今やひとつのジャンルとして書店で展開されることも珍しくない「ごはんもの」。
ここで私がひっそり素晴らしさを語るまでもなく、じゅうぶん人気と支持を得ているジャンルではあるけれど、私は私のすきなものについてただただ話がしたい。
ごはんにまつわる本の話がしたい。
特に暮らしや生活の中の一部として描かれる「ごはん」がたまらなくすきで、読んでいて思わず料理をしたくなったり、本に書かれている暮らしに憧れたりしてしまうような本を中心に話をしていきたい。
小説
『九つの、物語』 橋本紡
大学生のゆきなの前に、長く会っていなかった兄がいきなり現れた。女性と料理と本を愛し、奔放に振舞う兄に惑わされつつ、ゆきなは日常として受け入れていく。いつまでもいつまでも幸せな日々が続くと思えたが…。ゆきなはやがて、兄が長く不在だった理由を思い出す。人生は痛みと喪失に満ちていた。生きるとは、なんと愚かで、なんと尊いのか。そのことを丁寧に描いた、やさしく強い物語。
(「BOOK」データベースより)
誰かを思って料理をするということはなんてあたたかいのだろう、と初めて気付かせてくれた、とても大切な一冊。
この小説を読んでから、私にとって台所に立つということがほんの少しだけ特別になった。
出てくる料理はどれもまなざしの込められたもので、生きていく中でそういう「まなざし」は人から人へと受け継がれてゆくものなのだということが、私の心をあたたかくする。
トマトスパゲティに入れるスパイスの量はいい加減でよくて、そうやってちょっとしたさじ加減で味が変わるのは人生みたいだって一節がとても心に残っている。
『キッチン』 吉本ばなな
家族という、確かにあったものが年月の中でひとりひとり減っていって、自分がひとりここにいるのだと、ふと思い出すと目の前にあるものがすべて、うそに見えてくる―。唯一の肉親の祖母を亡くしたみかげが、祖母と仲の良かった雄一とその母(実は父親)の家に同居する。日々のくらしの中、何気ない二人の優しさにみかげは孤独な心を和ませていくのだが…。世界二十五国で翻訳され、読みつがれる永遠のベスト・セラー小説。泉鏡花文学賞受賞。
(「BOOK」データベースより)
こちらは今さら私が取り上げるまでもなく有名な作品ではあるけれど、すきなものはすき。何度だって読み返したい。
人との暮らしの中で同じものを食べて、同じ時間を過ごすうちに、悲しみに折り合いをつけて次第に乗り越えていく過程が本当に、本当にすき。
劇的でドラマチックなことが起きなくとも、大切な人が増えてゆく。
当たり前のように何でもかんでも幸せなことばかりではないけれど、美味しいと思うものを一緒に分かち合える人がいるというだけで、希望と呼びうるものが見つかりそうな気がしている。
『それからはスープのことばかり考えて暮らした』 吉田篤弘
路面電車が走る町に越して来た青年が出会う人々。商店街のはずれのサンドイッチ店「トロワ」の店主と息子。アパートの屋根裏に住むマダム。隣町の映画館「月舟シネマ」のポップコーン売り。銀幕の女優に恋をした青年は時をこえてひとりの女性とめぐり会う―。いくつもの人生がとけあった「名前のないスープ」をめぐる、ささやかであたたかい物語。
とびっきりの事件が起こるわけでもなく、ただただ穏やかに時が流れてゆく。
だからこそ、登場人物の暮らしぶりやちょっとしたこだわりが繊細に描かれていて、息遣いが聞こえてきそうなくらい。
あらすじの通り「名前のないスープ」をめぐるお話で、すごい時間とお金をかけて仰々しい名前のついた由緒ある料理でなく、なんでもない、名前さえつかないような料理の数々に生かされてここにいることが、とても素敵なことのように思えた。
例えばコンソメスープを作るとして、本当の目的はコンソメスープを作ることではなくて、その先にあるのだと思ったら、名前なんて大事ではないのだと感じた。
漫画
『ホクサイと飯さえあれば』 鈴木小波
自炊の喜びと楽しさに満ち満ちた漫画。
料理の支度をする時間も、出来上がりを待つ時間も、食べる時間も、そのどれもがわくわくでいっぱいに描かれている。
例えば、一巻の表紙に描かれているミートボールスパゲティとか少しだけ現実離れしたテンションの上がる料理のひとつだと思うのですが、そういったものを楽しむ様子が本当にいきいきとしているものだから、ミートボールスパゲティは思わず読んだその日にスーパーに買い出しに走って作ってしまった。
