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ゆうべによんだ。

だれかに読んだ本のことをきいてもらいたくて。

『日曜は憧れの国』

『日曜は憧れの国』 円居挽

日曜は憧れの国 (創元推理文庫)

 

 

 

 

カルチャーセンターの講座で出会った4人の中学生の成長を描いた5編の短編。

それぞれ生きづらさや悩みを抱えている少女たちは、講座やお互いのやり取りを通して少しだけ前を向ける力を得てゆく。

日常の謎、という形でミステリ要素もあるのですが、この少女たちの目線で語られる体験が本当によい。悩みに対して、目の覚めるような解決策が提示されるわけではないけれど、かけがえないのない「きっかけ」を胸に刻んでいく感じ。

傍から見たら何でもないような言葉や出来事だけど、そういう些細なものに少しだけ救われていくような。

古野泉さんの『放課後スプリング・トレイン』とか好きな人は、きっとこのお話も気に入るはず。逆もまたしかり。

 

『放課後スプリング・トレイン』 - ゆうべによんだ。

放課後スプリング・トレイン (創元推理文庫)

放課後スプリング・トレイン (創元推理文庫)

 

 

 

5編のうち、特に印象に残っているふたつについて。

まずは、『一歩千金二歩厳禁』。

 語り手である先崎桃は、明るいムードメーカー的存在。

 カルチャーセンターで出会った友人たちと、将棋講座に参加することに。

明るいキャラクターとして描かれていた桃が、心のうちでは何かと気を使っていたことが分かる。そして、それが裏目に出てしまうことにひどく悩んでいたことも。

いつもこうだ。誰かを思いやったつもりの行動が、ただの短慮に過ぎなかったことを思い知らされる。

 好意のつもりがかなしい結果しか生まない、というのは、本当に悲劇的だと思う。

けれど、ちょっと言葉が足りないだけで、想像力が足りないだけで、望ましくない方向へ転がってしまうということは、きっとありふれている。

私自身、もっと万能な言葉があればいいのに、とか、機械を思い切り叩いたら言いたいことが文字になればいいのに、と思うことがある。そんなつもりはなかったのに、相手にかなしい表情をさせてしまうことが。

 

桃は、将棋講座にて気をまわし過ぎて、その気遣いがかえって相手を傷つけてしまう。

もう少し、肩の力を抜いて生きてもいいのだと思う。それが正しいかどうかなんて、後になってみなければ分からないのだから。 

 

 

 

 

そして、『幾度もリグレット』。

 こちらの主人公は何事もそつなくこなすことのできる孤高の少女、三方公子。

頭がよく回り、世の中に溢れている回りくどいやり取りや言い回しに辟易していた。

大好きな作家の小説講座に参加し、物語の続きを書くという課題を与えられたものの、どのように続きを紡ぐべきか分からずにいた。

与えられた物語の序文には、暗に作家自身の今後の去就についての悩みが込められているように思えた。作家の大ファンということもあり、その答えとなるものを書こうとするも、どれも書いている途中で陳腐で嘘くさいものに思えてしまう。

そんな中、講座に通う同い年の千鶴の書いた文章が作家の心を打つ。

「しかし一方で反省するということは心が『次』に備えている証拠でもあると思うんです。頭が諦めていても、心はどうしようもなく次を信じている…...だから後悔は決して悪いことじゃないんです」

具体的なアドバイスではなく、ただ現状をそっと肯定することが救いになるのだということがとても心に残っている。どちらがいいか、というのは相手だったり状況だったりによって変化するけれど、出来るなら私はこんな風に言葉をかけてあげられるようになりたいと思う。

周りからアドバイスされたり、後悔ばかりしていると、まるでなんだか自分が何もしていないようで、そのことにさらに焦ったり落ち込んだりすることもあると思うのです。

 

公子にとって、千鶴の書いた物語の続きが作家の心に残ったというのは驚きだった様子。曖昧なものが気に入らなかった公子も、そういう言葉が必要な人が世の中にいるからこそ、存在しているのだと気が付くことができ、改めて自分で小説を書いてみようと思い立つ。

この、柔軟に前を向いていく感じ。小さな体験から思う方向に舵を切っていく感じがたまらなく好きなのです。

物語の起伏で言えば決して派手ではないけれど、靄が晴れて目の前で幾重にも道が広がっているのが見えるような晴れやかな気持ちになる。

 

