ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『海の見える街』

『海の見える街』  畑野智美

 

海の見える街 (講談社文庫)

 

『国道沿いのファミレス』、『夏のバスプール』(『夏のバスプール』 - ゆうべによんだ。)に続いて畑野さんの文庫化作品3作品目。
 
 
 
「海の見える街」ということばをみると、ジブリ映画の『魔女の宅急便』でのBGMがふいに頭で流れます。
きっと耳にしたことのある方も多いはず……。
 
文庫化される前から作品名と表紙の印象がずっと残っていて、文庫化を心待ちにしていま作品のひとつでした。
単行本の方の表紙イラストの雰囲気もすきで、読んだ後に眺めているとなんだか会話が聞こえてきそうです。
 

 

海の見える街

 

ちなみに私も海辺であの小高いところのぼって歩くの、すきです(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
そんなわけで、このお話の舞台は海の見える街の、図書館。
その図書館と図書館に併設された児童館ではたらく4人の大人の恋愛模様、というより人間模様がそれぞれの視点に立って語られます。
 
 
 
どこか踏み込み切れずに人間関係が苦手で、インコのマメルリハを溺愛する本田くん。
 
本田くんに恋心を抱きながらも自分に自信を持てない無類の本好きの日野さん。
 
過去のトラウマを胸に病的なまでに中学生に執着する松田くん。
 
ふいに図書館で派遣としてはたらくことになり、周囲と何度も衝突しかける春香ちゃん。
「わたしはわたしを好きな人が好きなの」
 
 
 
 
 
 
 
傍若無人に振る舞う春香が図書館で働き始めることになり、春香自信含め4人の人生観や生活が変化していく。
 
帯にも書店でのPOPにも恋愛小説と謳われていたのですが、この作品でいうところの恋愛って何なのだろう、と読み終えた今、ふと考えてしまいます。
 
 
もちろん恋愛模様も変化していくのですが、4人の関係も決して派手ではないですがより柔らかく素敵な関係に変化していくことになります。
 
この、派手ではなく、というのがすごく絶妙だと思うのですが、きっと恋愛であれなんであれ、変化を促す誰かの存在ってとても大きいと思いました。
 
 
きっと、私が感じている〝派手ではなく〟というのは、彼らの変化のきっかけや出会いのはじまりが嫌悪感にも似た何かから始まっているからだと思います。
 
 
否が応でも自分自身を少しずつ変えてしまう誰かといるのって、しんどいと思うのです。
絵に描いたようなきらきらとした何かが待ち受けているわけでも、何も口に出さずとも良い方へ転がっていくわけでもなく、何かしらを擦り合わせていく必要がある。
 
そうして変わっていく自分と相手のことを、ひとりきりでは起こりえない変化そのものを素敵なものと思うことができて、きっとそこから恋愛だったり友情だったりと名前が付けられていく。
 
 
 
 
恋愛ということばの響きはとても綺麗だけれど、私にとっては綺麗すぎてしまう。
ベタ甘でふわっとする小説の雰囲気を楽しむこともあるけれど、綺麗すぎない、しっくりくる何かを探すためにきっと私は恋愛小説を読む。
……なんていうのかな、そのために読む!  と言い切るわけではないけれど。
 
 
 
多分、そうでないと恋愛を素敵なものだと思いすぎてしまう。
恋愛というものが、抗いきれない大義名分と化してしまう。もしくは大義名分を振りかざしてしまう。
恋愛に限らず友達付き合いにおいても。
 
なんとなくそうしなくてはいけないような気がしてしまって、いつの間にか歪んでしまう。
 
 
 
 
 
恋愛に限らず、広い意味ですきな人はたくさんいるけれど、そんな誰かといる自分自身を少しでも好いてあげたい。
 
 
この本に登場する大人たちの関係の築き方も決してスマートで綺麗ではないけれど、ゆっくり呑み込むように変化を受け入れていく様がとても印象的でした。
本当に抽象的な表現をするならば、ぬるくなったホットコーヒーをごくりと飲み下すような。
その口当たりは最高とは言い切れず、喉を食道をとおっていく感覚を意識してしまうけれど、香りが、味が、温度が、胃とはまた別のどこかで、あたたかみをもつような。