※以下、内容に触れています。ネタバレを避けたい方、未読の方はご注意ください。
- 作者: 竹宮ゆゆこ,ふゆの春秋
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/08/28
- メディア: 文庫
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この、『砕け散るところを見せてあげる』の装丁をTwitterで見かけて以来、胸のときめきが止められずに、飛びつくように書店で手に取ってしまいました。
浅野いにおさんの大きなイラストに、
これは横から見る表紙なのか、珍しい
と思いきや、ズバッと縦に並ぶ『砕け散るところを見せてあげる』の文字にどきどきする。
縦や横に並んだ文字を理解しようとして、落ち着くまでのふわっとした時間がたまらない……。
今回の主人公は、大学受験を控えた男子高校生、濱田清澄。
全校集会にていじめに遭う1年生の女子生徒、蔵本玻璃を見かけ助けようと手を差し伸べて以来、清澄は玻璃のことを気にかけるようになる。
蔵本玻璃は、とても謎めいた雰囲気を持ち、自らの境遇の原因は空に浮かぶUFOのせいだという。
「つまり、UFOが撃ち落とされたせいで死んだのは二人」
という冒頭の玻璃の台詞もあってか、竹宮ゆゆこさんらしい、どこかコミカルなやり取りに心躍りながらも、どんな結末になるのか気になって心の端っこが落ち着かないまま、どんどん読み進めてしまいました。
玻璃の、1つ目のUFOを撃ち落としても、清澄の心に新たなUFOが浮かんでしまう。
どうしようもない、何かに囚われてしまっているような感覚を、UFOとして2人は表現しているのですが、このUFO、白河三兎さんの『プールの底に眠る』の主人公が感じていたものと、似ている、ような気がします。特にふたつ目。
本当の意味で、蔵本玻璃を救う事ができずに、置き去りにしてしまったことに後ろめたさを感じている。
この、ふたつ目のUFO知ってる、という感じがとても印象に残っています。
そんな、彼らの高校生活が描かれた後の展開がとても目まぐるしく、私なりに消化するのに何回かぱらぱらと読み返してしまいました。
最後の一文、その意味を理解したとき、あなたは絶対、涙する。
という帯に書かれた惹句の意味が初め、わからなかったのですが、わからないなりに、私の答えを見つけてみました。
きっと、多くの人が結末や小説の構造に悩みそうだな、とは思ったのですが、それが作者の意図から離れていようと、多分そこから得たものがすべてだと、私は思うのです。
今の私が知る、『砕け散るところを見せてあげる』の美味しい食べ方。
以下、私のための覚書という名のネタバレ、のようなもの。
まず、お話の構造について。
初めて通して読んだとき、p.288以降を読んでいて驚きと疑問の連続でした。
簡単に整理するためにぱらぱらと全体をさらったのですが、もしかしたら整合性の取れない部分があるかもしれませんが悪しからず。
p.7からp.20まで続くお話の語り手はおそらく、清澄と玻璃の息子だと思うのです。
川に流された車中の人を救ったのは、清澄。
p.7- 息子
p.21- 清澄
p.301- 玻璃
p.310- 息子
・1〜8まで振られている章番号のうち、1だけローマ数字のⅠであること。(誤植だったらどうしよう……)
・p.11の冒頭の場面で挙げられている自己啓発本のタイトルが現代的であるのに対し、p.57で「半ドン」という言葉が使われている等、時々時代を感じる表現がある。(半ドンの意味がぼんやりとしかわからなかった私)
・p.295“こうやって手を伸ばして、なにかを掴み、引き上げて、救おうとした。”
1度目は、女子トイレから玻璃を救おうとした時。2度目は、沼からスーツケースを拾おうとした時。
・p.13とp.299の両方にある、影の中の最小単位の物質の話。p.299の語り手は息子を案じている。
……などなど。
こうして、理解して読んだ上での、私の感想。
p.299の“でも練習だから、ポーズは自由だよ。”のひと言がとても優しくて、愛しい。
清澄は最後、玻璃に似た少女を救いUFOの苦難から解放されながらも、生まれて死んでゆく意味の答えを見つけられずにいたのだけれど、ちゃんと父親の言葉が玻璃を通して息子に流れているのだと思った時、純粋に「すごい」という単純な思いが浮かびました。
自身の身の上にもやもやとしていた玻璃は、息子がテレビで放った『ヒーローの子ですから!』という言葉に救われたということは、多分、遠回しに清澄の言葉が思いが玻璃を、救ったことになる。
それに、清澄は生きる意味を問うていたけれど、息子は高校生の時に父や母の愛を十分に感じていて、『愛に終わりがないことを信じている。』
清澄や玻璃は、UFOに苦しみ、お互いはおろか自身たちの息子に何も残してやれないだけか迷惑をかけていないかと思っていた中、息子は、ちゃんと愛を信じている。
そう思うと、最後の一文は単なる男子高校生の独白ではなくて、清澄がいて玻璃がいて、もちろん清澄の母やクリーニング屋さんのおばさんがいて、そうして初めて生まれた思いなのだと思うと、その一文がとてもかけがえのないものに見える。
非の打ち所がないほど恵まれていたとは言い難い家庭環境で育った清澄と玻璃の息子が愛を信じているというだけで、きっとそれはとてつもなく「すごい」ことなのだと。