『パドルの子』 虻川枕
ポプラ社小説新人賞受賞作。
ファンタジックな雰囲気漂う瑞々しい青春小説。
水たまりに潜って世界を少しずつ変えてしまうという設定に惹かれに惹かれて発売前から気になっていた作品。
昔からそれこそまさに「水たまりに潜る」みたいなことを想像することがあって、あらすじを見た時からもう読まずにはいられなかったです。
なんていうか、そういう幼い頃からの感覚をずっと引きずっていて、水たまりはもちろんのこと、横断歩道の白線以外だって気を付けないと落っこちちゃうし、鏡の向こうにうっかり手を伸ばすと通り抜けちゃう。
みんな知らないだろうけど。
あらすじ
春は化け物。
浮足立つような春先のクラスの雰囲気に馴染めずにいた中学2年生の耕太郎。
同じく春は苦手だという後ろの席の三輪くんと意気投合するも、三輪くんの引っ越しが決まるとそれがきっかけで徐々に距離を置いてしまう。
ちゃんと別れを告げることができないまま三輪くんは引っ越してしまうことになり、耕太郎の学校生活は寂しいものに戻ってしまう。
ある日の昼休み所在無げに屋上に続く階段で過ごしていると、水の跳ねるような音を聞いた。
鍵が開いていることに気が付いた耕太郎が屋上への扉を開けるとそこには大きな水たまりが広がっていた。
目を疑うことにそこで「泳いで」いたのは、成績優秀、水泳部のエースでおまけに美人の水原。
耕太郎はこのことを水原に口止めされるも、また屋上に来るように告げられる。
不思議な屋上の水たまりと水原との出会いをきっかけに耕太郎の生活は大きな変化を遂げる。
刻々と変わりゆく世界と耕太郎の心境の変化を瑞々しく描いたSFやファンタジーの要素をふんだんに含んだ青春小説。
水たまりに潜って世界を変える――パドル
水たまりという意味をもつpuddle。
屋上の水たまりに願いを込めて潜ることにより、世界の形が少しずつ変わってゆくのですが、先も書いた通り、この設定がたまらなくツボ過ぎて。
世界を変えたことは当事者にしか分からない、というのが本当に絶妙で、読みながら世界が変わりゆく違和感に気付きながらもその正体や理由が気になり、この世界は一体どこまで行ってしまうのだろうという一抹の不安感もあってあっという間に読んでしまいました。
耕太郎の抱く願いも初めは些細なものだったのに、次第に誰かのために、と願うようになる。
この願いの行き着く先と結末がこれまた。
本当にこの作品何から何まで設定が緻密で何を言ってもネタバレになってしまいそう......。
最後とか本当に鮮やか過ぎて単なる驚きではなくて、久々にこういう「このあとどんな素敵な結末が待ち受けてるの???」っていう類のどきどきを体験した。
それからなんていうかタイトルね、読み終わってこれがこんなにせつなく響くとは。
※以下ネタバレ含みます。未読の方はご注意ください。
SFっぽい......そう思った時には既に
ここから完全に読んだ人にしか分からない話なんですが、最初、水源の話が出てきた時、すごいSFみたいだ! って思ったんですが、そう思った時には既に術中にはまっていたという話。
あれ? そんな話だったっけ? とは思ったんですが、その頃には既に「雨」が消されていたなんて露にも思わず。
その前にちゃんと三輪くんの母親にまつわる経緯の中でさらりと提示されていたのに。
「伝話」の字面だってちょっとしたアクセントなのかと思っていたら、ちゃんと意味があったっていう。
ここまで本当に翻弄されてきたというのもあって、最後に耕太郎が虹に気が付く場面、本当にわくわくして、どんなことが起こるのだろうと思わず手を止めて深呼吸してしまった。
この虹に気が付くのだって設定が本当にうまく使われていて、「雨」を世界に戻した耕太郎が雨にまつわる言葉を覚えるのに苦労した中、「虹だけはすぐに飲み込むことができた=水原の願ったもの」っていうのが鮮やかすぎて。
そして、そうやって耕太郎が気が付くこともちゃんと水原は織り込み済みだったのかなと思うとなんていうか綺麗すぎる。
当事者だけに分かるコンテクストを含んだことばがすき
まずはなんといっても、タイトルの「パドルの子」。
水原に対してあんな風に使われるとは思ってもいませんでした。
というか、水原や屋上の水たまり、ひいては三輪くんについて明かされる一連のやり取りが切なすぎる。
水原の気持ちが三輪くんに向いているんだろうなっていうのはなんとなく察していたのですが、彼女の涙の理由が明かされた時の途方に暮れる感じと言ったら。
それからオールイン、もすごくすき。
忘れた頃にふわっとがつっと来る感じ。
読んでいて、すごく(私のすきな)伊坂幸太郎的だ!! って思った。
中学生の耕太郎の視点から語られるということもあって、文体もすごく砕けていて読みやすく、それでいてしっかり話が組まれているのだから、もしこの本を偶然手に取った中高生がいたなら、たまらないだろうな、と思う。
あるいは、中高生だったころの私が手に取ったなら。