『記憶屋Ⅲ』 織守きょうや
※内容に触れています。未読の方はご注意ください。
人の記憶を「食べてしまう」ことができる記憶屋の物語、シリーズ3冊目。
前回の最後にちらりと登場した、半ばタレントとしても活動している料理人の毬谷柊の物語と、記憶屋騒動の真相。
毬谷さんのお話にて、思いがけず美味しそうな食べ物の描写が次々と飛び出してきて、記憶屋そっちのけでご飯のことで頭がいっぱいになりかけるなど……。
里芋の煮物……イタリアンリゾット……。
そして、毬谷さんはとても不器用。
なんというか毬谷さんが仲良くなりたいと思った人をみな傷付けてしまう、と震えるハリネズミタイプ。
一応これで記憶屋の物語は一区切りとなるのですが、本当に記憶屋に頼ろうとする人の願いは様々。
終盤の、シリーズの最初のお話にあたる『記憶屋』にて登場した真希と今作の主人公である夏生が会話をする場面にて、真希の口から『記憶屋』の最後に遼一の記憶を消したことについての思いがぽつりと語られる。
そこでもちらりと後悔の言葉が紡がれるのですが、シリーズ通して一連の動きにちゃんと責任の所在があるのが救いだと感じる。ちゃんと、自分の過ちだと言い切れる落とし所があることが。
記憶屋の力を頼る人も、記憶屋自身も、ほとんどが自分のために力を頼るし、自分の裁量で力を行使する。
具体的な例はすぐには出てこないのですが——例えば誰かのために記憶屋の力を頼ったとしたら。誰かのために自分の大切な記憶を投げ打ったとしたなら。
そうして、事態が好転せず当事者が事情を把握した場合、きっと誰も幸せにはならない。
きっとそれぞれが大なり小なり自責の念を抱えたまま生きていく。
記憶を消すことは善か悪か、ということが一貫して語られますが、きっとそういう「余地」があることが大切なのだと私は思う。
うまくは言えないけれど、そういったもやっとした曖昧な登場人物の迷いが私の心を占めてゆく。
決して痛快ではないけれど、多分これを失くしてはいけないのだと、ぼんやり思うような何か。(抽象的……。)