情緒のない言い方をすると、あの食器用洗剤のCMとかで見る、油汚れのひどい鍋とかお皿に水を張ったものに洗剤一滴垂らすと、すっと油が分解(?)されるみたいな感じ。

 

 

 

 

物語全体を通して同じく講座に通う誰かに対する「羨望」という感情が、本当によく効いている。自分にはできない考えができるあの子が羨ましいな、と思うけれど、そんなあの子もまた別の誰かが羨ましいと思っていて。そういった「羨望」は少しだけ切なさもあってすごく綺麗だと思う。

それでも、「あの子」になることはできないけれど彼女たちなりに「正解と思えるもの」や「きっかけ」を掴んでいく姿が本当に眩しい。

今は、物語が終わった後の彼女たちをふんわりと想像するだけでなんだかあたたかく優しい気持ちになれる気がします。

『臨床真実士ユイカの論理 文渡家の一族』

『臨床真実士ユイカの論理 文渡家の一族』 古野まほろ

臨床真実士ユイカの論理 文渡家の一族 (講談社タイガ)

 

 

初めて読む古野まほろさんの作品。

天帝シリーズや、メディアワークス文庫から出てる紅茶屋さんのお話も気になっている中、とりあえずは講談社タイガの作品を、と。

 

 

 

 

大学で心理学を学んでいる本多唯花は、他人の言葉の嘘を見抜くことができる。

客観的な嘘と、主観的な嘘。

例えば「私は魚」と言ったとする。魚がキーボードを叩いて意味の通る言葉を紡いでブログを更新するわけないので、客観的に見て「私は魚」だというのは嘘。(もしかしたらブログ更新する魚はいるかもしれない、未だ見ぬだけで)

そして、私自身ヒトだと思っているので主観的にも嘘。

ただし、もしも私自身、魚だと心から信じていた場合には「私は魚」というテキストは主観的には真実となる。

ある日この力を見込まれて、外の世界から断絶され、財閥の一族と使用人しか住んでいない文渡村で起きた事件について嘘つきを見つけるよう依頼されることになる。

 

 

まず、この二通りの虚実を瞬時に判断するという能力が巧妙に使われて、後半は本当にパズルが組みあがっていくのが楽しくて楽しくて。

まさか本格ミステリの伝統に則った「読者への挑戦状」があるとは思わず。

「読者への挑戦状」が物語の途中で差し込まれていると、ようやくクライマックスだという気がしてわくわくします。なんていうか、ジェットコースターがじりじりと最高点まで上がり切った感じ。

ミステリの読み方って本当に人によって様々だと思うんですけれど、私はパズルを自ら解くよりもそれを傍から見ているのが好きなのです。「それでそれで、今度はその手に持ったピースはどこにはめるの?」って。

作中の言葉のひとつひとつが論理的に、これは真実、これは嘘、と判定することができて最後には事件にまつわる真実だけが残る。

物語の前半で、前提が誤りならばその後にどんな文章が続こうと文全体としては真実となる、という説明があるのですが、これがまたいい感じに効いてくる。

 

 

今回の文渡村の成り立ちが本当に歪で、真実が明かされるたびに「え、そうだったの?」と驚きにつぐ驚き。

唯花自身、「嘘つきが多すぎる」というようなことを言う場面があるのですが、事件の犯人にまつわることではなく、村の一族に対する大きな嘘があったからなんですね、

それに本当に最後にポツリと語られた、文渡一族のすべてを奴隷にしたすごい嘘、の余韻がとてつもない。

 

 

あらすじの「言葉の真偽、虚実を瞬時に判別できてしまう」を読んだ時、伊坂幸太郎さんの「陽気なギャング」シリーズの成さんがパッと思い浮かびました。

「陽気なギャング」シリーズは全体的にコメディチックで、いちキャラクターの個性として、噓発見器の要素が使われていました。

それに対して、今回は、ミステリのためにこの能力が余すことなく使われていて、思わず感嘆。

陽気なギャングの日常と襲撃 (祥伝社文庫)

陽気なギャングの日常と襲撃 (祥伝社文庫)

 

 

 

