ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『ピンクとグレー』

『ピンクとグレー』  加藤シゲアキ

ピンクとグレー (角川文庫)


一部内容に触れています。未読の方はご注意ください。



普段あまり(私ほど)小説を読まない妹にだいぶ前に薦められた一冊。

帰省等で顔を合わせるとその度に「ピングレ読んだ?」と訊かれるのですが、ピングレ?  ピンクグレープフルーツ?  と一瞬悩んだ後「……まだ読んでない」と答えると早く読めと言いたげに舌打ちが飛んでくるので、そろそろ読まなくては、と。
……結論としては、妹の言う通り、もっと早く読んでおけば良かったのですが。



映画化、ということで書店等で販促のPVを何度か足を止めて見たことがあったのですが、小説から入ろうと思っている方、極力ネタバレを避けたい方、PVを先に観てしまうのはおすすめしません。
いや、本当に。


私の後悔は、このPVを観てしまったことにすべて、ある。





私の後悔はさておき。
このお話は、2人の男性を中心に進んでいきます。
幼い頃から常に一緒だった、語り手であるりばちゃんと、ごっちこと、鈴木慎吾改め白木蓮吾。

お互いの支えとなっていた2人ですが、雑誌の小さなインタビューページをきっかけに芸能界へ飛び込んで以降、2人の距離はどんどん開いてしまう。
白木蓮吾としてどんどん華やかな舞台に出て行くごっちと、そんなごっちのバーターでしか大きな仕事を得ることができないりばちゃん。


鈴木慎吾からどんどん離れて大衆の望む白木蓮吾へと変わってゆき、そのイメージを踏み外すことは決して許されない。

作中にあるデュポンのライターとラブホのライターの喩えがとてもしっくり来ました。

日常の所作はすべて半ば強いられていて、安っぽいライターを使うことすら、許されない。


白木蓮吾の話をする上で、作中でサリーと呼ばれる女性の存在も外せないのですが、彼は彼女が彼にとってのラブホのライターだと言いのけてしまう場面が、とてもやりきれない。

そんな半ば強迫観念に囚われながらも芸能生活を続けようとする白木蓮吾をとても哀れに感じてしまいました。
なんで、そんなになるまで、と。
本当にそばに置いておきたい友人や異性を差し置いてまで、芸能界で生きようとするのか、と。


ひとりで突き進んでひとりでぼろぼろになっていく白木蓮吾の姿に目を覆いたくなってしまう。


「——(前略)人間九十九パーセントは病気なんだって。病名をつけりゃ何だって病気になんだよ」
という彼自身のことばを借りるならば、もちろん彼自身も深刻な病だと感じてしまいました。
サリーが言うところの、ワーカホリック以上の、病的な、何か。



そうして、改めてPVを見返してみると私が小説を読んで受けた印象以上に、蓮吾がとてもヒールに描かれていてびっくりする。


そして最後の最後で彼の、鈴木慎吾の白木蓮吾の心の大部分を占めていたものが何であるのか明かされるのですが、もし私がりばちゃんやサリーとして彼の側にいることができたのなら、無理やりにでも引き戻すべきだったのだと、きっととても後悔することになりそうだと感じました。





機会があれば、その他の作品も読んでみたい。