『おまえのすべてが燃え上がる』 竹宮ゆゆこ
『知らない映画のサントラを聴く』『砕け散るところを見せてあげる』に続いて私にとって3作品目の竹宮ゆゆこ作品となる今作。
率直に言うと今回の『おまえのすべてが燃え上がる』が群を抜いて好みでした。それどころか、ここ最近読んだ作品の中でも特別引き込まれてしまいました。
はじめ、軽妙な登場人物たちのやり取りにふわふわーとした気分で読み進めていたのですが、ふと気が付けば主人公の不器用さや境遇に心を鷲掴みに。
そうして迎えた結末に得も言われぬ「あたたかさ」を感じて、思わず手にしている文庫の端っこをぎゅっと握ってしまいました。
※以下、ネタバレを含んでいます。未読の方はご注意ください。
あらすじ
愛人生活が正妻にばれ、生活レベルが急落してしまう樺島信濃。
スポーツジムの受付のアルバイトだけでは生きていくことができず、かつて愛人に貢がれたブランドものを売りながら、なんとか糊口を凌いでいた。
心が折れそうになるといつも決まって現れるのは、弟の睦月と、もう、過去に二度も絶交したはずの醍醐健太郎。
信濃にとって気安い関係であるはずなのに、無条件でいつまでもあたたかく迎えてくれる場所はいつまでもここにあるわけではない、かりそめの安らぎに過ぎないのだと夜が明ける度に自戒と後悔の念が押し寄せる。
恋仲になることを期待するも無自覚に手痛く突き放されてきた過去から、なんとか醍醐と距離を置きたいと考えるも、いつも醍醐は目の前に現れる。
信濃が見出した醍醐との関係性に対する答えは。
コミカルとシリアスのさじ加減
先程も書いたんですが、ピーキーなキャラクターたちに振りまわされているうちにいつの間にかしっかり心を掴まれていました。
「......わあ! 気が付きゃ半年ぶりのビールだよ! 音速! 食道にソニックブーム出た! うまいかどうかすらわかんなかった! もう一杯!」
p.50
なんて信濃の台詞のものすごい勢いに、よくわからないけれど笑ってしまって、悔しい......食道にソニックブームってなんだよ.....と思いながら読んでいたのに、少しずつ信濃のこれまでの経緯が明かされるうちに笑っている場合ではなくなっていく。
睦月と醍醐とどんちゃん騒ぎをしては、ふと現実に帰る度に、こうして何者にもなれずただ漫然と生きていることに感傷的な気分になってしまう信濃に心が痛む。
「おしろがほしいよ......! 本当のおしろがほしい!」
p.193
極めつけは、自分の居場所が欲しいというこの台詞。
他の人が当たり前のように享受している家族や恋人によって無条件に受け入れられるという安らぎを得ることができず、寂しいと嘆く信濃の姿に、持ち前の明るささえ、からげんきのように思えてしまう。
始めはぼんやりといろいろぶっとんだ人だな、と信濃のことを思っていたのに、彼女の抱く「生きづらさ」がぽつりぽつりと語られていくにつれ、気が付けばこの物語に夢中になっていた。
信濃と醍醐の関係性と弟の睦月
傷を舐め合うようにして時間をともにする信濃と醍醐を見ていて、私の精神衛生上、よろしくないなと思っていた。
信濃の言葉を借りるなら、醍醐は失った幸せのスペースに信濃を当て嵌めてみただけだ。そんなもの、醍醐にとって完全無欠の幸せであるはずがないし、信濃にとっても本当の「おしろ」にはなりえない。
ただ、楽をしているだけなのだ。
過去の絶交のように恋かもしれないという期待と、そうではないのだと思い知る絶望を繰り返すだけ。
また、信濃の醍醐に対する考えは睦月の言葉によってくるくると変化する。
この弟は一体、姉をどうしたいのだろう、と初めの方は思っていたけれど、睦月の正体が明かされるとともに、なんとなく今までの彼の言動に合点がいった。
「あんたに後悔して欲しくない! それだけだよ! 今夜がこのまま過ぎちゃって、明日のあんたが泣いてたら、私はそれに耐えられない!」
(略)
「お願いだから、私と会えたことを、私がこの世にいることを、あんたにとって、本当に意味のあるものにして......! 私をそうやって、あんたの中で生かしてよ......!」
p.249
それでも、だからこそ、そうやって迷った末に信濃が醍醐にかけた縋るような託すような励ましの言葉に思わずぐっときた。
こういう「損なわれて欲しくない」という感情にたまらなく揺さぶられて感化されてしまう私。
信濃の抱く夢
白鳥さんに半ば強制的に連れられるようにして参加したジムのトレーニングメニューを経て、信濃は一気に視界がひらけたように思う。
もう、この終盤のちょっとずつだけ好転していく感じに、ものすごく体温が上がってしまった。
父親の再婚相手から借金の話が持ち上がった時は、もうこれ以上信濃に試練を与えないでくれーと思ったし、青葉さんが辞めてしまうという話になった時には、また信濃の居場所がひとつなくなってしまう、と思った。
それでも、父親の再婚相手はすごく信濃のことも真摯に考えてくれていることが分かったし、青葉さんとの最後のやり取りの中で序盤に出てきたクーポン券や「今でしょ」のやり取りが活かされる展開には「サイコーかよ」と思わずにはいられなかった。
読書好きになりたての頃に伊坂幸太郎作品を読み漁ったせい(?)で、こういう伏線や布石に出会っても「ふうん」としか思わないことが多くなったけれど、久しぶりに「ふわーっ」と体が持ち上がるような気持ちになった。
後半ダイジェストのようにして、決して満点の幸せとは言えない信濃とその周りの人たちの様子が描かれているものの、鬱蒼とした雰囲気はなく生命力あふれた様子で、そんな不幸もありのままに受け止めているように思えた。
序盤の展開が終盤に活かされるという意味では、「なんだって『2』が最高なんだ」という醍醐の台詞にも思わずにやっとしてしまう。
そうして、漫然と生きている自分自身に意味や価値を見出せなかった信濃が幸せとこれからの夢で胸をいっぱいにしてまどろんでいく様子をただただまぶしい、と思った。
多少の不幸はあれど、きっと信濃はこれから「生きたい」という思いだけは手放さずに生きていくのだ。
そう思えるようになった彼女の変化を心から祝福したいし、そうだよね、その気持ちだけは抱き続けてなくちゃいけないよね、と私自身も勇気づけられたような気持ちになる。