ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『十代に共感する奴はみんな嘘つき』

『十代に共感する奴はみんな嘘つき』 最果タヒ

十代に共感する奴はみんな嘘つき

 

最果タヒさんによる小説。

まずこの『十代に共感する奴はみんな嘘つき』というタイトルに撃ち抜かれる私。

表紙デザインも相まってサイコー。

「十代に共感する奴はみんな嘘つき」というフレーズを目にするのは実はこの作品が初めてではなくて、最果タヒさんの詩の中で使われているのを見たのが初めてだったような気がします。記憶が正しければ、『空が分裂する』が新潮文庫nexにて刊行された際にla kaguで行われたイベントか何かで。

 

空が分裂する (新潮文庫nex)

空が分裂する (新潮文庫nex)

 

 

 

私にとって最果タヒさんの小説は、起承転結を主人公と一緒に追体験していくというより、嵐みたいに怒涛に吹きすさぶ言葉にただただ見逃してしまわぬよう必死に食らいつく感じ。

「かわいそう」だとか「不幸」だとかそういった言葉を額面通りに飲み込むことに主人公のカズハは気持ち悪さを感じているし、他のみんなが当たり前のように思いを言葉や行動で消費してしまえることが理解できず、疎外感めいたものを感じている。

カズハから見た日常はあまりにも不条理で歪だし、そんな世界を語る彼女の言葉は時に痛烈。

 

 最果タヒさんのTwitterより。

上記の画像の言葉はすべて本文から抜粋されたもの。

こういった言葉が至る所にあって、そのあまりの濃度に時折消化不良を起こしてしまいそうになる。

 

 

カズハにはなかなか大学を卒業しない兄がいて、その兄には付き合っている彼女がいる。

その彼女は兄と付き合っていながらも兄の親友と寝たという。そんな彼女のことをカズハはためらいもなくビッチと呼ぶ。

カズハがビッチという言葉を口にするとき、ビッチだから彼女の人間性がどうとかそういう意味合いはまったくなくて、多分表も裏もなくビッチだと思ったからそう呼んでいるのだろう。むしろいっそのこと清々しさすら感じる程に。

それよりもそんな彼女と愛のためだとか言って結婚しようとする兄のことを気持ち悪いと感じている。こんな兄と結婚しちゃってもいいの? とその彼女につい訊いてしまうくらい。

混乱でわけがわからなくなって、それでも「愛して」って言葉だけは似合いそうだから、そして具体的に言わなきゃパニックの自分に殺されてしまうから、だからとりあえずそう言っているだけ。結婚して。愛して。とりあえずで欲しがって、とりあえずで成立している。

p.57

兄の結婚に対するカズハの見解の中で、この一節が特にたまらなく好きだ。

特に、”それでも「愛して」って言葉だけは似合いそうだから”の部分。

ついさっき「たまらなく好きだ」と文字を打っておきながらこんなこと言うのもどうかと思うけれど、この「好き」だって「好き」って言葉が似合いそうだからなんとなく使っている部分が大きいのだと思う。

聞こえのいい言葉を使う時、私の場合、大抵その響きに相応しいだけの心の準備や覚悟ができていない。それでも何と呼ぶのが正しいのか分からなくて、その部分を嚙み砕いて分解する作業をさぼってしまって、つい、「好き」だとか言ってしまう。

いや、「好き」であることに変わりはないのだけれど、その響きに甘えてしまっている部分が多い。「好き」なら「好き」ってとりあえず言っておけばいいよねって。

愛してって言っておけばいいよね、結婚しておけばいいよねって。

 

 

 

 

それから、相も変わらず最果タヒさんの書くあとがきは今回も私の奥底に深々と刺さる。

 過去のきみは、きみの所有物ではない。当たり前のそんなことを忘れてしまう。十代の私のことを私は、一つも理解できていない。そう思っていなければあの頃の私があまりにもかわいそうだ。懐かしさという言葉ですべてをあいまいにして、そしてわかったつもりになるなら、それは自分への冒涜だって、気付かなければならない。

 作中にもカズハを通して言葉にされていたけれど、今の私が、数十年後に死ぬ前に「あの時は良かったな」なんて感傷に浸るためだけに存在していると言われたら、きっと納得がいかないだろう。

それに、思い出はいつだって優しい。

等身大で抱えていたはずの悩みも希望も全部褪せて、ひとつまみにされて消費されてしまう。

だから過去を振り返るなということではなく、未来とか過去とかそういうのは今の自分には少しも関係ないのだと、あとがきに続けられている。

過去の私は間違いなくその時の「今」を生きていたはずで、こうして未来の私がとやかく言う筋合いはないし、わかりやすく言葉にまとめてしまえばしまうほど、過去の私を軽んじることになる。

 

まっすぐ「今」を見据え、決して飾らないカズハの言葉に、最果タヒさんによるあとがきに、過去とか未来とかじゃなくてもう少し目の前の物事に真面目に向き合ってみよう、という気になる。

どうせどう転ぼうと、未来の私は結局体のいい言葉でひとまとめにしてしまうのだから。