ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『八月の終わりは、きっと世界の終わりに似ている。』

『八月の終わりは、きっと世界の終わりに似ている。』 天沢夏月

八月の終わりは、きっと世界の終わりに似ている。 (メディアワークス文庫)

 

私としては『拝啓、十年後の君へ。』以来の天沢夏月さんの作品。

shiyunn.hatenablog.com

 

 

「夏の終わり」ではなくて、「八月の終わり」というところが本当によい。

自身の高校生時代の夏休みをつい、思い出してしまいました。

陽が差し込む畳の上で寝ころびながら本を読むのがたまらなく好きでした。

その時のなんとも言い表せない気怠さや哀愁がさらに色濃く描かれていて、あの時感じたもの寂しさに似た何かは世界の終わりに感じるそれと似ているのかもしれないと今にして思います。

 

 

※以下、作品の内容に具体的に触れています。未読の方はご注意ください。

 

 

今回の物語の主人公は、かつての恋人、透子の死を引きずり続ける大学生の成吾。

4年ぶりに地元に帰省した際に、当時高校二年生の夏に透子と交わしていた交換日記を手にする。

ある日、その交換日記に亡くなったはずの透子の字で新しく文章が綴られていることに気が付いた成吾は日記を通してやり取りを始めることになる。

 

現在と過去が交互に描かれながら物語は進んでいくのですが、過去の透子の死から一歩も動けずにいる成吾の感情を不健全だと思いながらもどこか綺麗だと感じてしまう。

誰だって思い出に縋るのはよくないって分かっているのに、完全に手放すことができない、みたいな欠陥が私にはどうしようもなく美しく見えてしまう。

 

 

 

 

世界の終わりだったり、透子のペースメーカーだったり、瓶ラムネだったり、色々な単語や物が象徴的に使われていて、今年の夏はラムネの瓶を見る度にこの物語のことを思い返すかもしれない。

透子の心臓が止まってしまった時に、成吾の中の生きていく上で決定的な何かも動きを止めてしまったのです。

だからこそ交換日記を通して縋るような思いでやり取りを繰り返す成吾を思うと胸が痛む。どうせなら透子の悲しみに暮れ続けたままで、再び交換日記を手にすることなんてなければ良かったのに、と思いかけてしまうほどに。

物語の結末として、結局透子の死は変わらない。

 

 

 

こういう物語を読むたびに、当たり前に人は死ぬのだということを思い出す。

私自身を含めて。

最後には透子の言葉によってまた前を向けるようになった成吾のように、未来、私の周りで何かあった時に立ち直れるかな、透子のように誰かに何かを残してあげられるかなと少し不安になる。

そんな時、何かをしようと小難しい言葉をこねくりまわしてしまうけれど、きっとシンプルな言葉でいいのだという答えを物語は私にくれる。

この物語でたまらなく好きな一節があって、透子の見ていた世界はきっとこのひとことにぎゅっと集約されるのだろうと思うと、どうしようもなく胸がいっぱいになる。

 

君の名前は、私にとってこの世界で最も美しい言葉だ。

 

 

とてもシンプルだけれど、その響きはとてもあたたかくて綺麗で。

私が思っている以上に、いつも通りでシンプルなもので私は生かされているし、そんないつも通りを誰かにあげられたなら、きっとそれだけで最強だと思うのです。

 

いつかの私が悲しみに沈み続けないように、というのも、私が物語を読む理由のひとつなのかもしれないなと思えるような作品でした。

 

 

 

 

余談。

この作品の表紙イラスト担当されているの、とろっちさんだったんですね。

この本がめでたく我が家の本棚に仲間入りした時にはそうとは気が付かなかったのですが、新装版『サクラダリセット』シリーズだったり『青の数学』シリーズだったり『三軒茶屋星座館』シリーズだったり、私の好きな作品ばかり。

(どんな作品も好きって言うくせに、とか野暮なことは言ってはだめです)

好きな小説が増えていくと、それに紐づくような形で好きなイラストレーターさんも増えていくの、すごくしあわせだけれど財布に痛い。

すごく、しあわせだけれど。

 

ここ最近になって本当に色々なイラストレーターさんの絵の雰囲気や名前を覚えたので、いずれ「このイラストレーターがにくい」みたいな記事書いてまとめたい......。

 

 

三軒茶屋星座館 1 冬のオリオン (講談社文庫)

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青の数学 (新潮文庫nex)

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