ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『恋する寄生虫』

『恋する寄生虫』 三秋縋

恋する寄生虫 (メディアワークス文庫)

 

私の好きな作家のひとりである三秋縋さんの作品。

ある程度の時期を経て今まで好きな作品の雰囲気というのは変化してきたのですが、未だに、三秋縋さん、河野裕さん、白川三兎さんの作品の作り出す雰囲気に心がとらわれたままです。

 

 

 

主人公の高坂賢吾は重度の潔癖性故に社会で生き辛さを感じていた。

ごみごみとした外の世界から逃げるようにして引きこもりながら、コンピュータウィルスのプログラムを組み続ける。

そんな中、不登校の少女、佐薙ひじりの面倒を見ることになり、ぎくしゃくしながらも同じ時を過ごすうちに、2人の仲は深まってゆく。

しかし、その恋に似た感情はとある「虫」によってもたらされたものであることを後々、彼らは知ることになる。

 

 

 

この不器用な2人の仲が決して明るくない出来事で離れがたい関係に進展してゆく感じ、すごく三秋縋さんのお話という感じがします。

諸手を挙げて喜ぶような幸せではないけれど、その感情だけを胸にして生きてゆけるような。地として寂しさや諦めというものがあるからこそ、些細な幸せが際立つ。

 

 

 

今回も主人公の高坂賢吾は、うだつの上がらない生活を送りながらも、ひじりとの何気ない生活に安らぎを感じるようになる。

その感情さえも虫によるものだと知らされた時、高坂賢吾の思いは揺らぐのですが、それでも彼にとって恋だと感じた体験は本物であると信じていたいもので。

 

 

私の身の回りの人たちが、特に中高生の頃、あれほど好きだと言っていた人をあっさりと嫌いになっていったのをふと思い出しました。

あのくるくると変わる感情こそ、寄生虫の仕業なのかもしれない。

時々、恋愛感情は脳機能のバグ、というような、ある種茶化すような表現をネットで見かけるけれど、図らずもバグの語源が虫だということを思い出して、はた、とする。

 

 

私も時々、自分の感情がどこから来るのか眠れぬ夜に考えては少しうんざりすることがある。

多分、「言い訳」をするのが得意なのだと思う。愛だとか恋だとか希望だとか未来だとか、そういうものが自分の中にあるのだと思うとそれがすごく薄っぺらいものだと感じてしまう。勝手に自分の言葉で汚してしまう。

 

今回の登場人物たちの思いが、彼らに寄生した虫によるものだと知らされた場面で、現実でもそうであったならもう少し気が楽なのかもしれない、とふと思う。

なんというか、所在や理由がはっきりしている方がなんか安心するのです。

 

感情が一体どこから来るのかなんて、分かりようがないのだから、その感情を抱えたままどうするのかを「自分」で考える必要があるのかもしれない。

今回の2人も、感情が虫によるものだと知った上で自分の信じる幸せを選んだということに、恋愛感情がどれほどのものを2人にもたらしたのかと、想像してしまう。

 

 

 

 

また、タイトルにもある通り寄生虫の話がいくつか登場するのですが、私にとっては未知の世界でそれこそ興味深い話もいくつかあって色々と調べてみたくなります。

まずは、目黒寄生虫館に行ってみたい。

 

 

 

なんというか、あとがきにもあったのですが、ちょっとした幸せとか刹那的なものにひどく心惹かれてしまう。

同じ花でも、花畑に咲く一輪よりも荒野に咲く一輪に魅力を感じてしまうような。