ようやく物語の終わりに向けて主要な人物が出揃ってきたような気がします。
これまでのお話や他の河野裕さんの作品についての感想はこちら↓
つい先日、アニメ『サクラダリセット』のPVもアップロードされたようで、こちらの放映も楽しみです。
前回、4巻の感想でこの5巻のお話がいちばん印象に残っている、というようなことを書いたような気がします。
とある少女の能力によって夢の世界の中で再現された咲良田の街。
夢の中には訪れたものの願いをなんでも叶えてくれる神様がいるという。
その世界の在り方の危うさや現実との違いを調べるため、ケイは夢の中の咲良田に足を踏み入れる。
一方、相麻菫の見た未来に向けての計画も進んでいて。
何といっても、野ノ尾盛夏と猫屋敷の老人とのやりとりがたまらなくすきなのです。
「誰かと一緒にいなさい。それだけでいい。隣にいる人が笑うことを、幸せと呼ぶんだ」p.193
という老人の言葉を、私はきっと死ぬまで忘れないだろうと思う。
この台詞だけが飛び抜けているのではなく、この「幸せ」についての野ノ尾と老人とのやり取りがとてもよいのです。
野ノ尾と老人が出会った夢の世界では、老いも体の自由も思いのまま。実在する身体は現実世界にて眠り続ける。
この理想と現実の、抗いようのない時間の流れによるギャップと、野ノ尾の不器用さが相まってなんとも言えない気持ちになるのです。
「貴方が言ったんだ。隣にいる人が笑うことを、幸せと呼ぶんでしょう?」p.296
「彼は隣にいる人が笑うと幸せなのだと言った。でも私は、彼の隣で、笑うことができなかった」p.301
老人の言葉に従おうと、上手く笑おうとするも想像よりはるかに老いた彼の姿に上手く笑えない野ノ尾と、彼女の友人に自分自身はふさわしくないのだと悟る老人。
ふたりとも互いの幸せをこんなにも願っているのに、時の流れというあまりにも普遍的で絶対的なものが存在するがゆえに、痛みを伴う感じ。
相手のことなんか気にかけなければもとより存在しえなかった苦しみ。
その点、ケイは自身の望む幸せについてなら何でも差し出してしまうような悪魔的な危うさを感じる。
痛みや苦しみが伴うことを覚悟している、そしてその上で何もかも背負ってしまうおうと考えている。それが、正しいと決めたから。
今回の物語でも、彼の「リセット」のひとことによって春埼の覚悟をひとつ消し去ってしまったことを後になってから知る。多分、リセットを行う前にそうなることが分かっていてもケイはリセットを使っただろう。
なんだか「罪滅ぼし」をしているみたいで、時々見ていられなくなる。この、ぎゅっとする感じを私にとっての簡単な言葉にしてしまえば「切ない」になるのだと思う。
ケイの笑う顔を想像しようとしてみても、どことなく寂し気な雰囲気が似合ってしまっていけない。
前回、最後の方にちらりと登場した宇川沙々音。
なんだか階段島シリーズに登場する真辺みたいだ、と思う。
彼女は彼女なりの正義をもって、その正義の由来を疑うことなく物事をきっぱりと判断しようとする感じ。
宇川沙々音は人を、信用し過ぎている。
誰もが彼女のように、強くなれると思い込んでいる。
p.218
さらに言うなら今回出てきたチルチルは「つれづれ、北野坂探偵舎」シリーズに出てくるレイニーみたいだ、なんとなく、雰囲気が。
今思えば、『いなくなれ、群青』の刊行予定を目にしてタイトルに惚れ込んで、新潮文庫nexが創刊される前にスニーカー文庫版の『サクラダリセット』シリーズを読み始めたのが始まりなのですが、一周巡って私の中である一定の世界観がふわっと構築されている感じがとても楽しい。
それから、巻を追うごとに相麻菫の魅力がぐっと増していく。
自分自身の命やケイに対する好意すらぞんざいに扱ってまで、彼女が掴みたかった未来。
そうまでしなければ掴みえなかった未来が明かされるのは、もう少し先の話、ですね。
残り2巻を読み終わることには、アニメ放送が目の前が来ていると思うと楽しみでたまらないです。