また助手として唯花の傍には同じく大学生の晴彦がいる。

彼には特別な能力がないながらも稀有な存在で(どのように稀有かは終盤に唯花の口から語られる)、ふたり揃ってすごくいいコンビに思える。

唯花の言葉遣いは全体に堅苦しく、あまり感情が見えにくいキャラクターなのですが、晴彦は唯花の機嫌をすぐに察するし、ご機嫌取りにストロベリーアイスを買いに行く、っていうの、めちゃくちゃすき。

 

『盲目的な恋と友情』

『盲目的な恋と友情』 辻村深月

盲目的な恋と友情 (新潮文庫)

 

私の中で辻村深月さんの作品は、爽やかな青春物語と後ろ暗いどろどろとした人間関係を描いた物語、大きくふたつに分けられるのですが、今回は後者。

山本文緒さんの解説にも書かれている通り、盲目的な恋と、盲目的な友情の物語。

 

それぞれ『恋』と『友情』と題されたふたつの物語から成るのですが、どちらも痛々しいほどに恋や友情に執着する様が描かれています。

 

 

 

 

ひと通り読み終えて。

恋とか友情とかいう響きがあまりにも綺麗すぎて、よくないな、と思う。

上手い例えが出てこないのだけれど、進行ステージ、発症部位によらず「癌」という響きが絶望的なのに、似ている気がする。

恋とか友情と一度名付けてしまえば、それは賞賛され、人生の大抵のことより優先されてしかるべきものに変わる。

正確にはそうあるべきだと、自他ともに思えるようなものに、変わる。

嫉妬だって独占欲だって自己陶酔だって依存だって何もかも恋や友情と呼ぶことはたやすい。多分、そんな色んな感情が混ざったものを恋や友情と呼んでいるのだろうけれど、名前を付けた瞬間にそれは限りなくいいものに見えてしまう。

 

 

『恋』にて語り手となる蘭花は大学オーケストラに指揮者として来ていた茂美星近と恋に落ちる。そして彼と時をともにする度、彼女は恋愛に溺れてゆく。

見た目も洗練されていて、指揮者として輝かしい存在である茂美を独占することに、そんな茂美が自分の前では普段と違った顔を見せることに快感を覚えるようになる。

今回の物語は過剰気味に書かれているけれど、きっと誰しも何か特別な存在になりたい、という気持ちは抱くことがある。「誰かのために」なんて言葉が紛れもなく自分のために発せられる時が。

次第に茂美の様子は変化し、蘭花は友人からも別れるよう勧められることが多くなる。

そんな否定な言葉すら甘美に響き、後に蘭花が別の人と結婚する時にまで「茂美との過去」を陰で話題に持ち上げていて欲しいと願う様を見て、あまりにも病的だ、と思う。

 

 

一方、『友情』の語り手である蘭花の友人、留利絵は過去の体験からコンプレックスを抱えている。まるで言い訳のように自分を卑下して、嘘を吐く。

『盲目的な恋と友情』を通して、いちばん印象に残っているのは留利絵のコンプレックスにまつわるシーン。

――オーケストラの練習を見てもらっているトレーナーからセクハラを受けたという話題が持ち上がった時。

「きっと私だったら、あの男の被害に遭わなかっただろうから。責任、感じる」

という留利絵の台詞と

「あの子がされたことの前で、今、自分の、そんなコンプレックスを優先させることの方が大事なの?」

という蘭花のもうひとりの友人、美波の台詞。

留利絵はきっと被害に遭った子を思ってそんなことを言ったのだろうけれど、その言葉では誰も救われない。

そんな一連のやり取りがあまりにも痛々しくて見ていられなくて、それでもこうしてしっかりと心に残ってしまっている。

 

危なっかしくも茂美との恋に陶酔する蘭花の傍にいようと決めた留利絵だが、蘭花にとってのいちばんの親友でないことに不快感を抱くようになる。蘭花が頼る親友が自身の嫌いな美波だということも相まって。

容姿の整った蘭花の親友である、ということで自分を肯定したかったのだろうけれど、それはあまりにも虚しい。

 

この物語全体を通して、蘭花留利絵もそれが虚しいことであるとはっきりと自覚していない。

ふたりともそれが褒められるべきいいことだと信じているからこそ、一歩引いて状況を見ている読者としては胸が痛くなる。もちろん、目の前で行われている一連の出来事に一抹の心当たりがあるからこそ。

 

 

 

