ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『時をめぐる少女』

『時をめぐる少女』 天沢夏月

時をめぐる少女 (メディアワークス文庫)

 

 

メディアワークス文庫より、タイトルから時間ものを匂わせる天沢夏月さんの作品。

実際には帯で上手い具合に隠れてしまって分かりづらいのですが、表紙の下部にも大きく青いイチョウの葉が描かれていたんですね。

物語の中で何度も象徴的に引き合いに出されており、読み終わってから表紙や目次等にイチョウが描かれていたことに改めて気が付いて、小さな感動。

 

あらすじ

母親の仕事の都合で決まった急な引越しが原因で仲違いしてしまう9歳の葉子。

そんな葉子の前に現れたのは、結婚を間近に控えた将来の自分。

これをきっかけにより一層葉子は、将来の自分、過去の自分を意識するようになる。

自分に対する評価は低くて、自身のこととなるとどこか冷めたような判断を下してしまう葉子。

転校、就活、結婚......人生の転機で葉子は何を悩み、その先に何を見出すのか。

 

 

 

未来と過去が交錯するプロムナードと葉子の悩み

タイトルから想像していたよりも、所謂「時間もの」としての要素は控えめでした。

未来と過去が影響を及ぼし合って繋がってゆく小気味よさ、というよりは、葉子の人生の節目、節目で悩みを抱える様子とその悩みが誰かの助力を得て解消されてゆく様が丁寧に描かれていました。

だから、悩む葉子の目の前にその都度将来、あるいは過去の自分が現れて天啓のように救いの言葉を残してゆく、なんてことはないのです。

葉子自身も安易にそれに縋ろうとはしない。

かと言って、この設定がうやむやになってしまっているということはなくて、悩む葉子の心の中にはいつも未来と過去の自分を映しているのです。

 

私は全然、昔の自分にも、未来の自分にも、誇れるような自分になっていない。未来の自分にしたって、過去の自分にしたって、そんな私に会いたいなんて、きっと思わない。

p.163

 印象に残っている葉子の心情のひとつ。

というのも、これと同じようなこと、私も時々思う事があるのです。きっと私だけではないはず。

今の私は間違いなく昔の私が思い描いた私ではないな、とか。

未来の私はきっとこんな私を許さないだろうな、とか。

 

そんなときは決まって『十代に共感する奴はみんな嘘つき』を読んだ私が、「勝手に過去の自分を私物化するな」という。

shiyunn.hatenablog.com

 

えくぼができるという些細な私との共通点もあって(葉子はコンプレックスに感じていたみたいだけれど、私はわりとすきです、自分のえくぼ)、そんな悩みを葉子はどのように乗り越えてゆくのだろうと、より一層傾倒しながら読んでいました。

 

 

母親や友人の杏奈、ゆくゆくは結婚することになる月島洸はちゃんと葉子のことを見ていて、素敵なところを知っていて。

それでも葉子は彼女たちの葉子に対する言葉を身についてしまった癖のように否定してしまう。

私も時々やってしまうのだけれど、洸の「怒るよ?」のように、それを否定することが相手に対する不遜なのだとなかなか気が付くことができない。いつだって後になって、素直に受け止めておけばよかったと思う。

そういう意味では洸は本当に誠実で真っ直ぐな言葉を使う人だ。

 

 

幾多の作品で自分の幸せをちゃんと把握できない人たちを見てきたけれど、そんな人たちに対する答えは至ってシンプルで、受け入れちゃえばいいよ、なんて言葉では簡単に言える。

けれど、現実で私がちゃんとそれを実現できるかというと、多分、そう簡単にはいかない。

今作の葉子だって、少なくとも9歳から28歳になるまでの19年間、大なり小なり悩みぬいて得られた結末だし、きっとこれから悩みひとつなんてことはないだろう。

この物語を読んだからと言って、明日からの私の身の振り方が大きく変わるなんてことはもちろんないだろうけれど、もやもやとしたものを抱えたときにこの葉子の物語を思い出すこともあるかもしれない、そしてもしかしたら時にはそれが救いになることもあるかもしれない。

タイムパラドックスタイムリープなんて派手な舞台装置はないけれど、現実感を伴ってこの物語が書かれていたこそ、私はこんなにも葉子に共感できる部分を見出したのだし、葉子の見出した答えはきっと私の中でも小さく息づいていくはずだ。