ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『すべて真夜中の恋人たち』

『すべて真夜中の恋人たち』  川上未映子

すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)



川上未映子さんの作品を手に取るのは今回が初めてになります。

書店にて平積みされているのを見かけて、気になったので。
いきなり話は逸れますが、川上未映子さんのエッセイの『魔法飛行』(文庫版)の表紙、めちゃくちゃすきです。




主人公の入江冬子はフリーランスの校閲をしながら、ひっそりと生きている、誰にもどこにも胸を張って生きることのできない女性。
天気の良い初夏の街中をなんだか素直に軽やかに歩くことのできない感じ、ひとりで歩いているうちにだんだんと気持ちが萎んでしまう感じ。

ふらっと立ち寄ったカルチャーセンターで出会った三束と、ぽつりぽつりと言葉を交わすようになり、冬子の私生活の中で三束の占める割合が増えるようになっていく。




この小説、まず、言葉の使い方がぴたっときました。

「すき」と「好き」の使い分けを多分意図的に行っていると思いました。
物語の前半から「すき」という表現が用いられているのですが、後半のある時から「好き」が用いられていて、すごくぞくっとしました。

私も意図的ではないですが、直感的に「すき」と「好き」を使い分けることがあって、ふわっとした好意を「すき」、嫌いと対比した時の鋭利な好意を「好き」、みたいな感じで使うときがあります。
今回の川上未映子さんの小説での「すき」「好き」の使われ方が、すごく馴染んで。



それから、冬子のいまいち胸を張って前を向いて歩くことのできない感じ、とても共感できました。とても共感できてしまいました。
冬子と真反対の生き方をしている、校閲の仕事を斡旋している聖という女性が登場するのですが、こちらはすごく芯の通った女性として描かれています。

聖からみた冬子は、言いたい事はすべて飲み込んで当たり障りないように生きていて見ていてイライラする、と冬子本人に言ってのける場面があるのですが、聖と同じように冬子の性格に苛立ちを感じる読者も少なくないかもしれません。
そういう意味で、この作品は好みがはっきりと出るし、読む人を選びそうだな、と思います。
でも、冬子みたいに、どこか自分に自信が持てない人もきっと世の中にはたくさんいて、そういう人たちがこの作品を読んだ時、共感できてしまう部分がいくつかあると思います。
自分に自信が持てない、というか、自分を嫌いだと言い切ってしまったら、その「嫌い」という言葉に引きずられてしまいそうで、悪くはないかな、と誤魔化しているけれど、好きか嫌いかで言えば嫌い、みたいな。




あと恋愛観って人それぞれに持っていて、この作品に描かれている恋愛観と肌が合うかどうかも大きく分かれるかもしれません。

冬子が三束に、
「三束さんは、わたしと寝たいと思ったことは、ありますか」
と問う場面があるのですが、この感じが私はいまいち分からなくて。
分かる、分からない、という次元ではないのかもしれないですが、そういう意味で「寝たい」と思う事は無いのかな、と思います。

私は一緒に寝たいというよりも、眠りたい、と思うのです。
ただ、匂いや温度を感じながら眠りたい、と。
時には、雰囲気から「眠りたい」が「寝たい」になることもあるのかもしれないですが、1日の終わりと始まりを共有できることの方が、私にとってはすごく重要な意味を持つのです。




言い換えてしまえばどこか私のはどこか幼児的なんですけれどね(笑)