ごく個人的に、恋とか友情とかそういうものは暴力的だと思っていて。

小中学生の頃は何にも代えがたい掛け替えのないものだと思っていたけれど今は扱いによっては人さえ殺しうると思っている。

もちろん、否定的な感情が100%というわけではないけれど、ぼけっとしていると私自身この物語で起こったようなことを忘れてしまうから、蘭花留利絵になりえてしまうから、ちゃんと自分の拠り所をはっきりとさせておきたい、と思うのです。

 

 

『押絵と旅する美少年』

『押絵と旅する美少年』 西尾維新

押絵と旅する美少年 (講談社タイガ)

 

 

講談社タイガより美少年シリーズ、4作目。

このシリーズ、謎が発生して解決、という流れが本当にシンプルで、登場人物も独特で、一冊当たりのページ数も多くないのでさくっと読めて、よい。

巻を追うごとに美少年探偵団とは立場が異なる団体、人物が登場してきて、(その日が来るかどうか分からないけれど)一堂に会する日をいまかいまかと待ちわびてしまう。共闘なり敵対なり。

 

 

 

 

今回新たに登場するのは、口の悪い座敷童、もとい幼い少女。

座敷童という妖怪をご存知だろうか。

なんて風に切り出すと、間違って物語シリーズのほうを買ってしまったと思うかたもおられるかもしれないけれど、大丈夫、安心して欲しい。

 という一節に口惜しいけれど思わず顔がほころんでしまいました、まことに不本意ながら。

シリーズをここまで読んできた方なら、この少女についてなんとなく心当たりがあるはず。

ちなみに私は、美声のナガヒロ先輩は、今後ロリコンに加えてこんな風に罵られるのがすき、とかいう罪深い属性を背負うことになるのか......とかなしい気持ちに。

それから彼の声音を変えられるという説明を見る度に「あ、『セクシーボイスアンドロボ』のやつだ」と思うので、そろそろ私の中でアイデンティティーを確立させてあげたい。

 

 

 

この記事の冒頭で一堂に会する日を心待ちに云々みたいなことを書きましたが、壮大な下準備に思えて仕方がないのです。

もちろん毎回毎回、謎としてオチがついているのですが、それ以上に美少年探偵団と新たな登場人物たちの関係についてのデティールが細かい。

今回の少女は、ナガヒロ先輩の許嫁にして、美少年探偵団への入団を断られたという過去を持つ。

団長であるところの美学のマナブが彼女の入団を断った理由がおっしゃれー、というか個人的にすごく粋だと思うのです。

そして彼女が、探偵団の活動拠点である美術室に巨大な羽子板を出現させた理由。

彼らが小中学生であることを忘れてしまうくらい。

 

マナブは何かと突拍子もないことをやらかすキャラクターとして描かれているけれど、こうして要所要所はきっちりと心得ているあたり、流石はリーダーといった感じ。

女性ではなく、乙女だから。その乙女たる所以もちゃんと理解している当たりなかなかに食えないのかも。

 

 

次回は、冬季合宿の一環として元教師の永久井こわ子先生を追って無人島に赴くことになりそう。

以前の物語で登場したものの、まだ彼女についてよく分かっていないので、探偵団とどんなやり取りをするのか楽しみ。

 

 

 

 

 

 

昔からこうだったのか、私の視点が変わったのかどうか分からないのですが、最近やたらと少年探偵団含め江戸川乱歩作品をオマージュ、パロディにしたあれやこれを見かけるような気がします。

乱歩作品を読んでいないことを、この美少年探偵団シリーズの感想を書くたびに悔いている気がしますが、見計らったように新潮文庫nexから綺麗な表紙で乱歩作品を刊行するものだから、書店で見かける度ににらめっこしてしまう。

いずれ手に取ってしまうことは想像に難くないけれど、その気になればいつでも読めるという安心感から、随分先になってしまいそう。

それこそ、積読本の量が大いに減らない限り。

......詭弁じゃ、ないです。

 

少年探偵団: 私立探偵 明智小五郎 (新潮文庫nex)

少年探偵団: 私立探偵 明智小五郎 (新潮文庫nex)

 

 

『月とライカと吸血姫』

『月とライカと吸血姫』  牧野圭祐

月とライカと吸血姫 (ガガガ文庫)

 

