ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『装丁室のおしごと。』

『装丁室のおしごと。~本の表情つくりませんか?~』 範乃秋春

装幀室のおしごと。 ~本の表情つくりませんか?~ (メディアワークス文庫)

 

タイトル通り、帯を含めた本の装幀デザインを扱う出版社の装丁室の物語。

今作の表紙にも遊び心たっぷり。

こういう本にまつわる物語見つけるとすぐに飛びついてしまう......。

特に製本とか表紙とかそういうものに、本当に心惹かれます。

大体、『ルリユールおじさん』のせい。

 

ルリユールおじさん (講談社の創作絵本)

ルリユールおじさん (講談社の創作絵本)

 

 

 

今作には、仕事に対するスタンスが正反対の2人が登場する。

装幀は本の内容を体現する顔なのだと、物語を読み込んでデザインする本河わらべ。

一方、売れるのが第一、と原稿を全く読まない巻島宗也。

出版社同士の合併を機に、仕事の進め方の認識を統一するために2人はペアで仕事をすることになる。

案の定、衝突することになるわらべと巻島。

巻島があまりにも物語をぞんざいに扱うものだから物語の登場人物ながら私もわらべと一緒に「なんなんだあの人は」と思ってしまう。

もちろん彼なりに過去の経験に基づいた考えがあってのことなのですが、「いや、もう少しやり方あるでしょうよ......」と。

 

 

それでも、本は売れなきゃ意味がない、という彼の主張もよくわかる。

作品が売れなければ、作家だって(最近は兼業作家が多いと聞くけれど)生活していくことはできない。

そもそも手に取ってもらえなければ読んでもらうこともできない。

少し前にもTwitter等々で、似た雰囲気のイラストやタイトルの小説が多いということに何人かの読書家の方や作家さんが難色を示しているのを見かけた記憶がある。

もちろん「作品だけ」のことを思えば、その作品の色をふんだんに醸したデザインがいいに決まってる。作家さんが自身の命や生活を削って綴った物語は、唯一無二のものであるはずだから。

それでも、利益を生み出すための商品、という側面もある以上、理想だけ語ってはいられないのかもしれない。

それこそ、いち読者がどうこういうようなことではないのかもしれない。少しでも多くの人に読んでもらいたいと作家さん自身が思ったのならば、きっとそれはそれで正しいのだと思う。

 

どちらにせよ、装幀から汲み取ったイメージでぱぱっと手に取ってしまうことの多い私は、装幀家さんやイラストレーターさんにまんまとしてやられているのかもしれない。

 

 

 

今回の表紙だってイラストレーターのukiさんの名前から赤線がのびて、付箋の一部が左端に見切れているのが分かると思いますが、表紙をめくったところの見返しにもちゃんと印刷されているのです。実際に手に取らないと分からないところ、帯を外してみないと分からないところまで、色々な要素がぎゅっと詰まっているとなんだかわくわくします。実際に付箋に何が書かれているのか気になる方は是非書店へ!

 

 

 

物語の流れとしては、本当に色々な切り口でわらべなりに巻島なりに「よいデザインとは何か」を巡って話が進んでいくのですが、最後にはちょっとした事実が明かされてびっくり。

というか、わらべちゃんがそういうならいち読者の私としても巻島さんを認めないわけにはいかないじゃん。それってなんかずるいじゃん......? という感じで当初のぎくしゃくはどこへやら、ふんわりあたたかい結末を迎えます。

作中で、巻島さんになんとか本を読んでもらおうとあれこれ手を尽くすわらべちゃんが健気で健気で。

「狙った獲物は必ず沼に引きずり込む。読書沼という沼にね。だから、みんな彼女のことを河童と読んでいるそうだよ」p.160

(初版原文でも「読んでいるそうだよ」となっている。「呼んでいる」の誤植かしら)

とは、作中の登場人物の台詞。

 

気が付けば私も沼の住人になって早幾年。

積読本にあっぷあっぷしながらも、「まだよこせ、もっとよこせ」と本能が言う。

私ももっと周到に知人を沼に引きずり込めるなりたいものです。