ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『ひきこもりの弟だった』

『ひきこもりの弟だった』 葦舟ナツ

ひきこもりの弟だった (メディアワークス文庫)

帯の(私の好きな作家のひとり)三秋縋さんの推薦文とそれにまつわるTwitterの呟きもあって、ここ最近で発売を楽しみにしていた作品のひとつ。

 

 

 

タイトルを見て、主人公自身がひきこもりで弟なのだと思ってましたが、ひきこもりの兄をもつ弟が主人公でした。

読み終えて、言葉にしておきたいことは色々あるけれど、三秋縋作品が好きな私にとっては堪らない物語でした。シンプルに言えば、性癖ドストライク。自己肯定感が低い、主人公。

 

誰をも好いたことがない。そんな僕が妻を持った。

まず、この書き出しからして、しんとした海底みたいな諦観の匂いがする。よき。

主人公の啓太は駅でくたびれてまどろんでいるところ千草に声を掛けられ、初対面にもかかわらずその場で結婚を決める。

千草からされた3つの質問。

彼女はいますか、煙草は吸いますか、最後に、あなたは――

この最後の質問というのは、物語の終盤になってやっと明かされる。

そんな啓太たちの契約にも似た結婚生活は文字通り共存に近い。

ひとりでいるより、なんとなく生きやすいような気がするから。そこに愛情も恋情も存在しない。

 

 

 

啓太はひきこもりの兄を、そしてそんな兄を腫物のように大事に扱う母のことを煩わしく思っていた。

気が付けば恋に溺れる人たち、周りの人たちに甘えて自分の力で生きようとしない人たちを冷ややかな目で見つめるようになっていた。

恋をしたとして、行き着く場所はどこなのだろう、結婚して、子供を産んで、それが兄のようなひきこもりになったとしても、幸せだと言えるのだろうか。

 

 

 

 

まず、何よりも啓太と千草の結婚生活があまりにも手探りでちぐはぐで痛々しい。

表面的にはきっと幸せな夫婦に見えるのだけれど、お互いを思いやるような行為が心からのものではなく、きっとそうした方が喜ぶだろうという打算的なものによるとことが大きい、ということを互いに肌で感じ取っている。

相手を傷つけてしまわないように、と自分を押し殺して怯えているみたいだ。

そして、相手が自分のために何かをしてくれるだろうということを、きっと期待していない。

でも時々、僕は堪らなくなる。妻が笑っている。僕は大切にされている。平和な、幸せな日常。それが堪らない。時々、大掛かりなおままごとをしているような、掴みどころのない気持ちになる。

 

そんな風に、温度の上がり切らない夫婦生活と啓太の職場での生活が描かれながら、兄との確執が語られる。

大人になった今でも、私生活の至るところで兄を思い返す程に、啓太はひきこもりの兄に、囚われてしまっている。

 

 

 

大きな痛みは伴うけれど、この物語の結末は紛うことなく、ハッピーエンドだ。もう一度言う、大きな痛みは伴うけれど。

自分のことがたまらなく嫌いな自分のことを、それでも誰かが肯定してくれるということに、読んでいる私の感情も何もかもがゆるゆると解けていく。

思いのやり場がなくて、とりあえず泣き出したくなるような感覚を久しぶりに味わいました。

 

「この本を読んで何も感じなかったとしたら、それはある意味で、とても幸せなことだと思う」というのは、帯の三秋縋さんの推薦文だけれど、この本を読んで何も感じない人など、いるのだろうか。

とても幸せとまではいかないけれど、何も感じない人の方がきっと生きやすいだろうな、とは思う。

でも、過去も含めて自分が大好きで、生き辛さを微塵も感じていないと胸を張って言える人がどれだけいるだろう。

三秋縋さんとか白河三兎さんの作品が好きな人は迷わず読むべきだし、そうでなくとも是非読んでほしい。

 

最後の場面の、啓太の願いがあまりにも切実で、そこを読み返すだけで胸がいっぱいになる。

いつだって言い訳が得意な自分のことが少しだけ嫌いな人に、受け取って欲しい綺麗な言葉があるのです。

 

 

 

 

以下、ネタバレにつき、未読の方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

啓太と千草の3つ目の約束と彼らが迎えた結末。

啓太と千草は互いに生活の中で、少しずつ色鮮やかさを取り戻していくのだけれど、そのきっかけとなったのが兄からの手紙、というのが啓太にとってあまりにも皮肉だと思った。

ふたりの生活の中で、幸せになれるきっかけを見つけたのにそのままではふたりはいちばんの幸せを掴むことはできないのだというのがかなしい。

 

千草が初めて啓太の前で涙を流す場面、啓太が泣いているのが悲しくて涙を流しているのだという千草が印象に残っている。

誰かの為に、というのに本当に弱い。

 

 

それから。

だって、君は本当は、ちゃんと幸せになる力を持っているはずなんだ。

(略)

なんで手を伸ばさない。

 p.324

この言葉は私にとって少しだけ心が痛い。

その少し前にあったように、「辛い」ということに楽をする、ということに身に覚えがありすぎる。有り体に言えば不幸だ、冴えない、と酔いしれることに。

でも啓太と千草は本当に似た者同士だから、言葉をかけるということは自分を見つめ直すことに等しい。啓太だって、千草のことは言えない。なんで手を伸ばさない。

 

それからp.340の一連の啓太の願いが本当に、本当に、好きすぎる。

これは、私が欲しい言葉というより、誰かにあげたい言葉。

「君の欲しい物が、どうか全部手に入りますように。」とか。

「千草がちゃんと欲しい物に手を伸ばしますように。ちゃんと、掴みますように。」とか。

これだけ抜き出すとあまりにも綺麗すぎて目を逸らしたくなるけれど、こういう言葉がちゃんと輝くだけの裏打ちが啓太にはあるところが、またよい。

 

 

 

 

 

間違いなくここ最近で、私にとっていちばんの作品。