『デイ・トリッパー』 梶尾真治
梶尾真治さんが描く時間SFもの、ということとタイトルや表紙の雰囲気が好みで、つい手にとってしまった作品。
「時間」というのは舞台装置に過ぎず、あくまでもそこに生きる人たちの物語なのだとあたたかみを感じるものでした。
北村薫さんの時と人三部作(『スキップ』『ターン』『リセット』)がすきな人はきっとこの物語も気に入るはず。
以前に『美亜へ贈る真珠』を読んでからというもの、未だに同じく時間SFものの『クロノス・ジョウンターの伝説』を積んでることはここだけのナイショ、ということで......。
いつかちゃんと読むから、未来に。あるいはそうでなくてもちゃんとパラレルワールドの私が読んでるから、ちゃんと。きっとそこは既に私が『クロノス・ジョウンターの伝説』を読んだ世界。
あらすじ
最愛の夫・大介を亡くし、失意の底にいた香菜子の前にひとりの女性が現れる。
過去に戻って香菜子を大介に再び合わせることができるという。
発明された機械の名は遡時誘導機――デイ・トリッパー。
発明者の意向により、故人に会うためだけに使用が許された「デイ・トリッパー」で、大介に自身の死期は伝えてはならないという条件で香菜子は意識を過去の自分自身で送り込む。
そうして香菜子が目を開けるとそこには、かつての元気な大介の姿があって――。
大介の死を知りながら香菜子は、再びもたらされたつかの間の幸せな生活の中で、何を思うのか。
タイムパラドックスというジレンマ
重々タイムパラドックスを起こしてはならないと釘を刺された香菜子が、それでもなんとか目の前の大介を救うすべはないかと画策する姿が本当に痛切で。
せっかくもたらされた大介との楽しい時間なのだから大事に明るく過ごそうと思っても、気が付けばそう遠くない未来に彼に死が訪れ、自身は大介のいないに未来に帰らなければならないことを思い出してしまう。
直接彼に死を伝えるのはだめでも、思い出作りに一緒に温泉に行くのはいいよね、とか、2人の間に子供さえいたらこんなに寂しくなかったかもしれない、と思いが巡ってしまう香菜子につい感情移入してしまい、悲しい結末だけはどうかと願いたくなる。
今はもう会えない大好きな人に再び会えるというのは確かに非常に魅力的ではあるけれど、その先で待ち構える不幸が分かっていながらも何もできないというのはなんて酷なのだろう。
また今回香菜子が過去に戻ったのは何か偶然超常的な力が働いたのではなく、何もかも自分で了承してのことだ。
それなのに、頭では分かっていながらも縋ってしまうところに生々しい人間味を見た。
迎えた結末のあたたかさ
※以下、やや結末に触れています。未読の方はご注意ください。
そんな香菜子が未来に戻ったらどんな現実が待ち受けているのだろう、とどきどきしながら読み進めていました。
彼女なりにタイムパラドックスに気を使いながら積み重ねた小さな行いは実を結んだのか、またそんな些細な行動が現実にどんな影響を及ぼしたのかと。
時間SFのすきなところって、変わってしまった現実に主人公とともに困惑する感じなんですが、香菜子と同じような気持ちで現実はどうなってしまったのかページを捲りながらひとつひとつ紐解いていくのは本当に私にとって至福のひと時でした。
そうやって最後に香菜子に提示された現実は素敵なもので。
私たちがどうしようとも覆せないものは覆せないようになっているのだから、タイムパラドックスを恐れる必要はなく、結果どんな世界も正しいのだというの言葉が本当に希望に聞こえた。
これも天下り的にご都合で最後に出された展開ではなく、登場人物たちが過去に戻り悪戦苦闘を繰り返して得られた結論なのです。
それこそ、香菜子の助力があってこそ、と言っても過言ではない。
最後に大介が生き残るであろう世界を残せたことはもちろん、何より大介自身も香菜子の頑張りを身をもって体験し素直にそのことに対する感謝を口にするというあたたかさに満ちた結末が本当によい。