文庫化を密かに待っていた作品のひとつ。
この世界では既に日本の地球は滅びてしまっており、火星にも多くの人が住んでいる。
日本人の末裔であり、火星に暮らす葦船彰人はある日、大島麻理沙と出会い恋に落ちる。
一方、人間の文明より遥かに発達した他文明の遺産からワームホールゲートが発見され、より短時間で容易に地球火星間の行き来が可能になってしまったのをきっかけに、戦争の危機を迎える。
あんまりかっちりとしたSFを読んだことのない私にとって、作中を飛び交う専門的な用語に一部「ふうん、なるほどね?」と思いながら読み進めました。
その置いてけぼりにされてる感じが、ここではないどこかの話なのだという思いにさせる。
そして時々、分かる言葉が見つかる度に、少しだけ現実に引き戻される。
地球と火星の戦争が起きそうになって、物語の登場人物がそわそわし始めた時には、思わずガンダムシリーズみたい! と思ってしまいました。
(言うほどガンダムに詳しくない私がこんな発言すると、多方面から石が飛んできそう)
いや、でもきっとそれほど王道でもあり、多分、人間ってそういう生き物なのです。
そんな専門用語や人々の動揺に(私が)翻弄されながらも、彰人たちの思いが一貫してそこに存在し続けているということに安心感にも似た何かを覚える。
場所も時間も違う世界の話ではあるけれど、その感情ならば、私でも分かるような気がして。
その中でも2人の出会いの場面が特に私のお気に入り。
タイトルにもなっている、クリュセの魚、ですが、クリュセは火星の地名。
まだ他の生き物は存在するには過酷な環境で水自体貴重な資源とされる火星で、偶然にも冬でも凍らないちょっとした池を見つける。
そこには誰が放したのか魚が泳いでいた。
「けど魚には火星の未来が見える」
「ここはいつか海の底になる。わたしたちの頭のうえに、何十メートル、何百メートルも水が満ちる。火星に魚がやってくる。クジラやイルカやサメやタコやカメがやってくる。もうそのときは人間なんていないかもしれない。それが、わたしたちの本当の未来。テラフォーミングの帰結。」
p.36,37
少女が憂いを帯びた目で、人間にとっての衰退、生命にとっての繁栄の未来を語る場面のこの台詞に、ふわっと想像が花開く。
赤茶けた草木もない閑散とした大地にぽつんとある水たまりで自由に泳ぐ魚。
あるいは。
火星ではなく地球でそれを想像するのが精一杯なのだけれど、私がいなくなった後の世界で、私の生きてきた街の上を泳ぐ魚。
水分量とか色々な兼ね合いでそれほど水で満ちることはないのかもしれないけれど、その、光景を想像してみたら、なんだかそれが綺麗だと感じてしまった。
そんな未来を語る少女と、その姿に惹かれた少年に、少しだけ近づけた気がした。