ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『バケモノの子』

『バケモノの子』  細田守

 

バケモノの子 (角川文庫)

 

時をかける少女』や『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』などのアニメーション映画で有名な細田守監督による、書き下ろし原作小説。

 

映画公開よりもひと足先に読んでみました。

 


「バケモノの子」予告2 - YouTube

 

作品を読んだ上でこの予告編を見ると、あの場面がアニメーションとして動くとこんな風になるのか! とわくわくします。

1分30秒という短い予告動画ですが、キャラクターの表情や声や動き、そして世界観に想像がふわっと広がって、早く物語通して観たくなりました。

小説を読みながら自分の頭の中でも、世界を想像するのですが、こんな表情してこんな声音で語りかけてたのか、とか思うと、なんていうか、たまらないです。


物語知っていると予告動画だけでぐっと来ます。

きっと他の細田守監督作品の予告動画を今見ただけでも、ぐっと来る感じ、と言えば分かってくれる人は多いのではないかな、と私は勝手に思っているのですが……(笑)



 

◇おめえーー、オレと一緒に来るか?
 主人公の蓮は母子家庭として生活していた中、母親を亡くし叔父に引き取られることになる。
家系唯一の大事な跡取りとしての裕福で「何不自由ない」生活よりも、かつての父母と家族3人で暮らしていた頃の生活に焦がれる蓮はひとりで生きていく、と家を飛び出してしまう。

一方、渋谷の街と似たバケモノの町、渋天街の住人である熊の姿をした熊徹は、渋谷の街でうずくまる蓮を前に一緒に来ないかと言い放つ。

家出少年として警官に見つかり、本家で何不自由なく暮らすよりは、バケモノの方がマシだと思った蓮は、熊徹の後を追うことを決心する。


荒っぽい性格の熊徹は、バケモノの世界ではどこかのけものにされていたのですが、人間の世界で居場所のない蓮と似た者同士いがみ合いながらも、生きていく様が少し微笑ましかったり。

熊徹は、蓮の9歳という年齢から一方的に九太と名付けるのですが、人間の世界での名とバケモノの世界での名を持つことで、境界や決別めいたものを感じました。


 
◇胸ん中で剣を握るんだよ!  あるだろ、胸ん中の剣が!
 そんな熊徹の元で弟子として生活することになる九太。
お互い、他人との距離の測り方が分からないため、何をするにもぶっきらぼうなのですが、憎まれ口をたたき合いながらも、心の底ではちゃんと信頼しているような。


強くなりたいという九太の願いもあって、熊徹の元で修行しながら8年の年月が経ち九太も17歳になります。

予告動画にも成長した九太の姿は登場するのですが、まったく前情報なしに読んでいたので、突然の九太の成長っぷりに驚いてしまいました。
けれど、よく考えたら、九太は人生の約半分の時間をバケモノの世界で過ごし、熊徹と共有したことになるんですよね。

きっと九太にとっての育ての親は熊徹であり、バケモノの世界の住人がすべてだったのかな、と思い巡らせることはできるのですが、実際九太が人間としてバケモノの世界で生きていく過程を思うと楽しいだけではなかっただろうな、と思います。
バケモノの世界の中で生きていく苦労も少し描かれていたのですが、荒々しくも常に大きく構えている熊徹だからこそ、九太も気兼ねせず思い切りぶつかることができたのかな、と。



 
◇九太は一人前のつもりでいるが、誰かの助けが必要なんだ……。

そんな中、ある日九太は突然渋谷の街に辿り着き、楓と出会い『白鯨』を手に、人間として学ぶ喜びを覚え、それから熊徹の目を盗んで、渋天街と渋谷を行き来するようになります。
ずっとバケモノの世界での話が続いていたので、楓に名前を問われて、蓮と答える場面では、ちょっぴり切なくなりました。

九太がきっかけで、渋谷の街、そして渋天街が危険にさらされることになるのですが、自分の問題だと熊徹の制止の言葉を振り切り、ひとりで飛び出してしまいます。

九太はひとりその驚異に立ち向かおうとするのですが、この時の、熊徹の、楓の台詞がすごく良い。
予告動画にもその台詞が入っていて、初めて聴いた時、ぞくっと鳥肌立ってしまいました。
サマーウォーズ』でも描かれていたテーマなのですが、ひとりじゃない、と実感させてくれる何かをすごく大切にしたい。

特に素直に口にすることはないものの、今まで九太の親のつもりでいた熊徹が最後まで本当の親であろうとする姿がすごくいい。

親でも友達でも恋人でも、肩書きがなくても、そんな風に自分のことを思ってくれる人がひとりいてくれれば、心強いな、と思います。

こんなところでくよくよしてちゃいけないな、ひとりよがりになってはいけないな、と背筋が伸びる感覚。



何もなくても誰かからのその想いだけで生きていけるような。