『よるのばけもの』 住野よる
※感想を書く上で所々内容に触れています。未読の方はご注意ください。
主人公の少年は毎晩ばけものになる。
自由にどこへでも行けるばけものの身体で眠れぬままふらりふらりと時間を潰して夜を過ごしていた。
そんなある晩、忘れ物を取りに赴いた夜の学校でひとりのクラスメイトと出会う。
彼女の名前は矢野。クラス内のいじめられっ子だった。
すぐに「ばけもの」の正体が少年だと気が付いた彼女は、夜休みと称して夜の間のある程度を学校で過ごしているようだった。
少年は夜の間を学校で彼女と過ごすうちに、昼間同級生に合わせて無視をしている自分とこうしてばけものの姿で彼女と普通に話をしている自分、どちらが本当の自分なのだろうと迷い始める。
物語の中心のテーマと扱われているのは「いじめ」。
昼間の学校生活での一連の同調圧力に従うことに違和感を覚え始めた時点で主人公の少年、あっちーは良くも悪くも少し「ずれた」少年だと私は思ってしまう。
『君の膵臓をたべたい』が話題になり、その流れで今作を手にする中高生の読者も多いと思うけれどきっとこの作品を読んだ上でも彼らを取り巻く状況は変わらないのだろうなと思う。
この作品に力がないのではなくて、それほどに歪な環境があるということ。
自身がヒエラルキーの上に位置していたとして誰かが笑われていることを「よくないな」と思うことはできても、勇気をもって態度を変えられるような人はきっといない。
断言してもいいくらい。
作中、主人公のあっちーが取り返しのつかないことをして矢野さんに夜、謝る場面がある。
そんな謝罪の言葉すら自分が罪悪感から救われるためのものでしかなかったと傷つくことになるのですが、だったらどうすれば良かったのだろう、と思う。
あっちーが矢野さんにしてしまったひどいことを、それまでクラスメイトに合わせて無視を続けたことを「悪いことをした」と思ったら、どうすれば良いのだろう。
多分、いじめは「ごめんなさい」をすれば済むような簡単な話ではない。
私は「いじめられる」立場ではなかったけれど、だからこそ私の何かが誰かを無自覚に傷つけていたのではないかと思うと、心がざわざわとする。そんなこと何の免罪符にもなりはしないのに。
物語はあっちー視点で進んでいき、当初矢野さんは何を考えているのかよく分からない女生徒として描かれている。
物語を通して完全に理解されることはないけれど、少しずつ少しずつあっちーの中で輪郭が描かれていく。そうしてより一層昼と夜の矢野さんに対する意識の乖離が進んでいくことになる。
なんとなくおぞましいばけものに姿を変えてしまう、というと「呪い」のようなイメージがある。ばけものの姿によって一度は本当の自分を見失いかける。
果たしてあっちーがばけものになることは必然で正しいことだったのだろうかと思う。
彼がばけものになって矢野さんと出会う事がなければクラスを取り巻く歪な雰囲気にここまで居心地の悪さを抱くことはなかっただろう。
「呪い」だとは作中どこにも書いてないし、これは私が勝手に思っていることだけれど最後にあっちーは無事ゆっくり眠ることができるようになる。
クラスと矢野さんを取り巻く環境が変化することはきっと物語が終わった後もないのだろうけれど、矢野さんと夜の間言葉を交わして、こうしてあっちーが眠れるようになったことに大きな意味があるのだと私は思う。そうして自分の手で昼の自分の態度を変えようと思えただけであっちーは多分どのクラスメイトよりも正しいし、優しいし、勇気を持っている。
この物語が大きく現実を変えることはきっとないだろうけど、今抱いている自分とは別の意識や物の見方が芽生えるきっかけになったらよいな、と思う。