ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『君の膵臓をたべたい』

『君の膵臓をたべたい』  住野よる

 

君の膵臓をたべたい

 

タイトルに惹かれて。
時々、なんとなく素敵なタイトルだな、と思って衝動的に小説を手にすることがあるのですが、この本を手に取ることができて本当に良かったです。
グロテスクな意味合いではなくて、このタイトルを見た時、少しでもなんとなく良いかも、と思った方はぜひ読んでみてもらいたいです。
 
気になる方はこちらの記事も読んでみてほしいです。

住野よる『君の膵臓をたべたい』それは彼女が教えてくれた「生きること」への問いかけ - 積読書店員のつくりかた


こちらの記事でも触れられているように、『陽だまりの彼女』や『忘れないと誓った僕がいた』や『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の雰囲気が好きな方ならきっとこの作品も気に入っていただけると思います。
その中でもあえて順番を付けるのなら、私はこの作品の雰囲気が一番好きです。
 
◇【秘密を知ってるクラスメイト】の僕と、正反対の君。
主人公の僕は病院のロビーにて「共病文庫」とマジックで書かれた文庫を手にする。
そこにはボールペンで丁寧に、膵臓の病気に罹り数年のうちに亡くなってしまうことと、日々の思いや行動が綴られており、そんなクラスメイトの山内桜良の秘密を僕は思いがけず知ってしまうことになる。
 
他人との関わりを極力避けて過ごしてきた僕とはまるで正反対の性格をした君。
死ぬ前にやりたいことがある、という君に半ば強引に連れ回される形で僕は、君の死という他のクラスメイトの誰も知らない秘密を抱えながら時間を共にするようになる。
 
 
こんな風にざっくりと書くと、死をひしひしと感じていくどこか仄暗い物語のように思えてしまうけれど、そんなことはまったくなく、むしろ明るいほど。
作品の中で僕も度々言及しているように、そんな状況においても桜良は死を微塵も感じさせないほど活発で明るい女の子として描かれている。
むしろ、主人公の僕が返答に困ってしまうほどに自らの死を軽々しくジョークとして扱ってしまう。
 
そんなジョークに逐一得意げな顔をする彼女がなんとなく癪にさわる僕は、彼女のジョークをなんでもないようにあしらう。
そんな僕の様子を見て、なおもどこか嬉しそうにする彼女。
 
以下で試し読みできるように、終始作品はどこかふわふわとした明るい雰囲気で進んでいきます。
 
 
 
◇名前のない
終始主人公である僕は、彼女やクラスメイトから、【仲良し】くん、であったり【地味なクラスメイト】であったりと名前を呼ばれることはありません。
 
 
桜良がクラスメイトに僕との関係性を問われる場面があるのですが、「仲良し」と言ってのけるの、すごくよいな、と思います。
 
 
 
本の帯は、泣ける本として推されていますが、私はこの名前のつけ難い関係や気持ちの扱い方がとてもぴたっときました。
 
確かに、泣ける内容ではあるのですが、私はそれ以上に大切にしたい何かがあると思うのです。
そんな、大切な何か、についてことばにしようと思うのですが、どんなことばも薄っぺらく感じてしまって。
そんな、上手くは言い表せないけれど、大事にしたい何か。
 
 
きっと彼女が僕の名前を呼ばずに【仲のいいクラスメイト】だったり【ひどいクラスメイト】と呼ぶのは、友達でも恋人でもなく、関係性の肩書きに引っ張られずに付き合っていきたいから、なのかな、と思いました。
 
人の呼び方って、苗字だったり名前だったりさん付けだったり、その人との距離が如実に現れますよね。
 
 
 
 
この作品を読み終えて、ぼんやりと、「とてもひとりでは生きられない」と思いました。
私が私として生きていけるのは、私を私たらしめているのは、良くも悪くも私以外の誰かがいてくれているからなのだからだと思うと、なんとなく責任感めいたものを感じます。
それも、きりきりとした責任感ではなく、こぶしをぎゅっと握りしめるような。
 
 
 
◇「君の膵臓をたべたい」
タイトルにもなっているこのことば。
作中でのこのことばの使われ方がとても素敵。
グロテスクな意味でもなく、主人公の僕と桜良の関係性が、会話があったからこそちゃんとした意味を持つことばだと、わたしは思います。
 どんなことばよりも的確で、余分な感情や意味を含みすぎていないことば。
 私自身ありきたりな言葉を使ってしか私の感情や世界を言い表せないことにちょっぴり嫌気がさすような、ちょっぴり泣きたくなるような。
 
 
 
 
「友達」や「恋人」という肩書きが欲しいのではなくて、恋でも愛でも、好きでも嫌いでもなく、君の膵臓をたべたい。