宇宙や吸血鬼を扱った物語ということ、著者の牧野圭祐さんが「ペルソナ5」のシナリオチームの1人ということで読んでみることに。

ガガガ文庫の吸血鬼(ノスフェラトゥ)というと『さびしがりやのロリフェラトゥ』を思い出します。

それからゲームのペルソナシリーズは、ペルソナ3〜5をプレイ済みで大好きなシリーズのひとつなのですが、そのシナリオチームの方の小説ならば読まねばなるまい、と思いまして。

 

 

 

 

 

今回の物語の舞台は、競うように宇宙開発が行われている時代の架空の北国、ツィルニトラ共和国連邦。

人類初の有人飛行に向けて今まで犬が実験台として使われていたが、その次段階として人に近い姿の吸血鬼が使われることに。

 

主人公の宇宙飛行士候補生のレフは、実験台に選ばれた吸血鬼、イリナの監視役を命じられます。

数々の犬の打ち上げ実験の失敗から、入れ込み過ぎないようにと念頭に置いてイリナに接するレフ。

それでも伝承で聞く恐ろしい吸血鬼とは違ってほとんど人と変わらない姿をし、生き物を襲うこともないと知るにつれ、レフは監視対象以上の感情を抱くようになる。

そして人と変わらず接しようとするレフに、人を毛嫌いしていたイリナも次第に心を開いていく。

 

 

 

この小説を書く際に実際の資料を参考にされたそうで、秘密を徹底する感じや不祥事は何が何でも揉消すようなお国柄、なんとなく納得、もといリアリティがあります。

もちろん、作中はツィルニトラ共和国連邦、としか書かれていないのですが。

あとがきにもあったのですが、実際には都合の悪い人は記念写真からも削除する徹底っぷりらしい……すごい……。

 

 

 

 

まず、何もかもが凍てつく世界での情景が本当に美しい。

イリナの都合もあり、夜間に訓練などが行われるのですが、夜間飛行と題された章で満天の星空のもとで飛行訓練が行われる場面がたまらなく好きです。

サン=テグジュペリ好きとしては、夜間飛行、というのもポイント高い。

夜に2人きりでする会話、というのがどうしてもどストライクすぎる。

そういう意味では、凍った湖で夜にスケートをする場面も、本当に好き。

実際には色んな音で溢れているだろうけれど、私の中で想像する限りは寒く張り詰めた静謐の中、吐かれた白い息とともに2人の声が溶けてゆく。.......素敵すぎる。

 

夜間飛行 (新潮文庫)

夜間飛行 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

それから、レフとイリナの宇宙に対する情景がとても印象的。

軍事開発の一環であったり、都合良く利用されているだけ、ということを知りながらも、宇宙に対する憧れを強く持ち続けているところ。

似たような思いを抱いていると知ってから、打ち上げ実験を成功させて地球に無事に帰ってくるというのが、ふたりにとっての目標に変わっていく過程が丁寧に書かれていてとても良かった……。

物語のクライマックスでもあるのですが、イリナが地球に向けて交信する場面。

共和国連邦の偉い人にはそうとは分からないような、レフにしか伝わらないふたりの夢とか思いとかぎゅっと凝縮された巧妙な台詞に思わず嘆息。

ある共通の体験をコンテクストにした、その人にしか伝わらないやりとり、もたまらなく好きなのです。

 

 

 

物語の舞台から流れまで、私の大好きな要素がぎゅっと詰まっていて、楽しく世界観に浸ることができました。

今回のお話があまりにも好きすぎて愚かにも積読本を増やしてしまいそうになる。

フリック&ブレイク (ガガガ文庫)

フリック&ブレイク (ガガガ文庫)

 

 シリーズ3巻というのも、絶妙すぎる......。

 

 

 

『路地裏のほたる食堂』

『路地裏のほたる食堂』 大沼紀子

路地裏のほたる食堂 (講談社タイガ)

 

真夜中のパン屋さん』の大沼紀子さんの新作が講談社タイガから出るということで。

真夜中のパン屋さん』シリーズに関しては、話題になって平積みされているのを見かけて手に取ったのですが、個人的にビブリア古書堂シリーズと並んで今のキャラクターノベルの祖だと思っています。(ビブリア古書堂シリーズもそういえば今月刊行されますね!)濃いキャラクターに、不思議なお店屋さんに、食べ物要素。

