ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『臨床真実士ユイカの論理 文渡家の一族』

『臨床真実士ユイカの論理 文渡家の一族』 古野まほろ

臨床真実士ユイカの論理 文渡家の一族 (講談社タイガ)

 

 

初めて読む古野まほろさんの作品。

天帝シリーズや、メディアワークス文庫から出てる紅茶屋さんのお話も気になっている中、とりあえずは講談社タイガの作品を、と。

 

 

 

 

大学で心理学を学んでいる本多唯花は、他人の言葉の嘘を見抜くことができる。

客観的な嘘と、主観的な嘘。

例えば「私は魚」と言ったとする。魚がキーボードを叩いて意味の通る言葉を紡いでブログを更新するわけないので、客観的に見て「私は魚」だというのは嘘。(もしかしたらブログ更新する魚はいるかもしれない、未だ見ぬだけで)

そして、私自身ヒトだと思っているので主観的にも嘘。

ただし、もしも私自身、魚だと心から信じていた場合には「私は魚」というテキストは主観的には真実となる。

ある日この力を見込まれて、外の世界から断絶され、財閥の一族と使用人しか住んでいない文渡村で起きた事件について嘘つきを見つけるよう依頼されることになる。

 

 

まず、この二通りの虚実を瞬時に判断するという能力が巧妙に使われて、後半は本当にパズルが組みあがっていくのが楽しくて楽しくて。

まさか本格ミステリの伝統に則った「読者への挑戦状」があるとは思わず。

「読者への挑戦状」が物語の途中で差し込まれていると、ようやくクライマックスだという気がしてわくわくします。なんていうか、ジェットコースターがじりじりと最高点まで上がり切った感じ。

ミステリの読み方って本当に人によって様々だと思うんですけれど、私はパズルを自ら解くよりもそれを傍から見ているのが好きなのです。「それでそれで、今度はその手に持ったピースはどこにはめるの?」って。

作中の言葉のひとつひとつが論理的に、これは真実、これは嘘、と判定することができて最後には事件にまつわる真実だけが残る。

物語の前半で、前提が誤りならばその後にどんな文章が続こうと文全体としては真実となる、という説明があるのですが、これがまたいい感じに効いてくる。

 

 

今回の文渡村の成り立ちが本当に歪で、真実が明かされるたびに「え、そうだったの?」と驚きにつぐ驚き。

唯花自身、「嘘つきが多すぎる」というようなことを言う場面があるのですが、事件の犯人にまつわることではなく、村の一族に対する大きな嘘があったからなんですね、

それに本当に最後にポツリと語られた、文渡一族のすべてを奴隷にしたすごい嘘、の余韻がとてつもない。

 

 

あらすじの「言葉の真偽、虚実を瞬時に判別できてしまう」を読んだ時、伊坂幸太郎さんの「陽気なギャング」シリーズの成さんがパッと思い浮かびました。

「陽気なギャング」シリーズは全体的にコメディチックで、いちキャラクターの個性として、噓発見器の要素が使われていました。

それに対して、今回は、ミステリのためにこの能力が余すことなく使われていて、思わず感嘆。

陽気なギャングの日常と襲撃 (祥伝社文庫)

陽気なギャングの日常と襲撃 (祥伝社文庫)

 

 

 

また助手として唯花の傍には同じく大学生の晴彦がいる。

彼には特別な能力がないながらも稀有な存在で(どのように稀有かは終盤に唯花の口から語られる)、ふたり揃ってすごくいいコンビに思える。

唯花の言葉遣いは全体に堅苦しく、あまり感情が見えにくいキャラクターなのですが、晴彦は唯花の機嫌をすぐに察するし、ご機嫌取りにストロベリーアイスを買いに行く、っていうの、めちゃくちゃすき。