ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『毎年、記憶を失う彼女の救いかた』

『毎年、記憶を失う彼女の救いかた』 望月拓海

毎年、記憶を失う彼女の救いかた (講談社タイガ)

 

第54回メフィスト賞受賞作にして、静岡県浜松市を舞台にしたミステリアスでせつない恋愛小説。

浜松市内の書店さんでは大々的に取り扱われており、静岡限定カバーなるものも存在しているみたいです。

 

 

※以下、決定的なネタバレは避けていますが、勘のいいひとは結末に気付きかねないので未読の方はご注意ください。

 

 

 

あらすじ

事故の後遺症により1年ごとに記憶を失ってしまう主人公の尾崎千鳥。

どれだけ時代が進もうと彼女自身の体力が変化しようと、事故の日が来れば彼女の意識は事故当初の20歳に戻ってしまう。

そんな千草の前に、どうやら彼女のことを知っている様子の男性――天津真人が現れ、ひとつ賭けを持ち出される。

「1ヵ月デートして、僕の正体がわかったら君の勝ち。わからなかったら僕の勝ち」。

千鳥は不承ながらも逢瀬を重ねるうちに、真人の人となりに触れるたびに、彼の真意に近づいていく。

真人の正体と、彼が抱える秘密に気がついた時、不可解に思えた彼の行動すべてに壮絶な愛をみる。

 

 

 

あまりにも細かすぎる浜松の描写、怒涛のローカルネタ

何を隠そう、私自身静岡県浜松市に住んでいたことがありまして。

様々な浜松市内の観光地や駅周りの描写があるのですが、もうそこに描かれているものがあまりにも馴染みのあるものばかりで、読みながらついつい頬が緩んでしまいました。

話はどんどんミステリアスな方向へ進んでいくのに、時折挟まれるローカル情報にふふっとなってしまう。

 

物語の序盤で登場した主人公の千草が通う聖華浜松病院。

この元ネタには思い当たる節がありすぎて、思わず小さく声出して笑ってしまいそうに......。

それから鰻屋さんや今となってはネットで時折名前を見るようになったげんこつハンバーグの「さわやか」も出てきて、これは完全に浜松市の観光促進小説。うなぎ藤田はいいぞ。東京の白金台にも店舗があるよ。

他にも竜ヶ岩洞浜名湖パルパル浜松城など名前を知っているどころか普通に行ったことがあるし、作中人物の見る光景がありありと浮かぶレベル。

果てには目的地に向かうためのバスの系統番号なんて細かい情報まで描写されていて、完全に浜松の人しか分からないやつだこれ!!! と読みながら異様にテンションが上がってしまう私。

 

もちろん小説である以上、話の流れや登場人物のキャラクターがメインで浜松というのは舞台要素のひとつにすぎないのかもしれない。

それでも物語ではあるけれど私の知る街並みで千鳥たちがこうして息づいていることに感動を覚える。

あの場所で千鳥は悩み、喜び、涙を流したのだと思うと、またひとつ今までとは違う感情をもって浜松のことが一層すきになりそう。

 

 

 

 

千鳥の記憶と真人の秘密

千鳥自身の割り切りの良い性格もあってか、事故の後遺症を抱えてしまったという現実に不安を覚えながらもいつまでも引きずらない姿勢に、いくぶんか救われました。

自暴自棄になるどころかしっかりと自分の身は自分で守ろうとする千鳥の姿勢に、彼女の目の前に現れた真人という男性は一体どんな人物なのだろう、と千鳥と同じ視点に立って思いめぐらせることができました。

 

昨年の記憶をすっかり失ってしまうという設定がこれまた妙で、真人に関する過去の千鳥のメモが登場したときには、思わず不穏なものを感じて思わずとんでもない後味の結末を迎えてしまうのかとひやりとしました。......なんていうか、ほら、メフィスト賞受賞作だし。(本棚の乾くるみ作品や浦賀和宏作品を眺めながら)

 

 

とりあえず、物語の前半では記憶を失うことをさっぱりと受け入れていた千鳥が、大事なものが増えていくにしたがって記憶を失うことを負い目に感じ始めてしまうことに、胸が痛む。

記憶を失うということが、自分自身だけの問題ではなくなってゆく、ともに問題視してくれる人がいるというのはしあわせである反面、その記憶を失ってしまうことが分かっている以上、やるせなさが募る一方でした。

 

そしてなんといっても、物語の結末に向けてずっとひた隠しにされてきたとある重大な秘密。

タイトル通り、これは真人が「毎年、記憶を失う」千鳥を救うための物語でした。

千鳥を救うにあたっての真人の覚悟が壮絶すぎる。

きっと私が「壮絶」だと感じる程に、最初から真人は千鳥にまなざしを向けていたのだと思うと、胸がいっぱいになる。

「救いかた」なんて言いながらも、決して勝算のあるものではないし、道のりも楽なものではない。それでも、真人は千鳥以上に彼女の後遺症が治ることを切に信じていたということに。

 

「すべての伏線が、愛――。」というのはこの作品の惹句だけれど、まさにその通りで多少強引な真人のデートの誘いも、不可解な行動も全部愛ゆえだったなんて。

 

読み返せば真人以外にも、病院の先生や友人など千鳥の周りには愛と理解に溢れた人がたくさんで、本当に千鳥と真人の今後がしあわせなものであってほしいと願う。

浜松要素も相まって、私にとって一冊で二度おいしい物語でした。

 

 

 

 

そして、最後にどうしても言いたいことがあるのです。

限定カバーでなく、通常版の表紙。

最初は講談社タイガ作品で写真カバーなんて珍しいな、くらいにしか思っていなかったのですが、こうして見返すとなかなか感慨深いものがあります。