『夜空の呪いに色はない』 河野裕
『いなくなれ、群青』から始まる階段島シリーズ5作目。
階段島の在り方、魔法の在り方を巡って、階段島に居合わせた登場人物たちが、それぞれの理想をかかげ、傷つき、それでも前に進み続けるための物語。
七草くんをはじめ彼らの「理想」を決して曲げない覚悟に憧憬の念を抱いた読者のひとりとして、安易な妥協によるハッピーエンドは見たくないな、と思いつつも今回のお話はあまりにもままならないことが多すぎて、読んでいてとても胸が苦しくなった。
いつも階段島シリーズを読み終えた後にしてきた通り、思ったことをぽつぽつと書いていこうと思います。
感想や書評なんてものとは程遠い、ただ七草くんたちの行動を見ていて思い抱いたことを書き散らしてます。
ひと言で言えば、この物語を読んでより一層彼らが好きになりました。
特徴的なキャラクターとして、というよりも、ひとりひとりの人間として、という意味で。
以下、物語の内容に触れている部分があります。未読の方はご注意ください。
私の七草くんに対する思い
『いなくなれ、群青』を読んだ時、彼の真っ直ぐな真辺に対する思いにただただ純粋に憧れた。なんて綺麗な感情なのだろう、と打ちひしがれた。
その後、シリーズを読み進めるにつれ、彼の頑固さや危うさを心配する気持ちが大きくなっていった。
なんでそんなになってまで、こだわり続けるのだろう。理想の為に何もかもかなぐり捨てて効率的であろうとする七草くんは見たくないと思いつつも、それでもやっぱり理想を棄てる彼も見たくはなくて。
「現実」の自分自身と階段島の七草くんが言葉を交わす場面。
「真辺由宇は幸せになんかなれないよ。当たり前だろ。現実になるはずもない理想を追い続けるのが彼女なんだから。
(中略)
思い出せよ。僕らにできるのは、彼女の隣で、同じようにいちいち傷ついていることだけだろ」
p.105
苛立ちもあって、階段島の七草くんは現実の自分に向かってこのような言葉を投げつけるのだけれど、私は何故だかこんな彼は見ていたくない、と思った。
荒々しい言葉の使い方なのか、あまりにも彼の理想に殉じようとしすぎているからなのか、感情の出どころは今でもよく分からないのだけれど、捨て鉢で投げやりな彼の言葉がかなしかった。
以前ほど彼の何もかもを肯定できなくなっていることに少しだけ当惑した。
そう思ってからはそれからの一連の七草くんの言葉も行動も一層私の理解や共感とはずっと程遠いところにあるように思えて、『いなくなれ、群青』で抱いた彼に対する熱がすっかり冷めてしまっていることに気がついた。
心地の悪さのようなものを感じながらも読み進めたどり着いた、現実の自分に拾われた七草くんが時任さんと話をする場面。
「じゃあ、どうして貴方は泣いているの?」
涙が流れていることには、気づいていた。
今の真辺由宇をみていて、泣かないではいられなかった。
中学二年生の夏に僕が恐れていたことが、目の前で現実になったのだ。あの高貴で強く、か細く脆い輝きが、傷ついて壊れたのだ。
p.259
この七草くんの涙を見て、思わず手を差し伸べるような思いで「君はいつだって真っ直ぐで、ちゃんとそれで救われた人もいて、だから泣かないでよ」と自然と思わずにはいられなくて。
そうして、私にとって七草くんはもう信仰や憧れの対象ではなくて、ひとりの人間なんだと思ったらすんなりと受け入れることができた。
私にとっての彼との「出会い」があまりにも鮮烈だっただけに、そのイメージをいつまでも引きずっていたけれど、彼も真辺や堀さんや大地やその他の人たちと同様傷つきもするし、涙を流すということを忘れてはいけなかった。
ひとりの人物の、七草くんにとっての幸せが何かなんて、他人の私が理解しようとすることも定義することもおこがましいけれど、それでも彼が不必要に傷つかず不幸でないことを祈ってはいたい。
今ではひとりの人間として、キャラクターとして、間違え傷つき傷つけることはあれど、きっとハッピーエンドに導いてくれると、細やかな期待を寄せている。
堀さんと時任さんと魔法
時任さんが過去に魔法を使った経緯と、現在の階段島に及ぼした影響について、ひとまずびっくり。
大地がこうして階段島に訪れることになったのも、過去に少しだけ登場した中田さんが階段島に存在するのも、時任さんが招いたことで、彼女はそのことをとても悔いている。
中田さんのことは、初めて登場した時にまるで『星の王子さま』に出てくるようなとても象徴的なキャラクターだと印象に残っていたのですが、まさかこんな形で再び名前が出てくるなんて思ってもいませんでした。
そんな驚きと同時に、きっとそんな時任さんも大地も中田さんまでも救ってしまうようなとびきりの結末を期待してしまう。少なくとも真辺が放っておかない。
今まで傍観者のような立ち位置だった時任さんが、今回は堀さんから魔法を奪い取ったりと、打って変わって独善的な行動を取ったのを意外に思いつつも、彼女の抱える後悔だったり人となりが知ることができて、なんだかうれしい気持ち。
魔法を使ったことも魔法を堀さんに渡したことも悔いながらも、結局は、誰かを思うがゆえの後悔で。
堀さんも堀さんで、何度も何度も涙を流しながらも、ちゃんと前を向く彼女がすき。
時任さんに魔法を奪われた時、時任さんと同じく、今までの理想としてきた階段島の在り方に反する形で七草くんが否定されるために拾われたことに傷ついていたと思っていました。でも堀さんが悲しかったのは時任さんが魔法を否定しようとしたことだという一連のやり取りにもう、カタルシス。印象的な場面は色々あるけれど、その中でも、「やっぱり私は、魔法を好きになれました。」と堀さんが話をするこの場面がいちばんすき。
もう、この作品に登場する人たちほとんどに好意を抱いているのですが、どうしてこの人たちは他の誰かのためだけにこんなに真摯になって、ちゃんと傷ついて、それでも前を向こうと思えるのだろう。
「大人」である時任さんが、七草くんたちが魔法を使う責任を負う、という形もまた想像していなくて、言われてみれば素敵な提案に思えてしまう。
夜空の呪い
タイトルにあるように「呪い」について、大人になるということについて、象徴的に何度も何度も語られるのですが、経る道程は違えどそれは避けようのないものとして描かれていて。
だって、夜空の呪いに色はない。
すべての色を消し去る、深い闇にみえても、か細い光さえかき消せはしない。
その程度のものなんだ、本当は。だから星あかりの一筋は、夜空の先の景色に届く。
きっと、僕たちは、あの光みたいに足を踏み出すことしかできないんだ。
p.379
「呪い」なんて言うとあまりにも仰々しいけれど、最後の一節にもあるように、重く苦しいという印象は受けなくて。
もちろん「呪い」に苦しむ人々もいる中で、七草くんたちはきっとそれを乗り越えて先にあるものを得られるような気がしている。
「こんなにも人が好きだよ くらがりに針のようなる光は射して」というのは、私のすきな中澤系さんの短歌なのだけれど、最後にはこの短歌が思い浮かんだ。
深い闇にも見える「呪い」を知っているからこそ、七草くんたちはか細い光さえ見失わずにいられる。ずっとずっと先の小さな希望も見つめることができる。
彼らが流した涙も、無自覚に傷つけあってきたことも、何もかもその先にあるハッピーエンドに必要だったことなのかもしれない、と改めて思う。