ネタバレを含みます。
未読の方はご注意ください。
北野坂探偵舎シリーズ4作目。
雨坂さんの小説を書き始める前の話、佐々波さんがちゃんと編集者をしていた頃の話です。
シリーズ通しての流れからみると、過去の話ということになりますね。
個人的には、今のところこの4作目が一番好きかもしれません。
相変わらず、特にどこが、というわけではないのですが雰囲気が。
佐々波さんと荻原春という佐々波さんと同棲していた女性の話を中心に進んでいくのですが、物語の冒頭で春は亡くなってしまっていることが告げられるので、プロローグ以降で語られる2人のやりとりの虚構じみた部分も面映ゆい部分もふわっと切り取られる感じに。
すごく素敵な2人だな、と思うのですが春が遠からず亡くなってしまうことを知っている以上、すごくやりきれない。
佐々波さんが一貫して、完璧な小説、天才の小説家を求めるように、春も校正者として唯一無二の作品を探していた。
多分、そういう作品に出会うためならば非情になりきれてしまう部分がお互いにありそれをお互いに理解しているからこそ、2人の生活は穏やかであったのだけれど。
本当に春が死んでしまった理由が、現実離れしているのだけれど、すごく納得できてすごく腑に落ちない。
「いつの間にか、私が愛した小説よりも、貴方の方が大事になっていた。なんとなくそんな気はしていたの。でも、信じたくなかった。だから、意地になって死んじゃった」
p.298
なんとかならなかったのかな。
2人の生活を読者として見てきた以上、このまま続いてほしいと思ったし、こんな終わり方なんて、やるせない。
お話の面白さとか起伏とかそういうのはよくわからないけれど、1人の読者として登場人物の幸せを願う上で、未練として本の事ではなく佐々波さんの理想を願って幽霊として現れることになるのなら春には生きていて欲しかったな、と思うのです。
それから相変わらず文章の節々でこれだ、と思うような部分があって。
人はすぐ、感情を加工してしまうのだと思う。得体のしれない悲しみや、得体のしれない苦しみを、そのままにしておけない。悲しいという言葉に当てはめ、苦しいという言葉に当てはめる。胸が痛いと言ってわかった気になる。半身を失ったみたいだと言って、本当はよくわからないまま納得してしまう。
p.144
河野さんの感情を言葉にすることに対する姿勢がすごく好き。
影響を多大に受けているので私も似たような考えなのですが、単純な情報伝達の時を除けば言葉はどうしようもなく出てくるものだと思うのです。
知っている言葉を用いてなんとか、思っていることを切り出していく。
でも、本当に処理しきれない抱えきれない何かがあふれたときは、とにかく吐き出したくて安易な言葉を選んでしまう。
できることならしたくはないのですが、自分でもわからない漠然とした何かを大きなくくりで分けて、分かりやすくラベルまで貼って言葉として相手に解釈を丸投げしてしまう。
そのくせ一方的に、理解されないだなんて嘆いてみせたりする。
未熟なまま、未完成なまま感情を相手にぶつけたくないな、と思うのです。
別シリーズにはなりますが、『いなくなれ、群青』の続編があと1か月ほどで出るらしいので、本当に楽しみ。
前作までの感想はこちら。