『王とサーカス』 米澤穂信
PVはどこかおどろおどろしい雰囲気です。
……いや、やっぱり絶対読んでおいてください、もしくは、『王とサーカス』の後でも『さよなら妖精』を是非読んでみてください。
形はどうあれ、読んでみて!
という気持ちが伝われば幸いです……。
※以下、内容に触れています。ネタバレを避けたい方、未読の方はご注意ください。
……『さよなら妖精』についても触れています。合わせてご注意ください。
ネパールには行ったことはないけれど、乾いた土の匂いがする小説でした。
主人公が海外に出向いて事件に出会う感じ、読んでいてなんとなく梓崎優さんの『叫びと祈り』を思い出しました。
『王とサーカス』というタイトルについて。
ラジェスワルの言う、サーカスの団長座長たるジャーナリストたちが悲劇を消費するということについて。
もちろん私はジャーナリストではないけれど、誰かの感情や出来事を消費してしまうことは日常にありふれていると思うのです。
多分、ことばを使う以上、何かしらの立場がある以上、上辺だけがあまりにも広がりすぎてしまう。
……というより、当事者でない以上、上辺だけがいちばん美味しくて中身は瑣末事だったりする。
日常における噂話が、その最たるものなのかな、と思いました。
当事者個人の感情は置き去りに、表面的でわかりやすい幸せや不幸せだけが与り知らぬところで羽を広げていく感じ。
『さよなら妖精』でも白河いずるにとってそうであったように、必ずしも真実を明かすことが「正しい」とは言い切れない、と思いました。
きっと『さよなら妖精』において、それが凶報であるならば耳に入れたくはなかったであろう真実というものを追い求め公表する立場に、今回太刀洗万智がいる、ということはどういうことだろう、と、考えてしまいます。
そのことに深い意味などなくても。
そして、最後は一抹の苦さが心に残る終わり方。
『さよなら妖精』を読んだ時も思ったのだけれど、不安や不信な気持ちになるのではなくて、苦くて苦しい。
100%この苦さに共感できるかどうかは人によるのかもしれないけれど、少なくとも喜怒哀楽では表現しきれない私の数多の感情の端っこに、この苦しみがある。
「苦しみ」と表現するにはあまりにも大袈裟なほどの、「切なさ」にも似たような。
私はきっちりとしたことばにすることはできないけれど、確かにこの感じを知っている。
ような気がするのです。
『さよなら妖精』の感想はこちら。