『他に好きな人がいるから』 白河三兎
兼ねてから白河三兎さんの作品の胸を締め付けるような切なさだいすきだったのですが、そんな折『他に好きな人がいるから』なんてタイトルの作品が刊行されたのを知ってしまったものだから自然と手が伸びてしまうよね。
目次を見れば章タイトルとしてずらりと兎にまつわる慣用句。
あれ、なんかで兎はあんまり好きじゃないって言ってたのに、と思い出してくすりと笑ってしまったから、なんていうかもうずるい。
『プールの底に眠る』白河三兎|あとがきのあとがき|webメフィスト|講談社ノベルス|講談社BOOK倶楽部
本を開いてからひと息に読み終えて。
期待通りの、期待以上の内容で、物寂しさ深まっていく季節の途中に読むことができて本当に良かったと思う。
物語に抱いた感情を形容する際、私は随分幅の広い「せつない」という言葉を使う。
白河三兎作品においては、主人公が自分の痛みと引き換えに誰かの幸せを守ろうとする話が多いように思う。
自己犠牲なんて言葉が似合うほど強い人間ではなく、まだ痛む傷口を眺めては「だから君は幸せでいてくれよ」と願うような。
そういうどこか自分勝手な願いがたまらなくすき。
あらすじ
高所から身を乗り出した自撮りを定期的にSNSにアップロードし続ける、兎の被り物をした女子高生、通称「バケタカ」。
主人公である男子高校生の坂井は、マンションの屋上で偶然居合わせたのをきっかけに彼女の「共犯者」となる。
こんなことはいつか止めさせたいと心で願いながらも、言葉にはできず彼女に協力し続けていく中で、自身の学校生活に対する意識が少しずつ変わっていることに気が付く。
未来のない廃れていく町の中で、ふたりはある大きな決断をする。
彼は、本当の意味で、彼女を救うことはできたのだろうか。
私から見た主人公はとてつもなく優しい
冴えない男子生徒として描かれている坂井くん。
どこか冷めたようなものの見方をする時もあるけれど、私から見た彼はすごく優しい。
何より他人の思いだとか痛みにとても敏感だ。
誰よりも色んなことに思いを巡らせて、そして己の至らなさに過ぎてしまってから後悔して、どこか自分はもっと傷つくべきだ傷つけられるべきだと思っている。
そんな彼の優しさに関してすきな場面がひとつあって。
嘘を吐くこともできず、どうしようもなく誰かの決意をふいにしてしまった場面。
今頃になって羽根が直撃した箇所が痛んだ。胸がじんわりと疼く。なんだ、このちゃちな痛みは? いっそのこと立っていられないほど痛めつけてほしかった。
p.221
他人を傷つけてしまったことに、深く自分が何かしら罰せられるべきだと思っている。
これを「優しい」と形容するのには賛否が分かれるかもしれないけれど、こういう誰かの思いを大事に大事にしようとする姿勢が私はたまらなくすき。
言い換えればそれは自分に対する肯定感の低さから来るのかもしれないけれど、だからこそ主人公の完全無欠なハッピーエンドを夢見たくなる。
ことばとは裏腹に誰かの幸せを一途に願う主人公の幸せを。
彼がバケタカの自撮りに付き合う理由というのも、話が進むにつれ色々と明かされるものの、どんな形であれ彼が彼女のことを放っとくことはなかっただろうな、と思う。
”他に好きな人がいるから”
このタイトル、読み終えたら「ひと粒で二度おいしい」みたいな物語構成になっていて、終盤でこの言葉が出たときには思わず嘆息。
諸々の問題を乗り越えて、胸を張って不幸じゃないよって言わなくちゃいけないのに、寂寥感が募る。
プロローグとエピローグにて、社会人になった坂井くんが高校生の頃を思い返す形で描かれているのですが、少し読み返して冒頭の「僕が生きている長さが君を守り続けている年月だ」という台詞に込められた思いが今なら分かって、打ち震えている。
そうか、きっとどこまでも、坂井くんは守りたいんだ、と思う。
終盤で使われた”他に好きな人がいるから”だって守るための言葉だ。
僕は×××が守りたいものを守りたい。だから何もしない。しちゃいけないんだ。
p.283 ×印には人名が入るが決定的なネタバレにつき伏字
一度は足を踏み出そうとしたものの、――踏み出すことだって決して間違いではないのに、それでも「守る」と決めたからと言い聞かせて、貫き通そうとする。
ここまで読んでこうして感想を書いていて、この物語の、主人公の、きっとこういうプラトニックな部分がたまらなくすきなのだと思い当たる。プラトニック。
誰かの幸せをあるいは、不幸なことなんてひとつもない平穏な日常を願う心を綺麗だと思う。
坂井くんが抱える迷いや痛みや苦さも十分に理解できるからこそ、より一層彼の願いがきっと彼にとって神聖なものであるのだろうと際立たせる。
決して不幸な物語ではないけれど、大団円とはかけ離れた決して取り除けないほろ苦い感情が、そこに「せつなさ」を見出した私の心をつかんで離さない。