『プールの底に眠る』 白河三兎
自身を取り巻く状況や心の持ちようはいつだって同じじゃないし、その時々によって大好きな小説は変わりゆくものだけれど、「今好きな小説は何?」と訊かれたならば間違いなく3本の指に入るこの作品、『プールの底に眠る』。
初めて読んだ時の衝撃を今でもはっきりと覚えている。
今まで主にエンタメ小説の楽しみ方しか知らなかった私は、この作品を読んでここまで琴線に触れる物語があるのかと、度肝を抜かれた。
この小説は間違いなく私みたいな人間のためにあると感じた。
他人にそうであってほしいと願うほどの幸せが、自分にはちょっと不釣り合いだと感じてしまうような。
万人受けするかどうかなんてどうでもよくて、ただただ雰囲気が、ちょっとした言い回しが心の温度に馴染んだ。
それ以来、白川三兎さんの作品を買っては深い夜にひたひたと浸かりながら読むのが癖になった。
久しぶりに読み返したので、今回感じたことを文字に残しておこうと思って。
まず何よりも書き出しがたまらなく好きだ。
眠れない夜にイルカになる。
主人公の男子高校生の少年が老いたイルカの最期に思いを馳せる場面から始まるのだけれど、静かでそれでもどことなくあたたかくて、ついつい口寂しくて飴をなめてしまうみたいに、折に触れてこのイルカの話を思い返してしまう。
主な登場人物はこの主人公とその幼馴染、そして裏山で自殺未遂のところを主人公の彼に見つかって自殺を思いとどまる少女。
まず、この主人公と幼馴染の関係が本当に良い。
作中彼らが最終的に恋仲になることはないのだけれど、それでも彼らの間に流れる、かと言って単なる友人として割り切ることのできないどうしようもなさに心を鷲掴みにされる。
2人とも互いを気遣っているから、私の中ではお互いを見つめる眼差しは優しくてそれでいて、ちょっぴり羨望を含んでいる。ただただ相手を傷つけてしまうことを恐れていて、そこから一歩踏み出すだけの覚悟があったならまた違った関係になったのかもしれないが、きっとそんな覚悟など必要としていない。
お互い30歳までに本物の愛が見つからなければ結婚しようよ、と話をする場面がある。
決して冗談で言っているのではないけれど、彼らが結婚することはないだろうな、と思ってしまうような雰囲気が絶妙。恋愛とか片思いとかそういうすれ違いではなくて。なんというか、恋とは縁遠い方向に、互いを少しだけ特別視しすぎている感じ。
幼馴染は主人公のことを布団の中で想っても眠れなくなるどころか逆に熟睡できるというし、
主人公は笑ってなくても幼馴染のことは凄く好きだから、無理して笑う必要はないのだと臆面もなく言ってのけてしまう。
私はそれを愛と呼んでもよいのではないのかと思うのに、彼らは互いを過大評価するが故に、ここに本物の愛はないという。
本当にこの場面はただひたすらに優しくて、なんだか哀しい。
一方、主人公と自殺未遂の少女。
互いを名前ではなくイルカ、セミと呼び合い、交わされる会話は年齢不相応に大人びていてどこか浮世離れしている。
のらりくらりとしたセミの言動に翻弄されながらも、心を亡くしたというセミに少しずつ惹かれていく。
最終章では、時間は一気に進み主人公は図書館で勤務する妻帯者となっている。
それでも先の夏のセミと過ごした7日間のことをずっと悔いている。
初めて読んだ時は作品の静謐な部分ばかりに共感して、そこをひたすらに自分の中で増幅して反芻して浸っていたのだけれど、改めて読み返してこの作品の前向きな結末にここまでやわらかい気持ちになるとは思ってもいなかった。
そうして、以前ほどどこか後ろ暗い気持ちを抱かなくなったことを少しだけ寂しいと思う。
何かに罰せられていなければならないような気がする、幸せを享受するのに相応しくないという主人公を見て、共感というより痛々しくて見ていられないような気持ちになる。君は十分優しい、頼むからそんな悲しいこと言わないでくれ、と。
そうして、最後には過去ではなくちゃんと今を見ることができるようになった主人公の姿にどこか安心する。
この結末を綺麗だと感じる気持ちに変わりはないけれど、以前のように感傷的な気持ちでいっぱいになることはない。
多分、この作品のそういう部分から私が少しだけ離れてしまったのだ。
あの時の感性が死んでしまったのだ、なんて今の私が過去の私のことをしたり顔で語るのは傲慢だって最果タヒが言ってた。だから多分、感性だけでなく、過去の私ごと死んでしまったのだ。死人に口なし。
その変化を少しだけ悲しいと思うのは今の私の身勝手だけれど、過去の私がこの『プールの底に眠る』で少しだけ生かされていたという事実だけは胸に留めておいてもいいと思っている。
未来の私の好きな小説の3本の指にいつまでも入っている保証はないけれど、いつまでも私にとってかけがえのない作品であることに、変わりはない。