新装版サクラダリセットシリーズ3作目。
これまでのお話や他の河野裕さんの作品についての感想はこちら↓
3作目までのサクラダリセットシリーズのお話を踏まえて感想を書いていこうと思います。
浅井ケイと春埼美空、そして前回終盤で名前を明かされた相麻菫の関係を中心に描いた物語。
今までの話を本編とするならば、時系列的にはその2年前の物語になります。
ライトノベル版を一度読んでいて、再読という形でこの新装版を追いかけているのですが改めて。
菫に関してはいちばん最初からケイ達とは切っても切れない存在だと仄めかされていただけに、妙な親近感と一体どんな少女なのだろうという興味を抱きながら読んだことを覚えています。
「伝言が好きなの」p.95
という台詞はシリーズの一番最初の書き出しにも登場する台詞だけに、感慨深くて、一度読む手を止めて何度かこの台詞を心の中で反芻してしまいました。
伝言が、好きなの。
ケイと菫のやり取りで一番印象に残っているのは、好きという感情について語る場面。
人を好きになる感覚を知らない相手にそれを言葉で伝える方法が分からないというケイに対しての
「そういうときは、なにも言わずに抱き締めればいいのよ。心の底から、愛を込めて」
p.87
という菫の返事が特に印象的。
何かに対する思いを、それが恋心でなくても、できるだけ齟齬のないように伝えようと私は言葉を尽くすけれど、きっと越えられない何かはあるのだと思う。
それでも私は相変わらず言葉を尽くそうとすることを止めないのだろうな、という思いがあるからより一層印象に残っているのかもしれない。
心配だ、嫌いだ、好きだ、と言ってしまうのは。
世話を焼くのは、突き放すのは、何も言わずに抱き締めるのは、とてもシンプルだけれど私の中で「シンプルなもの」として片付けてしまいたくないのだと思う。
それが、心からの抱擁に勝ることはないと、分かっているのだけれど。
そしてそういう菫自身が未来のために回りくどく、泥臭い手段を取ろうとしているのがどうもちぐはぐに思えてしまって仕方がない。
菫が選んだ最良の未来とはいえ、事前にシンプルにケイ達に心情を伝えていたならどうなっただろう、とふと思い巡らせてしまう。
一貫して自ら選んで道化のような役回りを演じる菫。
将来「生き返る」未来を見たとはいえ、自分の意志で死んでしまえるほどどうしてこんなにも純粋に何かを信じていられるのだろう。
哲学的な問いをケイ達に投げかける菫だけれど、時々顔を覗かせる彼女の年相応の少女っぽさに、決して口には出さない彼女自身の願いに、胸がきゅっとなってしまう。
アンドロイドやスワンプマンにまつわる問答がすべて、菫のこととなってこうも突き刺さるとは。
菫の未来を見通すことができるという能力が、そしてその能力がみた未来に素直に従うことは、彼女を幸せにしたのかということを、またシリーズ通して読み直しながら考えてみたい。
無理をしてでも今は、笑っていないといけない。
それはきっと、相麻菫がすべてを知りながら、最後まで笑っていたように。
p.211
死んでしまった菫を生き返らせようとする直前のケイの決意めいた思いも本当に愛しくて苦しい。
ある程度、この一連の物語の結末を知っているけれど、ここまでの物語を読んだ上では限りなく悲劇に近い。
菫は自身の存在意義について、そしてケイや春埼は彼女の死を、能力の在り方についてただひたすらに悩み続けることになる。
もちろんこれらすべては別にできればない方がいい悩みのはずなのに、菫はその選択肢を選んだ。
前回読んだ時に抱いた感想を言葉として残していないのでなんとも言えないけれど、多分今ほどに痛々しくてどこか泣きそうなほどの思いを抱いてはいなかったと思う。
きっと別シリーズの「階段島」シリーズを読んだというのもあるのかもしれない。
言葉にされたひとりよがりの、ひとりぼっちの、純粋な願いの響きがかなしくていけない。
せっかく読み直しているのだから、この物語の先に待ち受ける未来を、またゆっくりゆっくりと心に落とし込んでいきたいです。