ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『青くて痛くて脆い』

『青くて痛くて脆い』 住野よる

青くて痛くて脆い

 

 

あるひとりの男子大学生を主人公とした物語。

今までそうしてきたように他人と距離を置いて大学生活を送っていくつもりが、入学早々空気の読めない同級生、秋好寿乃と出会い、なし崩し的に同じ時間を過ごすことが増えてゆく。

そうして彼女の勢いにほだされて「モアイ」という名の秘密結社を立ち上げたが、時を経るにつれ、参加人数が増えるにつれ、結成当初の理想からはかけ離れ、次第に居場所がなくなってしまう。

結成から3年、かつてのあるべき姿を取り戻そうと、主人公の田端楓はひとり誓う。

 

 

あまりにも愚かしくも痛々しい登場人物たちの行動がどこか他人事とは思えなくて、こんなこと止めておけばいいのにと彼らに対して思いながらも、物語から目が離せなかった。

なんとなく想像していた結末ではあったけれど、実際目の前にしたらあまりにも壮絶でありったけをもって傷つけ合うものだから、どこか彼らに対して否定的だったのに、私まで苦しくなってしまう。

一度傷ついたから次は同じ轍を踏むことはないなんて保証なくて、だから私はこの物語における登場人物たちの変化を決して「成長」とは呼びたくない。

「成長」と呼ぶことはなんだか帳尻合わせみたいで、都合が良すぎて、もっと誰かを傷つけてしまったということ、その可能性があるということを生っぽい感情のまま心に留めておきたいと思う。

 

 

※以下、物語の内容に触れています。ネタバレを避けたい方、未読の方はご注意ください。

 

 

 

お為ごかし

秋好の為だと言って、まるで自分が正義であるかのように意気揚々と「モアイ」のあら探しをする楓のことを、正直に言うとどこか気持ち悪いと私は思いながら読んでいた。

「秋好はもうこの世界にいない」なんて言って現実から目を逸らしているのも、(実は生きているのではと勘繰っていただけに)健全ではない、と思いながら。

そんな風に独善的な楓の言動に嫌悪を抱くのは、私にも覚えがあるからで。

足を止めて頭を冷やすタイミングは何回かあったものの、次第に熱を帯びていく楓の行動こそが私にとっては痛々しく見えて。

 

結末で楓が大きなしっぺ返しをくらう前から、彼の平穏を願うわけでもなく「愚かしいことはここらへんで止めておいてくれ」なんて思ってしまった。

彼の行動が薄っぺらすぎて物語としてイマイチというようなことを言いたいのではまったくなくて、そういう一種の愚かさに嫌悪を抱く私もまたきっと楓と同じなのだと、頭の隅では思っていた。

楓は秋好のことも、協力してくれる友人のことも、「モアイ」のメンバーのこともどこか見下げていて、そうやって何かを見下げることによって優越感を得ることが、私にもままあるだけに、楓のことを「気持ち悪い」と思えば思うほど、それが自分にも返ってくるような気がした。

 

終盤の楓と秋好が対峙して、お互いに言葉を振りかざす場面。

お互いが「あなたの為」だと言いながら、分かった気になって、自分で暴走して、終いには思いやっていた相手の居心地のいい場所さえ、壊してしまう。

ごくシンプルではあるけれど、彼らは話をするべきだったんだ、と私は思う。

最初はちょっとした脱線でも、繰り返し思えば思うほどに、当初の感情は違う言葉に成り代わってしまう。おまけに自分は他の人とは違うんだという感情、少しだけ気に食わない人が不幸な目に合うのは、甘美だ。シャーデンフロイデ

その甘美さに浸ること、きみはきっとこういう人だからという枠から外れてしまうことを疎ましく思うこと。そんな感情があってもどうにもならないんだってこうして読者(第三者)として見ているときはすぐにわかるのに、当事者になったらなかなか思い至らないということに、今さらながらにぞっとした。

 

 

 

他人との距離感を

「やって、それが田端さんが私に対して掴んでる、距離感なんやと思って、それって世の中で思われてるよりもずっと尊重されるべきことやと思うんですよ」

p.158

 大学の後輩に対して敬語で接するのはおかしくて、タメ口で話をするべきか、ということについて、楓とその後輩の子が話をする場面。

 

ここで交わされる一連のやりとりが特に印象に残っていて、思わずこれだ!! って思った。

例えば作品に倣って大学生の飲み会で言うところの「告白しちゃいなよ」とか「それで付き合ってないの?」みたいな言葉を聞くたびにどこかもやもやとする部分があって、勝手に型にはめて名前を付けないでくれ、とその度に思っていた。これが私が相手に対して掴んでる距離感なのだからこれでいいのだ、と思ったらなんだか前述のようなことを言われても広い心で受け流すことができそうだ。

 

それに、誰かが抱いているそういう距離感に対しても、きちんと尊重したいな、と思う。

名前の付いた、定型文みたいなものだけが特別なわけじゃないんだってことを、念頭に置いて生きていきたい。

 

 

 

 

最後に。

そんな風に、この物語を読みながら照らし合わせるようにして自身の青臭さや痛々しさを見出したけれど、「あの時は若かったよな」なんて私が言うことに意味なんてなくて、今この瞬間も良かれと思って誰かの思いを踏みにじっているかもしれないということ、自分の口から出た言葉は誰の為のものなのか、ということだけは時々立ち止まって考えられる余裕を持っていたい。