ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『世界の涯ての夏』

『世界の涯ての夏』  つかいまこと

世界の涯ての夏 (ハヤカワ文庫 JA ツ 4-1)


時々、ふとSF作品が読みたくなって、書店で平積みされている作品の中から雰囲気で手に取ったこの作品。


SF小説には、今私が生きる世界とは少しだけ違う世界が広がっていて——それは大体未来で、そんな世界の中で生きる人たちの生活をのっぺり淡々と描いている雰囲気が好き。
これがファンタジーや冒険小説だったのであれば、わくわくとした何かやどうしようもないほどの絶望が散りばめられているのだろうけれど、日常的な幸せと不幸せがほどよく順番に顔を出す感じが好き。
もちろんわくわくや絶望が散りばめられているSFも好きなのですが、私の知らない言葉を当たり前のように使う登場人物たちに少し置いてけぼりにされながらも、私と変わらぬ心の動きや日常を見つけた時、なんとも言えない気持ちになるのがたまらないのです、たぶん、安心、というのがいちばん似ている気がする。



舞台は〈涯て〉が広がり続け、じわじわと終末に向かい続ける地球。
〈涯て〉に近づけば、分解されて取り込まれてしまう。
それでも〈涯て〉が認識されてから随分と時間が立ち、騒ぎが落ち着いている感じや終わりが迫りながらも変わらぬ日常を過ごしている感じ、伊坂幸太郎さんの『終末のフール』を思い出しました。

終末のフール (集英社文庫)

終末のフール (集英社文庫)




〈涯て〉の侵蝕を少しでも食い止めるために離島で少女ミウと出会った夏の日々を思い出す老人と、いまひとつ自分に自信が持てない3Dデザイナーのノイ。


ミウの存在をきっかけに、緩やかに終末に向かい続けていた世界が流転する。




〈涯て〉の存在に関して、私たちとは異なる時間の流れにあることを説明される部分があるのですが、当たり前のように常識の範疇を超える現象が目の前の文章の中にあると思うとどきどきします。
……なんだかよくわからないけれど、なんとなくならわかる。
の、「なんだかよくわからないけれど」という感じ、底の見えない感じ、楽しくなりませんか?(笑)


水飴のように一直線に伸びている私たちの時間と違い、〈涯て〉の時間はランダムに点在している。
例えば、私たちが手を叩くとする。
もちろん、手が合わさった後瞬時に音が響き、少し遅れて手のひらに痛みや熱を感じる。
〈涯て〉では、原因→結果というような時間の順序がばらばらになってしまう。
痛みを感じて、音が聞こえて、手が合わさって、熱を感じるような。
〈涯て〉は私たちの時間を〈涯て〉の時間に翻訳しながら飲み込み続ける。


そんな世界に飲み込まれたら、そんな時間が散らばる世界は、一体どんなだろう、と考えるとあっという間に時間が過ぎてしまいます。



そして、結末について少し。
(触れているのは少しですが、未読の方はご注意ください。)





主人公のひとりである老人の少年の頃の淡い思い出は、誰の手にも届かない遠いところに切り離されることになります。

私、他のSF作品でも時たま見られるような、「綺麗な」ものを傷付き形を変えて壊れてしまうことのないどこかへ、という終わり方、すごく好きです。
ハッピーエンドの中に悲劇の色が混ざるような、
もしくは、悲劇の中にハッピーエンドの色が混ざるような、
そしてその2色は決して混ざることはなく、見方や立場によってそれぞれ色濃く主張するような。


ちなみに私は、敢えてどちらかに強引に仕分けるのならば、何でもかんでもハッピーエンドの箱に投げ入れてしまいがちです(笑)