私が作るとだんだん丸めるのがめんどくさくなってミートボールが少しずつ大きくなってしまうところまでなんだか楽しい。
他にもパフェのための器を買いに出かけたり、出かけるにふさわしいお弁当を考えたり、生活全部、身体全部で食べることつくることを楽しんでいるのが、読んでいてとても伝わってくる。
試し読み
『甘々と稲妻』 雨隠ギド
妻を亡くしたお父さんが、娘のために苦手だった料理に取り組むお話。
色んな人のまなざしを受けて、娘のつむぎちゃんが成長していく様子が本当にあたたかい。時に喧嘩をしたり、勘違いをしたり、父ひとりで幼い娘を育てる大変さも描かれている中で、ふたりを繋ぐ鍵として料理が描かれているのが本当によい。
料理を通して、登場人物みながそこから何かを得て、成長していく。
始めは園児だったつむぎも今では小学生になって、つむぎ自身が自発的に誰かの為に何かを作りたいと言い出したり、手伝いをしたり、と物語の中ながら子どもの成長はこんなに早いものかと驚かされてしまう。
この作品の中の、お母さんが昔作っていたドライカレーを作るお話がとてもすきで、私自身作中のレシピに倣ってドライカレーをよく作る度に、大喜びのつむぎの笑顔が脳裏に浮かべてはなんだか微笑ましい気分になってしまう。
試し読み
『さめない街の喫茶店』 はしゃ
ある日突然眠りから目覚めることができなくなったスズメは、「ルテティア」という“さめない街”に迷い込み、キャトルという喫茶店で働くことに。
喫茶店を訪れる人たちとのやり取りが、絵のタッチも相まって微笑ましくやさしい。
ただ、物語の節々でスズメが眠りから目覚めず、街を訪れた理由が仄めかされる度に、現実で何か辛いことがあったのではないかと勘繰ってしまい、物語のあたたかさにやさしさと切なさを見出して胸がいっぱいになってしまう。
小さな魔女の双子たちがお気に入りのキャラクターで、スズメにあれ作ってこれ作ってとせがむ姿がとても可愛らしい。
ファンタジックな世界観ではあるものの、作中に登場するメニューは全部実在するもので、現実世界で私が作中に登場する料理やお菓子を口にするたびにちょっぴり別世界へ誘われたような気分にさせてくれる素敵な作品。
試し読み
エッセイ
『とりあえずウミガメのスープを仕込もう。』 宮下奈都
『羊と鋼の森』の著者でもある宮下奈都さんによるエッセイ。
日常の料理にまつわる思いを通して、家族に対する思いや人生観を垣間見る。
食を中心とした生活にまつわるエッセイの言葉の中に、宮下奈都さんのとてもあたたかくてやさしい人柄がよく表れていて、「素敵だ」という思いでいっぱいになる。
ただただこんな風に暮らしたいと思ってしまう。
子どもが美味しいと言ったレシピのことだったり、ただ目の前にあるだけではなんてことない料理の数々が生活の中できらきらと輝いていて、愛おしい。
嗅覚が衰えてしまったという話の中の「成長は大事かもしれないけど、自分の大事なものを豊かに育んでいけばいい。そのためにはきっと、退化する部分も必要なのだ」という一節がとても心に残っている。
きっとまた何年か経った後に読んだら違った印象を受けるのだろうなと思う。
小説と違って、確かな実感を伴って暮らしの中の料理、というものに触れることができた大好きな一冊。
『もぐ∞』 最果タヒ
私の大好きな詩人、最果タヒさんによる、「食べる」ことに焦点を当てたエッセイ。
アイスクリームやパフェ、カレーやラーメンなど、ごくごく定番の食べ物についての思いをこれでもかというくらいに独特の感性で描かれている。
中には、あまりの勢いで食べ物への愛を語るものだから笑いだしそうになってしまうものもあったり。
想像を超えるオムライスには出会えないという共感できるお話もあれば、抹茶ソフトに物申して私と意見の食い違う部分もあったり。それでもどれもが妙に納得感の得られる形できっぱりパワフルに自分の食べ物に対する考えが書かれていて読み物として面白い一冊。
中でもパフェがとりあえず最強の食べ物の一角であるという話には全面的に賛成で、パフェを目の前に思わず背筋を伸ばすようになったし、これからもパフェと対峙する時には全身全霊をかけて食べつくしていきたい。
以上、私の心の中で暮らしを支えるごはんにまつわる大切な本たち。
こうして明日も「暮らし」と「美味しい」が続いていく。