『君は月夜に光り輝く』 佐野徹夜
loundrawさんのイラストがきれいな、第23回電撃小説大賞受賞作。
高校生になった主人公の少年は、岡田卓也は、「発光病」という病で入院中の少女、渡良瀬まみずと出会う。
発光病――月の光により体が淡く光り、死が近づくにつれ高度は増していくという。
あることをきっかけに少年はまみずに代わって「死ぬまでにしたいことリスト」の内容を実行していくことになる。
こういう「不治の病」系のお話、世の中にありふれているからこそ、作者の機微がちょっとした差になって現れるところがすき。
今回は何といっても、岡田くんの投げやりな人生観がとても印象に残っている。
女性関係にだらしない彼の恩人に代わって関係を清算しにファミレスへ行く、という場面にて。
「岡田くん、お願いがあるんだけど」
「なんですか」
「あなたにコーラぶっかけてもいい?」
「いいですよ」
p.102
このやり取りを読んで、思わずたまらないな、と思う。
こういう痛々しい登場人物に、つい目が離せなくなってしまう。
彼のどこか冷めたものの見方の根底には、姉の交通事故死があるのですが、生きるということ、死ぬということについてそれぞれの登場人物たちが様々な思いを抱いている。
そういう意味では、岡田くんの恩人が手あたり次第女の人と繋がろうとするのも、この世を儚んでいるからだ。
そんな岡田くんの死生観はどこか明るいまみずとやり取りを繰り返すうちに変化してゆく。
まみずだって、自らの境遇にほとんどを諦めてしまっている。
そうでなければ「死ぬまでにしたいことリスト」の実行を他人に託したりはしないはずだ。
私から見れば、岡田くんも、まみずも、「死ぬ」ということにしてお行儀良くありすぎたのだと思う。
実際に直視しようとすれば、周りの人を悲しませ疲弊させるだけだから、と。
だからなんだか分かったようなふりをして、「死なんてなんでもないよ」なんて態度を取る。
それでも、ふたりで「リスト」の内容をこなしていくうちに、生きるとか死ぬとかそういうものを前に大人ぶるより、もっと大事にしなくちゃならないことがあることに気が付く。
ふたりでこっそりと深夜の病院の屋上に上がって、望遠鏡で星を見る場面はとてもきれいだ。
夜とか雨とか、ひとけのないところで二人っきりで会話をするというシチュエーションに弱すぎる私。
バイオフォトン(biophoton)という現象は実際に存在するらしく、誰しも微弱に光を発しているという。あまりにも弱い光なので肉眼で見ることはできないみたい。ただ、細胞が傷つくほど強く光を発するのだという。例えば喫煙者の指先とか。
死に近づくほど光り輝くというのは、なんだか皮肉みたいだけれど、それはきっととても美しいのだろうな、と思う。
作品を通して「無」というのがとても象徴的で、死んだら後には何も残らない、だから生きてることに意味なんてない、というのが、立場は違えど、彼らの考えだった。
生きていて、例えば忘れてく自分が怖いんだ。君の笑い方を、声を、その激しい喜怒哀楽の表し方を、君の息の吸い方や吐き方のかわりに、英単語とか、くだらないクラスメイトの名前、新しい道順、そのうち名刺の渡し方なんかを覚えてく自分が怖いんだ。
という悲痛な岡田くんの叫びは、私にもよくわかる。
大事だと思っていたことが無意識に消化されていってしまうことに、できることなら抗いたい。
それでも、生きていたい、とか生きていなくちゃならない、と思わせるような執着に似た何かがあるから、生きてゆけるのかな、と思う。
そんな何かを、岡田くんも、まみずも、手にしてゆく。
この作品を読む際には、あとがきも併せて是非とも読んでほしい。
当たり前だけれど、この物語で描かれていることが生とか死とか恋とか執着のすべてではない。
でも、決して間違ってはいないのだと思う。
自分の中でそういったぼんやりとしたものを少しでも形にしたくて、こういう物語をつい、手に取ってしまうのかもしれない。