『自由なサメと人間たちの夢』 渡辺優
作者由来でもイラストレーター由来でもなく、なぜだか上手く言えないけれど、書店で見かけたときにぎゅっと心を掴まれる作品が時々ある。
装丁の具合だったり、タイトルの響きだったり、あらすじだったり、そういうものがいい具合に私の感性にかちりとはまる時が。
今回も初めてこの作品を見かけたときの「なんかよさそう」という漠然とした予感に従って。純度の高い、衝動買い。
心のよりどころを求める人々の7つの短編。
最後の2編を除いて、それぞれが独立した物語。
どの物語の登場人物たちも一貫して自己肯定感が欠けていて、体の良い言い訳や支えを病的なまでに求めてしまう。
作品の雰囲気は全体的にメランコリックで、何かと否定的な言葉がついて出るどこか痛々しい登場人物の姿に合わせてゆっくりゆっくり深い海に落ちていくような。そうやって呼吸困難に陥りながらも本当にダメになってしまうすんでのところで、各話ごとに違った結末が待ち受けている。
特に印象に残っている部分についていくつか。
『ラスト・デイ』
自らの死を思うように演出したいという希死念慮が強く、自殺未遂を繰り返し、精神科に入院中の女性の物語。彼女自身、自ら望んで精神科に入院している「偽物」だという。
今となっては入手困難になった、必ず死ねる薬の組み合わせの黄金レシピ。
その薬を巾着に入れて、宝物として大切に持ち歩いていた。
私は別に希死念慮を抱いているわけではない(と自分では思っている)けれど、自分の望みに沿った最期にしたいという思いだったり、「切り札」をひた隠しにしておくだけでなんか落ち着いたりするという彼女の気持ちは少しだけ分かる。
そういう、最後の手段に踏み切っていないだけでなんとなくまだまともだと思えるし、本当にダメならその手段を行使してしまえばいいやと思うと少し肩の荷がおりる感じ。
『夏の眠り』
とある理由により、明晰夢をみたいと願う青年の物語。
アルバイト先の先輩の助言により、次第に「明晰夢をみること」にのめり込んでいく。
この夢の描かれ方がすごく好きで、例えば幸せな夢を見たとしても幸せな気分になるかと言えばそういうわけでもない。夢は自身の深層心理をうつす。手に入れることのできない幸せを夢にみることによって、自身の弱さや未練が浮き彫りになってなんだか傷ついたような気分になる。
そこで、自身の弱さをちゃんと見つめ直して現実と向き合うことができれば良かったのだが、主人公の青年はその夢をコントロールしたい、と願う。
作中でハマるとよくない、と書かれていたけれど夢の内容を起き抜けに記す「夢日記」、面白そうだと思ってしまった。なんというか、荒唐無稽な夢をよくみるのです。 そういうのをまとめて後で見返したらおもしろそう。
思い出になってしまえば、夢と現実にどれほどの違いがあるというのだろう。
という一節がすき。
『虫の眠り』
とある学校にてひとりの少女がクラスメイトをボールペンで刺した事件について、多視点で描かれている。
表面的にはいじめによるもの、とされている。表面的には。
複数の少女たちによって、事件に対する原因だったりその後の身の置き方だったり思いを巡らせるのですが、それぞれが違った思いを抱いていておもしろい。
結局誰しも、自分が一番かわいいし、かわいそうだと思っていたいのだな、と思う。
結末も少しだけぞっとするもので、直接的なつながりはないもののこれまでの短編の要素もふわっと香る終わり方で、よい。
『サメの話』
この話のみ独立しておらず、その後の『水槽を出たサメ』に続くのですが、この『サメの話』がいちばんすきです。
これまでの主人公と同じく自己肯定感の足りないキャバ嬢が、唯一の生きがいをサメの飼育に求める物語。
必死にお金を貯め、サメを購入し、これで万事うまくいくと思っていたけれど、現実はなかなか好転せずサメに語りかける場面があるのですが、本当にこの場面の雰囲気がたまらなくすき。
「サメ」
私はサメに話しかける。
「サメ、私を救って」
この場面の静かに響く声とかを想像すると、ふわっと力が抜ける。
きっと主人公の苦労とか、サメにかけた思いが、この場面に至るまでに描かれているからこそ。
ひとことめの「サメ」の余韻がたまらない。この先しばらく、信号が青に変わるまでとか次の電車が来るまでとか、ふとした時に「サメ」って言っちゃいそうなくらい。
それから、
「小林は死んだ目になるまで頑張っているのに、どうしてだれも元気出せよって言ってあげないんだろうと思って。そういう言葉は私みたいなのじゃなくて、ちゃんとした人間に言ってもらってほしい」
この台詞がすきすぎて、じんとくる。
主人公のお客さんとしてお店に来ている小林が、元気出せよ、という些細な言葉で十分に救われていることや、そんなに卑下するほど主人公は駄目な奴じゃないよとか、色んな要素がぎゅっと詰まっている。それからこの台詞の感じ、すごく分かるのです。
ひとつひとつカードにスタンプを押していくような些細なもので構わないから、誰かを褒めてあげられる人になりたいのです。褒めてあげたい、というか、褒めたい、というか。
多分、全身全霊、私をもってして目の前の人を肯定したいのだと思う。
これだから、いつもついつい本を買ってしまうのです。
流石にサメを飼おうとは思わないけれど、クラゲくらいなら飼いたいと常々思ってます。
随分前に、割と本格的なクラゲの飼い方完全マニュアルみたいな本を見つけてその時はぱらぱら読んで満足したのだけれど、すっかりタイトルも忘れてしまって、今ではその時に買わなかったことを、少しだけ、後悔しています。