([お]7-1)真夜中のパン屋さん 午前0時のレシピ (ポプラ文庫)

([お]7-1)真夜中のパン屋さん 午前0時のレシピ (ポプラ文庫)

 

 

 

今回もその要素がぎゅっと詰まってます。

表紙イラストやタイトルを見てもらえば分かると思うのですが、特に表紙右に描かれている男子高校生。肩から炊飯器を提げている時点で、ただものではないことがありありと伝わってくるはず。

 

 

 

主人公は教育実習のため岐阜に帰省した男子大学生、亘。

自他ともに認めることごとく何かを引き寄せる不幸体質によって、帰省早々、幼い猫が詰められた猫缶を見つけてしまう。

彼の地元では、そんな猫缶が置き去りにされる事件がちょっとした話題になっていたという。

教育実習先で再会した結衣は常識がまったく通用せず、猫缶事件に関する手がかりを知るや否や全力で突っ走ろうとする。

そんな危なっかしい結衣のことを放っておけず、なし崩し的に事件の捜査を手伝う中、実習先の高校で異彩を放つ男子高校生鈴井(炊飯器)がどうやら関係しているようで......?

一方、子供には無料でご飯を提供し、メニューはその日の気まぐれという屋台の主人、神(じん)も事件や鈴井に関して何か知っている様子で。

 

 

 

なんというか、この主要登場人物の中だと亘があまりにもまともな人間過ぎて、同情したくなる。

読み始めたときには、屋台の主人は人情深くて寡黙な人で、(亘に倣ってこう呼ばせてもらうけれど)炊飯器くんはどこか抜けたぽわっとした感じなの子なのかな、となんとなく思っていました。......ました。実際は、この2人ともとんだ食わせ物で神は案外おちゃらけているし、炊飯器くんは狡猾だし......。

そんな2人に対して幼馴染の結衣は、言われたことを額面通りに受けてまっしぐらに行動に移そうとするものだから、亘としても一読者の私としても気が気ではない。

 

 

 

タイトルに食堂、とある通り、ご飯要素もあるお話なのですが、屋台での「音」の描写がとても印象的でした。

冒頭でのお好み焼きを返す時のヘラと鉄板が擦れる音だったり、ソースが熱せられる音だったり。はたまた別のシーンでは熱いものを頬張る時の「ハフハフ」だったり。

普段はそういった匂いや見た目に気を取られて音に気に留めることはほとんどないのですが、こうして小説で読んでみると音の要素も「美味しさ」のひとつなのかも、と。

料理を作る人も音を聞くことはできますが、その音だけを純粋に楽しむことができるのは目の前でその料理を待っている人だけの特権のような気がします。そういう意味では屋台ならでは、なのかもしれません。

 

そしてその屋台の主人、神について。

初めに散々食えない性格、と言ったのですが、子供無料なのには彼なりの信念があって。

「じゃあ逆に訊くけど。腹を空かせてる子供がいたとして、そいつらにメシを食わさない理由って何?」p.109

誰かを助けるのに理由がいるかい? ってやつだ! 

基本色々と雑に言い放つ分、そこに衒いや嘘がなくて、彼の言葉に時々スカッとしたような気分になったり少し救われたような気分になる。

幸せを願う事しかできない、という亘に対して、「いいんじゃないの? 思うだけでも。それだけで、救われるヤツはいると思うし」という場面もお気に入りのひとつ。

 

 

 

 

そして猫缶事件、と言っても『真夜中のパン屋さん』を読んでいたのでおどろおどろしい結末にはならないだろうと安心していたのですが、その予想通り、事件の先には「優しさ」があって。

 犬に比べて割と小説の中では猫って悲惨な目に合いがちな気がします。

『向日葵の咲かない夏』だったり『アヒルと鴨のコインロッカー』だったり『少年Nの長い長い旅 1』だったり......。

(日本に野良犬はほとんどいない、というのもあるかもしれませんが)

 

親に対する義理立てのような気持ちで教育実習に臨んだ亘だったのですが、本当にふんわりとしたあたたかい結末でした。作中に結衣と交わした「思い出すとき、嘘を吐く時の目線の動き」もいい感じに伏線となって、最後に本心が垣間見える感じがほっこりする。

