ゆうべによんだ。

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『この恋と、その未来。 ー一年目 春ー』

『この恋と、その未来。 ー一年目 春ー』  森橋ビンゴ

この恋と、その未来。 -一年目 春- (ファミ通文庫)


どこかのサイトでおすすめされていたというのが記憶の片隅にあって、書店で平積みされていたのを見かけた際に、そういえばと思い出したので、手に取ってみました。

タイトルから恋愛小説ということが分かる以外は、まったくなんの先入観もなしに完全に好奇心でページを開いてみました。



◇複雑な心
主人公の松永四郎が3人の姉にぞんざいな扱いを受けるシーンから始まるのですが、そんな姉たちとの生活から逃れるために四郎は高校入学を機に、東京から広島へひとり寮生活をすることを決めます。

生徒の自主性を重んじ、入試は面接という一風変わった新設校。
入寮早々、校長室に呼び出されるのですが、そこで寮での相部屋となる同級生が女性であることが告げられます。

ルームメイトである織田未来は、性同一性障害であり、身体は女性だが心は男性だと言う。
姉との生活で女性そのものに辟易としていた四郎をルームメイトに未来自身が選び、教師陣と未来、そして四郎のみが知るその秘密を抱えながら、高校生活が始まる。

裏表紙のあらすじを読む限り、主人公の男の子と実は女の子、2人による共同生活、というような内容が書かれていたので、どちらかといえばコメディ寄りなのかな、と思っていました。
ところが、読んでいて織田未来が性同一性障害で告げられる場面で思わず息を飲んでしまいました。
最初に抱いていた想像とはかけ離れたデリケートなテーマの小説だ、と。
そして多分、気軽な気持ちで消費していいようなものじゃない、と。
なんとなく、単なる舞台装置の設定として安易に受け止めるのでなく、ちゃんと読まなくちゃ、と思ったのです。

未来の見た目や語り口はまさに男子高校生そのものとして描かれていて、その優れた容姿やさっぱりとした性格から大勢の女の子と仲良くなるのですが、自身の事情からうわべだけの付き合いから深く入り込むことができない様子や、身体は女性である以上どうしても避けられない生理現象に直面する度、側で見ている四郎や未来自身同様、私も現実を突きつけられたような気分になりました。
当事者でない以上、当事者と同じ苦しみは理解できない、というのも殊更。



◇恋は、心でするのだろうか?  それとも、体でするのだろうか?
上記の一節は、本文が始まる前に書かれているのですが、一貫としたこの小説のテーマなのかな、と思います。

未来と生活を共にし、未来の苦労を目の当たりにする中で、四郎は異性として未来に惹かれていきます。
もちろん、その気持ちを告げることは未来にとって失礼であるばかりかひどく傷つけてしまうことになるため、四郎はその気持ちをひた隠しにします。
一方未来は、クラスメイト達とは違い、何にも偽らないままでの、未来自身と友達でいてほしいと四郎に告げます。

そんな不安要素を残しながらお話は終わるのですが、続きがとても気になります。
このままでは、どちらも幸せにはなれないような気がして、先を考えるときゅっとします。
彼らがどのように向き合っていくのか見守りたい。

そして、四郎自身は未来のどの部分に惹かれたのか。
性格は男子高校生そのものでも、身体が女性だから恋心を抱いたのか、もし、身体も男性のものであったなら、四郎はその感情を一切抱かなかったのか。
身体が女性である、ということが意識にある故、好意を恋慕に昇華させてしまったのか。
どのような結論が待ち受けているのか、気になって落ち着かないです。




◇気になる、気になる……。
恋愛小説と言っても、有川浩さんの作品のようなベタ甘もあれば、中田永一さんの作品のような苦くて切ないものもあって、ベタ甘もすきですがどちらかといえば後者の方が後を引くので、後者の方が好みなのかな、と思っています。
今回のこの小説もどちらかと言えば後者のような苦しくて切ない話になりそうで、早く続きが読みたいです。

著者さんのあとがきによると、前作の東雲侑子シリーズも似たような雰囲気だとか。
おそらく今作に名前が出てくる作家の西園幽子というのも、前作からですよね。
今回何気なく手に取ったこの作品の雰囲気、とてもお気に入りなので、東雲侑子シリーズも読んでみたいな、と思います。