

 

 

 

見た目のギャップと言えば、中学生と見間違われる琴子も実は大学生で、大学院生の桜川九郎とお付き合いしている。一応。多分。そういうことになっている。

琴子から九郎へのアプローチがとにかく情緒の欠片もなくて。

九郎の琴子への態度も非常につれないもので、琴子がしつこいのは確かだけれどそんなに塩対応するか普通?? ってくらいそっけない。

でもこれでも恋人同士なのだから、世の中にはいろんな愛の形があるのだなとしみじみ思う。

そんな風に彼らのやりとりはちぐはぐでコミカルなのに、結末では人の業というものがこれでもかというくらいに炙り出されて心が重たくなるようなものが多い。

『第一話 ヌシの大蛇は聞いていた』では、大蛇の元へ一緒に向かおうという琴子の誘いを「作った豚汁をゆっくり食べたいから」という理由で断った九郎のいい加減さに頬が緩んだのもつかの間。

大蛇の相談事に対する琴子の回答があまりにも凄惨でどろどろとしていて、前半とのギャップに肝が冷えてしまう。琴子の提示した回答が真実とは限らないけれど、いちばんそれが現状ではもっとも「らしい」という落としどころが絶妙。

『第二話 うなぎ屋の幸運日』は、うなぎ屋に来た男性ふたりの会話を中心に進んでいき、他のお話とはまた違った雰囲気で新鮮だと思いながら読み進めていたのですが、結末に思わず足元が冷えるよう。

琴子のキャラクターがあまりにも浮世離れしている一方で、それ以外の登場人物があまりにも欲や業を体現していてそのギャップや、救いのない落としどころに驚かされる。

 

 

 

 

 

かなり現実からずれている琴子の恋人である九郎がもちろん普通の人であるはずもなくて。

幼い頃に不死の人魚と死ぬ間際に予言を遺すくだんの肉を口にしたため、一度死ぬ度に近い未来を視るという能力を持つ。怪異から見ても九郎は化物じみているという。

この能力、普通にファンタジーバトルものであればほぼ最強に近いと思うのですが、あくまでも最終目的は対象をねじ伏せることではなく、怪異の知恵の神としてもっともらしいと周囲を「納得させる」こと。琴子があまり九郎にこの力を使ってほしくないと思っているということもあって、万能に登場するということはない。

この能力は小説『虚構推理』でいかんなく発揮されたのですが、『第三話 電撃のピノッキオ、あるいは星に願いを』でも琴子の作戦を成立させるため、尽きることのないその命を賭して最善の未来を選択する。

当たれば即死の電撃を放つ人形と対峙する場面で、九郎が不死身であると分かっていながらもつい手に汗握ってしまう。

怪異ですら身の危険を感じてむやみに近づかない電撃人形を相手に取れる以上、やはり九郎は怪異以上に化物なのかもしれないと改めて思った。 

琴子の完璧な作戦、論理に届かない現実を限りない死をもって補う九郎。

こうして見ると非の打ちどころのない程に完璧なふたりなのに、なのに。

 

 

 

私が最初に原作小説『虚構推理』を手に取ったのは講談社文庫版なのですが、講談社タイガからコミカライズを担当されている片瀬茶柴さんにより装い新たに発売されたみたいです。

基本的な内容はノベルス版も、講談社文庫版も、発売されたばかりのタイガ版も変わらないようなのでお好きなものを。

私は思わず新装版も買ってしまった、つい、装丁イラストがかっこよくて。

虚構推理 (講談社タイガ)

虚構推理 (講談社タイガ)

 

 

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というか講談社タイガ城平京作品と言えば『雨の日の神様と相撲を』もめちゃくちゃ面白いので読んでほしい。今思えば、『雨の日も神様と相撲を』も『虚構推理』同様、登場人物たちは軽妙なやり取りを交わしながらも、一皮めくったその先はとてつもなく酷な現実が待ち受けていて、その結末に当時読んでいてゾクッとした。

それから主人公の少年の飄々としたやり取りが、何故だか当時の私にはあまりにもシュールで、ツボにはまりひとりげらげら笑いながら読んでしまった。もしかしたら意図されたシュールさじゃないのかもしれないけれど。

雨の日も神様と相撲を (講談社タイガ)

雨の日も神様と相撲を (講談社タイガ)

 

 

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 これだけ最後に城平京作品を薦めながらもコミカライズ版は一切手を触れていないので、しぬまでにはよみたい。