亘がこの先、教師になるのかどうかは分からないけれど、こんなに刺激的な2週間の実習を経てしまったら離れがたいに違いだろうな、と思う。表面上は嫌々結衣に付き合いながらも、まんざらでもない亘のことを想像するとちょっぴり可笑しい。

 

 

 

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

 

 

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

 

 

少年Nの長い長い旅 01 (YA! ENTERTAINMENT)

少年Nの長い長い旅 01 (YA! ENTERTAINMENT)

 

 

『青空のむこう』

『青空のむこう』 アレックス・シアラー 訳:金原瑞人

青空のむこう

 

年末年始に実家の本棚を整理していた時に、懐かしかったり興味深い本の写真を何気なくTwitterにアップロードしてつぶやいたのですが、その中にアレックス・シアラー作品がありまして。

著者名はそこかしこで聞いたことがあったのですが、まさか自分が昔に読んだ作品のひとつも同著だとは思わなくて、ひとり感動していたのですが、幸いにもフォロワーの方におすすめ作品を教えていただいたので、さっそく読んでみた次第です。

 

 

 

 

 主人公は交通事故で急死してしまった少年、ハリー。

死者の国をふらふらと歩きながら、自分が死んだということを少しずつ自覚していく。

そこで出会ったハリーより150年前に熱病で死んだ少年、アーサーと出会い、誘われるままハリーのいた世界の様子を覗くことになる。

 

ハリー自身、死んでしまったことをはじめは軽く捉えていたのに、現実を見ていくうちに次第に後悔の念や口惜しさが混ざるようになる。それでも最後は希望のある結末だったのが印象に残っています。

 

アーサーと現実に降り立ったハリーは、学校、自分の家、と順に巡ることになるのですが、この間の気持ちの動きが矛盾しているようでどちらも共感できてしまう。もちろん死んだことはないけれど。

 

まず、学校に足を運ぶ際、ハリーはクラスメイト含め学校中が自身の死に悲しみ喪に服しているに違いないと「期待」するのですが、実際にはあまりにも淡々と死が消化されていることに腹立たしさを覚える。

ぼくは、みんなにとってそれっぽっちの存在なのだろうか、と。

親友だと思っていたクラスメイトは何かと目の敵にしていたクラスメイトと仲良くサッカーボールを蹴っているし、自分が使っていた机は知らない新しい生徒が座っているし、おまけにその生徒は仄かに好意を寄せていた女子生徒と仲良さげな雰囲気で。

ハリーの死できっとささやかながら世界が動くんじゃないかと思っていたところ、まるで自分が初めからいなかったみたいに普通に世界が進んでいることに肩透かしを食らい、その気持ちは妬みに変わる。

何気ないひとことだけれども、自分のポジションをすべてかっさらっていって新入生に対する”ただ生きてるだけじゃないか。”という一節がとてつもなく印象的。

ただ、生きているだけ。それだけだけれども、多分死んでいるということと生きているということは、それくらい大きくかけ離れている。

 

 

 

そして、喧嘩別れしてしまった姉の様子が気になるということもあって、次いで家族の様子を見に行くことになる。

そこでは、悲しみに暮れる家族の姿を目の当たりにする。笑みのない家に耐えられなくてなんとか家族を元気づけようとするけれど、もちろんハリーの声は届かない。

この、学校では死を悲しんでいることをどこかワクワクするような気持ちで望んでいたのに、家族が悲しんでいるのを見て、それは間違っていると気づく気持ちの動き。

感想の最初の方にも言ったけれど、矛盾しているようでどちらも理解できてしまう。

それでも天秤にかけるとしたら、どう考えても自分のせいで大切な人たちが前に進めないでいる方が嫌だ。自分の死なんてさっさと消化してしまって欲しいと願ってしまうだろう。

 

 

 

 

それから普段あまり海外文学を読まない、ということもあってちょっとしたアイテムだたり言い回しだったりがとても新鮮でした。

学校で「負の数」について勉強している場面で、そんなの習っていないハリーが「ネガ」は写真を現像した時にもらうやつしか知らない、と思うところとか。ネガティブか、なるほど、と。

海外文学と言えば「はじめての海外文学フェア」なるものがちょっと前に開催されているのを見かけて、ただちょっと手が出ないだけで気になってはいるのです。

SF沼の淵をぐるぐる歩いているというのもあって、海外SFもいくつか積んであるとかないとか。

 

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