『死んでしまう系のぼくらに』が刊行された際に、ぴかぴか蛍光色の装丁と、何よりそのタイトルの語感から気になっていた最果タヒさん。
新潮文庫nexから、どうやら別作品の文庫本が出るらしい! ということで。
今作は小説ではなく詩集で、詩ひとつひとつに対して漫画家やイラストレーターによるイラストが添えられています。
他の小説の表紙イラスト等で見聞きしたことのある方の名前がずらりと。
名前を眺めるだけでいろんな表紙が頭の中でふわっとよぎるの、楽しい。
普段は小説ばかり読んでますが、詩をぼんやり眺めて飲み込むの、すきです。
中高生の頃、授業で詩歌に触れる際には作者の考えとかつくりとか細々考えた記憶があるけれど、
どんな材料を使っているだとか、飾り付けのこだわりだとか、作法やマナーなんてものはすべて無視して、ただ手にとって放り込んでみる。
そんなんだから、そのままふわふわと捉えどころのなく、食道に、胃に、すとんと落ちてしまうこともある。
それでも、時々中に鋭利な棘のようなものが紛れていて、ある種不躾に手に取るものだから深いところまで刺さって抜けなくなってしまうこともある。
私が生きてきた中で、目を逸らしていた何か、言語化せずに放ったらかしていた何か、身近にありながらまったく気がつかなかった何か、そんな何かがことばとして突き立てられる。
小さく手折ってがりがり噛み砕いてなんとか私の中に取り込もうと熱をもつ。
なんとかこうにかして、そんなことばの居場所を用意して、見知らぬ鮮烈な何かを私の一部として溶かしてゆく。
……抽象的な物言いですが、そんな感じ、すきです。
そんな何かの一部を少しだけ。
おふろのなかでなんどもそのシーンをおもいだしては、ちょっとおぼれかけるだろう、
『きみのだいじなコート』
私もおぼれかけたい。
感情は名をつけたら俗物になるんよ
『14才の化学進化説』
思いを数少ない手持ちの箱の中で仕分けようとするのがきらいな私に。
あの日、
恒星が死ぬのを飽きるまで見つめた
『永遠』
星が光るということは、死にゆく、ということ。
愛をたいせつにするひとは、あいを、しらないひとに冷たいね、
『みじめな人たちのこころ』
愛とあい、の違い。ちがい。
そんな感じで、
愛とか恋とか人生とか死とかちょっぴり
厭世的でアンニュイな。
あとがきも、つくる、ということに対する思いが綴られていて、あとがきも含めてとてもすき。
そして最果タヒさんのことばの雰囲気が気になる方は、ぜひとも以下のサイトで自分の名前だったり目の前にあるものだったりすきなものだったり、いろいろと入れてみて欲しいです。
カ詩ラモジ