ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『この闇と光』

『この闇と光』  服部まゆみ

 

この闇と光 (角川文庫)

 

手書きの帯がずるいナツヨムフェア2015にて、手にしたこの作品。
 
盲目の姫が信じる『音』の世界が綿密な叙述トリックで崩れ去るその瞬間をお楽しみ下さい。
 
今までも叙述トリックの作品はいくつか読んできたのですが、『音』を扱っているのが私にとって新鮮で。
 

どんな風に世界が崩れ去るのか、どんな結末が待ち受けているのか、すごくすごく気になって。

 
 
 
主人公のレイア姫は、森の奥の屋敷にて王の父とともに暮らしていた。
レイア姫は目が見えず、世話をしてくれる優しい父の愛と、父が外から持ち込んでくれる音楽や文学だけがレイア姫にとっての世界のすべてだった。
戦いに敗れ、異国の兵に囚われている身ながらも、父はレイア姫に文字の読み書きを教えるなど、何不自由ないよう育ててくれ、レイア姫もその優しさに精一杯答えようとしていた。
 
そんな最中、急に外の世界に連れ出されることになり、レイア姫の想像によって作り上げられた豊かな世界は途端に色を変えてしまう。
 
 
 
 
 
叙述トリックでひっくり返る。
と、読む前から分かっていたのである程度は目を光らせて読んでいたのですが、ここまで変わるとは思っていませんでした。
 
主人公のレイア姫の主観で物語が進むのですが、盲目であるが故に得ることができる身の回りの情報が限られていて、読み終えて、言われてみれば……と腑に落ちる感じ。
ああ、なるほど、と。
 
 
叙述トリックの手法としては、男女だったり、年齢だったり、別人だったり、いろいろとあると思うんですが、今回のような手法は私にとっては少し変わり種で、それでも世界観がきっちりと組み上げられていることに、やり遂げてしまうことに、驚きというよりもしみじみとすごい、と思うような。(語彙力不足)
 
 
 
 
 
 
 
 
※というか、ネタバレなしには語り尽くせないので、以下、未読の方はご注意ください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
てか、まず、前半と後半とでの雰囲気の変わりよう、すごくないですか?
 
いくらかは覚悟していたのですが、前半まるで日本とはかけ離れた国のファンタジックなおとぎ話のような雰囲気だったのに、後半でいきなり現実に戻される感じ。
 
読んでいる時も、わお、と思ったのですが、読み終えて思い返してみるとここまで雰囲気ががらりと変わってしまうのはただただすごいなと改めて思いました。
 
すごい、意外に適切なことばが出てこない……。
なんていうのかな、叙述トリックそのものに驚くというよりも、物語の広がりや構造に打ち震える感じです。
 
 
 
 
そして、この作品のタイトルである『この闇と光』。
普通闇と光を対比する場合、光が先にくる場合が多い気がします。
影と光、より、光と影、の方がしっくりくるみたいに。
 
 
世間的には、誘拐され囚われていた期間が闇で、解放され普通の子と同じ生活を送ることができることが光なのですが、レイア姫もとい怜自身にとってはそうではない、というのがまた考えさせられてしまいます。
時系列的に、世間から見れば怜の人生は闇の後に光、なのですが、怜自身が語るように目の見えない時の方が綺麗なものを「見ていた」とするならば、昔の生活の方が未来に光を見出していたのかな、と。
 
 
 
 
それから、レイア姫として誘拐されていた場面は事実としてではなく、すべて怜による小説として描かれているところがまたいろいろと考えてしまいます。
怜にとっては真実なのかもしれないですが、幼い頃の記憶や思い、そしてある程度の推測の混じった「真実」は、本当に真実なのかわからない、というのが。
 
 
怜を誘拐したのは、レイア姫の父は、怜自身の主張によれば小説家の原口孝夫なのだけれど、実際はそうではないのかもしれない。
 
 
 
これはあくまでも私のひとりよがりの考えなのですが、最後の文章の表現を見る限り、それでも原口孝夫はレイアにとっての父なのかな、と思います。
特に怜亜ではなく、レイアと表記する当たり。
きっと闇の中で怜自身が再び光を見つけ出すことができたのだ、と。
 
 
 
 
 
 
 
 
余談。
犬種に詳しくないので、読み終わった後、オーストラリアンシルキーテリアについて調べてみました。
そしたら、見覚えのある、愛らしい姿が!
ダーク、お前、こんな姿だったのか!  
とひとりほっこりしました(笑)