『その白さえ嘘だとしても』 河野裕
階段島シリーズ2作目。
『いなくなれ、群青』の続編。
河野裕『いなくなれ、群青』『その白さえ嘘だとして も』PV|新潮文庫nex - YouTube
続編が発売されるのをとても心待ちにしていました。
今回の階段島はクリスマス。
クリスマスにまつわる七不思議がまことしやかに広まり、七草を始め真辺由宇や佐々岡、委員長の水谷さんたちがそれぞれの目的のため、東奔西走します。
そして、最後には魔女の正体も。
※以下、物語の結末など内容に触れています。ネタバレを避けたい方、未読の方はご注意ください。
前回は群青でしたが、今回は白ということばがタイトルに使われています。
作品の第2話にも、なりそこないの白、という名前が付けられています。
七草くんから見て、
佐々岡は、ゲームの主人公みたいなヒーローになりきれないレプリカのヒーロー、
委員長は、相手の無言の要求を汲み取ってしまうイミテーションの優等生、
であると語られます。
真辺のような純白を目指す混色、より白くなりたいと願う混色、なりそこないの白であると。
七草自身も白になりたいと願いながらもなりきれない彼らのことをけなしているわけではないのです。
欠点を抱えながらも、完璧とまではいかないまでも変化は手に入れることができると信じているのです。
今回、佐々岡も委員長も「なりそこない」であることを痛感するのですが、「なりそこない」なりの変化を手にします。
そんな中、純粋な白になりきれずとも、白になりたいと願う気持ちそのものは純粋であると私は思うのです。
でも、そんな気持ちさえも過去に否定され捨てられてしまったものだと思うとすごくやりきれない気分。
夢みがちなものを捨て去ることが成長に不可欠で、折り合いをつける、ということなのかもしれないのですが、生きていく中でそういう気持ちが不要だと淘汰されてしまうのは、なんかいやだな、と思うのです。
ただ、私もここまで生きてきて、知らぬ間に純粋に憧れる何かを捨ててきたのかもしれない、忘れてしまった過去の自分が今もどこかで純粋に何かを追い求めていると思うと。
何より登場人物である彼らの願いがどれだけ遠く及ばないものであるのかを考えると。
最後の最後で明かされるのですが、魔女の正体、堀さんだったんですね。
そう思うと、表紙イラストの堀さんもなんだか少しだけ違って見えてきます。
魔女だとして堀さんを見ると、というより、堀さんが魔女だと改めて考えると、なんだかしっくりきてしまう。
ただ、個人的に郵便屋さんの時任さんの存在も気になります。
七草や真辺や階段島全体の行く末を、どこか俯瞰的に案ずる感じや、どこか魔女や魔法といったものに距離が近い感じ。
途中まで、時任さんが魔女であるかのような描写がされていたので、内心、魔女の宅急便だ! とはしゃいでいたのですが違ったみたいですね(笑)
魔女と呼びうるものがひとりだとは限らないし、もしかしたら受け継がれるものなのかもしれない。
魔女とはまた別の超越的な何かなのかもしれない。
時任さんは、このシリーズの中で好きな登場人物のひとりなので、今後どのような関わりを持つのかとても気になります。
それから、七草の真辺に対する愛情と呼びうるものがすごく尊い。
どうして私に付き合ってくれるの? という真辺の問いに対して、君はそんなこと考えなくていい、と答える七草。
ただの暇つぶしだと答えても。好奇心だと答えても。心配だからと答えても。愛しているからだと答えても。真辺由宇は変わらないし、変わって欲しくない。 p.95
また、委員長の「七草くんは、真辺さんが好きなんじゃないんですか?」という問いに対して。
「彼女に対して、なにか、愛情と呼べるものがあることは間違いない。でもそれを好きって言葉でまとめちゃうと、色々とややこしいことになる」 p.201
あくまでも、私の受け取り方なのですが。
きっと、何よりも、七草が「好き」な真辺をそこないたくないのだと思う。
その気持ちを上手く言葉にできなくて、心配だから、だとか、愛してるからだ、という言葉は多分どれも近くて限りなく遠い。
そして、色々とややこしいことになる。
きっと「好き」という言葉は多くを含み過ぎると思うのです。
例えば、異性に対する気持ちを「好き」という言葉を用いて表現した場合。
相手のことをもっと知りたい、だったり
一緒に並んで歩きたい、だったり
その手に触れてみたい、だったり
隣で笑っていて欲しい、笑っていたい、だったり
多分どれも「好き」という言葉に含まれてもおかしくない感情だと思います。
多分、きっと、七草の真辺に対する気持ちはさっき挙げた感情を含んでいない。
全く抱いていないかは定かではないけれど、きっと根底にあるものは別の感情だと私は思うのです。
「好き」という言葉は大袈裟で、曖昧なのだと思う。
そしてそれは時と場合によっては、勘違いや過剰な期待を生んでしまう。
そして今回もどんぴしゃで、かき抱いてねむりたいくらいほどの表現が随所に。
新潮文庫nexのホームページ上に、『その白さえ嘘だとしても』に関する河野裕さんのコメントが載っていて、河野さんの階段島シリーズに対する姿勢やテーマについて書かれています。(著者より読者へ 河野裕『その白さえ嘘だとしても』 | 読み物| 新潮文庫nex)
この中でスピッツの『8823』という曲の歌詞が用いられているのですが、兼ねてから好きな曲のひとつであったこともあって、ちょっぴり嬉しくなりました。
否定的な価値観に反論することですべてを肯定するような綺麗な物語を書きたい、というのが作品にすごく表れていると私は思います。
耳心地のいい言葉だけを胸に生きていけるほど私は強くないので、河野さんの作品がすごく好きなのかもしれません。
私の琴線に触れる感じ。
ネガティブな物事を、ひとつひとつ手探りで確認しながら手折って否定していくことで、ようやくほんの少しだけ前を向けるような。
帯にあったのですが、続編は12月末に出るみたいです。
本当に刊行を心待ちにしているシリーズのひとつで、大事に読んでいきたいシリーズのひとつでもあるので、待ち切れないです。
時期的にもしかしたら、私が触れる今年最後の小説であり、来年最初の小説になるかもしれないですね。
前作『いなくなれ、群青』について。