ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『また、同じ夢を見ていた』

『また、同じ夢を見ていた』  住野よる

また、同じ夢を見ていた


現在『君の膵臓をたべたい』が本屋大賞の候補作にノミネートされている、住野よるさんの2作品目。

以前、『君の膵臓をたべたい』について感想を書かせていただきましたが、その記事に足を運んでくださる方が絶えずたくさんいて、本当に愛されている作品なのだと実感します。
そんな中、次はどんなお話なのだろう、とそわそわしながら発売を心待ちにしていました。
  



主人公は、同年代の子と比べとてもかしこいちょっぴりおませな小学生の女の子。
取り繕わず思った事を素直に口にするため、学校では友達がいない彼女。


リストカットを繰り返す女子高生の南さん。
夜の街で春をひさぐアバズレさん。
お菓子作りの上手なおばあさん。
そして、尻尾の短い猫。

そんな3人と1匹の「友達」と、放課後にお喋りをするのが彼女の楽しみの1つだった。

「幸せとは何か」
小学校の国語の授業での問いの答えを「友達」と話し合いながら、見つけ出してゆく。
また、素直な彼女の発言に南さんやアバズレさんも、己を見つめ直して行く。
幸せや人生の意味と言った扱い方によっては重たくなってしまいがちな「こたえ」の例を、食べやすくひと口大に切り分けて提示してくれるような、そんな作品でした。

いくつか示されている「こたえ」の中で、正解は1つではないのかもしれない。
もしかしたら、まったく違う「こたえ」を、読んだ人は抱くかもしれない。

幸せは掲げるような大袈裟なものではなく、身近にあって、手に馴染むようなもの。
というのが、お話を読んだ上での私のぼんやりとした「こたえ」のひとつです。

このお話のそんな風に小さく寄り添うような雰囲気がとても印象的でした。







※以下、内容に触れています。
  未読の方はご注意ください。






「人生とは、」
と主人公の女の子、おばあちゃんにならってこれからなっちゃんと呼ぶ、が自慢げに言い放つ場面がいくつも登場するのですが、その雰囲気が森見登美彦さんの『ペンギン・ハイウェイ』に登場するアオヤマ君に似ている、と思いました。
ちゃんと、自分でものを考えて、臆せず口にするところ。
私の中では、「人生とは、プリンだ」という論がいちばんお気に入りです。



また、南さんの発言にハッとする。
「いいか、人生とは、自分で書いた物語だ」
(略)
「推敲と添削、自分次第で、ハッピーエンドに書きかえられる。——」

河野裕さんの「つれづれ、北野坂探偵舎」シリーズに登場する雨坂さんみたいだ、と。
こうして好きな作品達から得たものに、新たに肉付けされていく感じがちょっぴり嬉しい。

先の台詞は一般論ではなくて、喧嘩別れの形で両親を失ってしまったことを悔いている南さんが辿り着いた結論だと、思うとより一層心に残る。
南さんもアバズレさんも有り得たかもしれないなっちゃんの未来として描かれているのですが、過去の自分、なっちゃんとの出会いをきっかけに救われて欲しい。

もし、小学生の頃の私が無邪気に「幸せって何」と訊いてきたらなんと答えようかなと考えてしまう。






そんななっちゃんの詳細な未来についても、秘密、という形でお話は締めくくられている。

それでも、南さんでもアバズレさんでもおばあちゃんでもないなっちゃんにとって、桐生くんの隣にいることが幸せのひとつだということがわかるだけで、もういち読者の私としては十分あたたかい気分になってしまう。



凝り固まった幸福論ではなくて、人それぞれの幸せの形をそれぞれが見出していくような、余地や小回りの良さがとても心地よいお話でした。

なっちゃんがまた、同じ夢をみるたびに幸せについて思いを巡らせるように、
きっと、また、揺らいだ時に読み返したくなるような。